最近、当会 "平成維新を実現する都民の会" (以
下、通称である "平成維新東京" を使う)と "全国
協議会" との関係について、いろいろとりざたされ
ていますが、この機会に、二つの組織の生い立ちを
含めて「今までの経緯」と「会の見解」を述べさせ
て頂きます。
1995年5月に "平成維新の会" は解散しました。
それを受けて、東京の会員を中心に "平成維新東京"
が7月に結成されました。その後、東京以外の各地
でもいろいろな組織が立ち上がり始めました。
その冬、福岡の高崎氏より江頭氏(当時、平成維
新東京代表)に「これら全国各地の組織が連絡し合
う場として "全国協議会" を設立したい。ついては
自分(高崎氏)が議長をやるので、江頭氏に副議長
をお願いしたい」との要請がありました。
江頭氏は、その "全国協議会" があくまでも各組
織間の連絡・懇親のためのものであり、上部組織と
しての決定権はなく、他の組織に対して拘束力を持
つものでもないことを確認した上で、了解されまし
た。江頭氏としては、かつての仲間が、連絡を取り
合い、また励まし合い、時には団結し合う場を設け
ることに賛成でした。
1996年10月衆議院選挙が行われました。この時、
2人の候補者を "平成維新東京の推薦候補" と決め、
会を挙げて応援・支援しました。この候補者の1人
は、前回の参議院比例代表選挙で、大前研一氏と共
に名簿に名を連ねた候補者で、この衆議院選挙では
大前氏も応援されました。
そして1997年を迎え、7月に都議会議員選挙に向
けて、当会が推薦候補者を出し始めたころ、高崎氏
から江頭氏に対して、推薦行動は取らないように申
し入れがありました。江頭氏は、この申し入れを拒
否しました。当会は "政治団体" であった "平成維
新の会" の思いを継ぐものであり、選挙の時に推薦
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活動をすることは当然のことである、との理由から
でした。
また、大前氏自身が都知事選に立候補され、後に
は、一新塾の都議養成講座を開設され、都政の改革
に強い意気込みを示されていることを考えると、都
議養成講座出身者2名を含む4名の候補者を、我々
の期待に応えてくれるものと信じて、推薦すること
は自然の行動でした。もちろん、推薦候補者の選定
に当たっては、会で決めた "選挙候補者推薦手続き
細則" と "都議選候補者推薦基準" に則り、厳格な
審査と慎重な協議を経ました。
その後も高崎氏からの申し入れは再三に渡り、つ
いに、江頭氏を全国協議会副議長から解任する旨伝
えられました。それでも、江頭氏としては、全国の
仲間との連絡の場は必要との考えから、代わりの者
を全国協議会に出席させるようにしました。
ところが、7月27日 "平成維新フォーラム11番会
議室" に掲載された、7月6日開催の "第6回全国
協議会議事録" に「平成維新東京との訣別の経過報
告」が、記されました。7月6日の "全国協議会"
では、その旨を採決しておらず、突然のことに当会
としては困惑しています。
当会は推薦を取り消すことなく、都議選を闘いま
した。一方、一新塾の都議養成講座出身者有志が設
立した政治団体 "NEXT" の主催する政見講演会で、
大前氏も講演され、候補者を応援されました。
平成維新の実現は、東京だけで出来るとは思いま
せんが、東京抜きでも出来ないと考えています。些
細なことで反発し合うのではなく、同じ志を持った
全国の有志たちが、励まし合い、手をたずさえ、助
け合って行動して行くことが、平成維新実現のため
に、最も肝要なことだと思います。
私たちの望みはただ一つ、平成維新の実現です。
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