唯物史観に対抗する新しい世界史モデルー新文明史観大田区 大谷和夫一つは、1974年に発表された梅棹忠夫の「文明の生態史観」であり、も一つは、1997年これを 発展させた川勝平太の「文明の海洋史観」である。 【文明の生態史観(梅棹忠夫著・中公文庫)】要点はユーラシア大陸を中心とする世界を南北に幅の狭い楕円状に捉え、これを北東から南西に かけて二分すると、その境界線の辺りは乾燥地帯となる。さらにこれとクロスして北西西から南東東 にかけて少し傾いた横軸を設けると、大陸は四つの部分に分かれる。この北東部分が中国世界、 南東部分がインド世界、北西部分がロシア世界、南西部分がイスラム世界となる。乾燥地帯を挟む 大陸部分四つの世界を第2地域とし、その東の外れにある日本と西の端にある西欧を第1地域と 称している。図に描いてみると分かり易い。 第1地域は塞外野蛮の民としてスタートし、第2地域からの文明を導入し、後に封建制、絶対主義、 ブルジョワ革命を経て、現代は資本主義による高度の近代文明を持つ地域である。 第2地域では古代文明が発生しながら、封建制を発展させることなく巨大な専制帝国を作り、 その矛盾に悩み、多くは第一地域諸国の植民地乃至は半植民地となり、最近に至ってようやく数段階 の革命を経ながら新しい近代化の道を辿ろうとしている。 このように見ると、そもそも東洋という観念はヨーロッパ的であり、「アジアは一つ」とか中国との間の「同文同種」と言うのも、驚くべき無関心と思考の粗雑さを示すものと著者は指摘している。私自身、中国、インド、ロシア、イスラム諸国と廻って みて、種々の面で彼等は日本とは本質的に異質であることを体感した。 更に中心部の乾燥地帯は悪魔の巣であり、暴力と破壊の源泉で、古来そこから遊牧民等の暴力が 現れて、その周辺の文明の世界を破壊してきた。これら第2地域と違って、暴力の源泉から遠く、 破壊から免れて、中緯度温帯の好条件でぬくぬくと成長したのが第1地域である。 同じ第1地域といっても、東の外れの日本と西の端の西欧では、勿論多くの違いがあるが、 文明の発展の仕方からみると、意外に共通点が多い。東の東南アジアや西の東欧もそれぞれ 第2次大戦、第1次大戦後に独立し、似たような要素があって第1地域の日本や西欧に隣接している。 このように第1地域と第2地域で世界史をみてゆく立場が「文明の生態史観」である。 【文明の海洋史観(川勝平太著・中公叢書)】日本社会も古来海洋志向と内陸志向の時代を交互に繰り返している。即ち、7世紀半ばまで朝鮮半島 の南部を勢力下に置いていたが、百済救援で白村江で唐に破れ、奈良、平安、鎌倉時代と内陸志向に なった。そこえ蒙古が襲来し外圧を受けた結果海洋志向となり、倭寇が跳梁し、アジア各地に進出した。 室町、戦国を通じて続いたが、16世紀末秀吉が東亜安定の為明国征服を志し、往路朝鮮で挫折し、 以後再び内陸志向となった。 しかし江戸時代末期、ペルリに始まり、薩英戦争、下関戦争で外圧を受け、再び海洋志向となり、 明治・大正・昭和と西洋文明を導入しながら海外進出をし、大東亜戦争で敗戦してまたもや戦後 内陸志向となった。その後政治的、経済的に種々外圧が加わっているのにも拘わらず、経済的には 大幅な輸出超過が続いているが、景気が低迷し国際競争力が大幅に低下しつつあるのが現状では ないかと思われる。 それでは日本のアイデンティティは何か? その特色や反省点につき次号に述べる。 |