「生活者通信」掲載一覧/治田桂四郎の履歴 ..........作成:2001年04月23日/治田桂四郎


治田桂四郎の履歴

  昭和12年8月24日に東京都浅草区(現在は台東区に含まれている)今戸1丁目4番地 で生まれた。祖父敬次郎(新潟県西蒲原西吉田生まれ)が大工で八丁掘に出てきた。 祖母タソとの間に6人子どもがいた。啓一郎(私の父で長男)、富士(長女)、マス 子(次女)、男子(次男)、男子(参男)、春子(参女)でした。父も新潟生まれで 、母(キク)も新潟生まれでしたが、父は、大工を継ぎ、東京で生活した。私は、男 三人兄弟の末っ子。長男は、敬太郎(私より8歳上)、次男は、敬三郎(私より3歳上 、しかし、43歳で死亡)でした。

  私は、4歳まで今戸にいましたが、その後、下谷金杉下町(現三ノ輪)で終戦を迎 えた。東京が、焼け野原になった前の晩は、焼夷弾が落ちてきて、家の地下の防空壕 から出て、三ノ輪のロータリーで夜を過した。空襲が終わり家に戻ると私の家の側は 、幸い焼け残ったが、向は、ずっと遠くまで焼け野原でした。

  私は、東盛小学校に入り、東泉小学校を出ました。空襲で近くの竜泉小学校が焼けた ので、一所になった故です。その後、竜泉に移転し、大正中学(入谷小学校の一部を 間借りしていた)に入学し、卒業した。この中学は、途中で焼けた竜泉小学校を修復 して、そこに移転した。後に竜泉中学と言う名前になった。そこから、都立上野高校 に入り(当時、東京の第五学区では、一番良い高校ということで、私のレベルでは、 受験は、無理だから、江北高校にしなさいと担任の先生からいわれたが、落ちてもい いといって受験した。)当初は、東大を目指すも余りの壁の高さにあっさりあきらめ 、慶応、早稲田に目標を切り替えた。しかし、これも受験に失敗し、一浪し、やっと 中央大学法学部法律学科に入学できた。確か、受験科目は、英、数、国の三科目であ ったと思う。倍率は、高かったが、入れたのは、ラッキーだった。司法試験を受ける 準備のクラブに入るべく受験するも難しく入れず、マンドリンクラブに入り、2年過 ごし、就職が心配で3年からESS(INGLISH SPEAKING S−OCI ETY)に移行した。4年間たいした勉強もしなかったが、十分に青春は謳歌した。

  学校の成績は、できるだけ良くしていた。就職は、大変で、縁があってエーザイ株式 会社に昭和36年に入社した。製薬会社だったが、未だ無名で37年から就職年間に中堅 の会社として、載ったくらいでした。エーザイでは、大衆薬(緑の胃くすりサクロン とか丈夫で長持ちのユベロンとかトラベルミン等)のプロパー(町の薬屋さんをまわ って、薬の宣伝をする)でした。東京(2年)を振り出しに京都(4年半)・大阪(2年 )から長野県(4年)、茨城県(この時には、お医者さん向けの薬も含めて、トータ ルの営業責任者・課長として、3年)、北陸三県(薬の卸さんの担当責任者として、7 年半)個々まで薬20年、本社に戻って、大衆薬の本部、化粧雑貨の営業担当、お得意 さん、消費者からの電話相談担当(16年)、合計36年エーザイにお世話になった。こ の間、課長と部長の間くらいまでしか、ポジションは、取れなかった。入社したとき には、社長になるつもりでした。でも、この会社は、給料面他がすごく良い会社で私 でも退社時の年収は、1200万はありました。退職金も5000万弱でした。1997年の秋に 60歳で定年退職しました。後半の16年は、所沢と練馬に住んでいました。

  大前さんの平成維新の会は、確か1990年くらいに立ち上げられたと思います。私は、 TVで大前さんの堂々と政・官・業の癒着が日本の問題でこの悪のトライアングルを 壊さない限り、日本は、良くならない、農地改革、道州制の導入の必要性も主張して いるのを見て、これだと思い、感動を覚えた。その直後に平成維新の会が立ち上げら れて、入会した。今でもMEMBER‘SCARDを持っているが、430番目に入会 している。3万人くらいの人が、入会した。しかし、あの会も3年で解散した。その後 、直ちに江頭さん等と会員同志で、平成維新を実現する都民の会を立ち上げた。当初 は、70名くらいでしたが、住専での税金投入に猛反対し、情報公開運動、良い議員を 創る運動を続けて、現在に至っている。現在会員は、270名強。現在、名前が、生活 者主権の会となっている。初代の代表は、江頭さんで、3年続けられて、その後、私 が昨年の7月まで3年担当しました。その後、小枝さんになり、現在は、岡戸さんにな っている。特に昨年の衆議院選挙で会発足当初から、支援し続けてきた長妻昭氏が、 東京7区で当選したことは、この会の大きな実績と考えている。現在、岡戸代表のも とで、副代表の一人として、会の発展に努めています。

  昨年より小田全宏さんが、立ち上げた首相公選制に賛同し、推進員となり、個人でも 注力し、生活者主権の会で首相公選制特別委員会を新設し、自ら、委員長となり実現 に邁進している。世の中をよくする為にいろいろとやっていきたい。菅直人を買って いる。首相にしたいと思っている。
  現在、63歳、趣味は、英語、囲碁、カラオケ、ゴルフ、マージャン。仕事は、タクシ ー運転手(月のうち半分くらい)をしている。上記の市民運動も私の生きがいとなっ ている。
  私の家族は、妻と子ども4人、女3人、男1人。

改革市民ネットの会・はるた/治田桂四郎の履歴