<生活者通信メルマガ版>


━━ 平成17年11月1日 Vol.23 ━━━━ 毎月1日・14日発行

尊厳死−死を選ぶ権利について−
                  生活者主権の会 松井 孝司

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 生死は一体不可分であり、生きることが権利なら、死ぬことも権
利である。

 古代ギリシアでは、安楽死はごく普通の行為で、安楽死を意味す
るeuthanasiaという言葉はギリシア語の美しい死を意味するという。
自らの意思で「死」を選ぶことが何ら非難されるべき行為でなかっ
たことは、毒を飲んで自殺したソクラテスの行動からも知ることが
できる。

 わが国でも、自らの意思による切腹は武士の名誉と威厳を保つ行
為とされ、「死の作法」としては最悪と言いたいが、切腹した武士
は手厚く葬られた。仏教でも「不惜身命」は尊い行為として賞賛し
ている。

 現代社会に於いて自殺や安楽死を否定的に観るようになったのは
世界中に広がったキリスト教倫理観の影響だろう。5世紀以降キリ
スト教の影響が強くなると、自殺は許されなくなった。人間の生死
を司るのは神とされたからである。カトリック教会は、自殺は神を
冒涜する宗教上の罪とみなして固く禁止し、自殺者の埋葬を禁じた。
13世紀になると、カトリック神学の説く「生命は神聖で不可侵で
ある」という考え方が広がり、自殺を罪悪視する考えがさらに強化
された。

 しかし、19世紀になると科学というキリスト教の対抗勢力が現
われ、変化の兆しをみせる。キリスト教の本質を暴き、神学は人間
学であることを主張したフォイエルバッハは、「死はなんら害悪で
はなくて一つの善であり、しかも一つの権利、すなわち害悪に悩ん
でいる者が害悪からの救済に対してもっている神聖な自然的権利で
ある」(「唯心論と唯物論」から)と述べている。

 人間の生死は、神ではなく寿命を司る遺伝子と人間を取り巻く環
境因子に影響されることも明かにされた。人間のゲノムがすべて解
読され、遺伝子配列の持つ意味が解明されて、生命の本質が明かに
されれば、死を否定的に評価する従来の倫理観には根本的な変革が
迫られるだろう。

 遺伝子操作で寿命を延ばすことが可能になるかも知れないが、人
類が憧れる不老不死は自然の摂理に反する。細胞レベルでは細胞の
自己増殖とともにアポトーシスと呼ばれる細胞の自然死のメカニズ
ムが存在する。生には必ず死を伴うのが普遍的な生命の法則であり、
生と死は表裏一体なのだ。「生」は「死」との絶妙なバランスの上
で維持され、集合体を維持するための自己犠牲は生物に普遍的にみ
られる現象で、不必要となった細胞、機能不全に陥った細胞が消滅
することは自然の掟である。人間だけが「生きる権利」を主張する
ことは間違っており、人間だけが際限なく自己増殖を繰り返してい
ては、人口爆発で地球環境を破壊することになる。

 幸いなことに先進諸国では例外なく人口減少の傾向が顕著になり、
人口爆発の心配は減ったが、皮肉なことに医学の進歩で、寝たきり
老人や痴呆老人が増える可能性が出てきた。超高齢社会の到来で、
人生の終末期における介護医療費の激増が憂慮されるのである。

 平均寿命が88歳になると予測される日本では無収入の超高齢者
が続出し、現行の公的年金制度だけではなく、国民健康保険や介護
保険も近い将来、確実に破綻するだろう。

 痴呆や寝たきりになって他人に迷惑をかけたり、高額医療費の負
担を他人に仰ぐことなく、元気な生活を送る中で或る日突然ポック
リと死ぬことが望ましいが、問題はその方法が無いことだ。

 取りあえず、不幸にして不治の病で入院したとき安楽死の幇助者
が、自殺幇助の罪に問われる問題を解決しなければならない。その
ためには「生きる権利」と同等の「死ぬ権利」を個人に認め、個人
の自由意志による安楽死を合法化する必要がある。

 興味深いのは20世紀に入った初頭の1906年、キリスト教国
家のアメリカで、安楽死に関する最初の法案がオハイオ州議会に提
出されたことである。法案は時期尚早として立法化に至らなかった
が、自らの死に決定権があるとする考えは個人主義が浸透する国々
に影響を与え、1970年代に入ると、スエーデン、ベルギー、オ
ランダ、デンマーク、スイス、イタリア、フランス、スペイン、日
本で安楽死協会が設立された。

 1975年ニュージャーシー州で脳に回復不能の障害を起こし植
物状態におちいった少女の家族が、娘の「死ぬ権利」を求めて提訴
し、一審では敗訴したが州の最高裁に控訴し、世界で初めて死ぬ権
利を認める判決が下りた。1977年にはカリフォルニア州で患者
の「死ぬ権利」を認める自然死法が施行され、1994年オレゴン
州では、住民投票を実施し、医師による積極的安楽死が合法化され
た。

 現在では、米国の殆どすべての州で類似の法律が制定され、アメ
リカ以外でも南オーストラリア州、フィンランド、デンマーク、シ
ンガポール、カナダで末期患者の延命措置を拒否する権利が認めら
れている。わが国の厚生省が実施した調査では、自分が痛みを伴う
末期患者になった時、延命治療はやめたいと望む人は74%、延命
治療中止に明確な判断基準がなく、終末期医療に悩みや疑問を感じ
る医師は86%、看護師は91%に上ったという。

 「生きる権利」だけではなく「死ぬ権利」を、回復の見込みがな
い終末期患者の人権として認めることは、患者本人にとっても、介
護に携わる家族とっても歓迎すべきことである。その代償が「死」
であっても、癌性疼痛などの苦痛から患者を開放することを拒否す
る人は少ないのである。

 「安楽死」という言葉が合法化の障害になるようだ。1976年
に発足したわが国の「安楽死協会」は「尊厳死協会」と名称を変え
ている。法制化を促進するための超党派の議員連盟も結成された。
「安楽死」は「尊厳死」と呼び変え、一日も早く「尊厳死法」を成
立させて、終末期医療の人権を確立し、超高齢社会の到来に備える
べきだ。

 「患者の権利」を直接護る法律はわが国には存在しない。「尊厳
死法」が成立すれば「患者の権利」を護るための法律の最初の一つ
になるだろう。

 法制化に加えて、在宅に近い環境で人生の終末期を迎えることが
できるようにホスピスなどの施設整備も不可欠である。

 終末期患者の人権を尊重し、患者本人の「自由意思による死」を
許容することによって、無益な延命治療を拒否することが容易にな
れば、巨額の費用が投じられる終末期医療費の節減にも大きく寄与
することは間違いない。

 言うまでもないことであるが、「生きる権利」はすべての権利に
優先する。患者本人の意志を無視した安楽死は殺人であり、殺人行
為は厳しく罰するべきである。

「著者・松井孝司氏関連のHP」
 「市民が創る日本再生のシナリオ」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~shimin/saisei/
http://homepage3.nifty.com/ne/ne/ma/


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