生活者主権の会生活者通信2000年07月号/06頁..........作成:2000年07月06日/杉原健児


北方領土はいらない(4)

練馬区 板橋光紀

【その理由 (3)】

 香港が経済活動の自由度で世界一であることはよく知られている。しかし、外国人にはあまり 知られていないが、「何でもあり」の香港で、ここにすむ600万人が主食としている「米」に 関してだけはその流通にかかわる売買業者にのみ「厳しい規制」がかけられている。農産物の自給率 がゼロに近く、すべての穀物を含めたほとんどの食料を外国からの輸入に頼らざるを得ない香港の 「生活の智恵的食管制度」であるといえよう。
 先ず「米」が、空気や水と同列に挙げてもよい類の、人間の生存に欠かすことのできない物資で あるとの考え方に立っている。次に日本と違って香港には「米を作る農家」というものが存在 しないから、「農業を育成する」とか「農家を保護する」とかの発想がなく、この食管制度は 「消費者にとって利益となる」ものに徹しているのが特徴だ。生産者がいない香港と、米が獲れ過ぎて 減反を強いられている日本の農政を比較しても意味は無いが、香港が外国をうまく活用する賢明さと、 消費者本位に物事を決める行政のスタンスだけは傾聴に値する。
 米の輸入業者や卸売業者になる為には厳しい審査を経た上で当局から「免許」を取得しなければ ならない。「買い占め」や「売り惜しみ」、「不当な値上げ」などの反社会的な商行為が摘発された 場合、米の取り扱い免許が取消された上厳罰をくらう。
 農産物の供給は隣接する中国に輸入総数の80%を依存しており、米の供給も例外ではない。
 最近年の米の輸入量は、中国を筆頭にオーストラリア、タイ、アメリカ、ベトナムの順になって いるが、輸入総量の大きな部分を占める中国産米の供給量が、中国に於ける米の作柄によって大きく アップ・ダウンする事がある。4年前、天候不順や天災が続き、不作により中国政府は外国への穀物の 輸出を禁止、香港へも短期間ではあったが、中国からの米の供給が全面的にストップしたことがある。 しかし直ちにオーストラリアやタイからの輸入量が大幅に増えて問題には到らない。
 ベトナム米は、ベトナム戦争時代に米軍が散布した枯葉剤によってベトナム産農産物には ダイオキシンがふくまれているとの噂がきえず、米の価格も最安値を保ったままだが、 不況が長引いている昨今、失業者や低所得者層には喜ばれ、このところ輸入量が増えている。 アメリカ産米は高価だが、味が良いとの評判があり、長期にわたって需要は安定している。 つまり香港では米の流通量は品質や価格などのメカニズムによって「消費者が決定」することになる。 消費者米価などを設定しなくとも、各級の小売米価は各々長期間低位で安定している。
 2年前の参議院選挙で当会が支援する小川敏夫さんが当選された。小川さんは判事や検事を経て 弁護士を職業としていた方だから参議院になられたら当然法務委員になるものと思っていた。 しかし彼は自ら望んで農林水産委員になったという。先日ある集会で委員会の様子を話してくれた ときに「日本の農水行政はあまりにも供給者側にスタンスが偏り過ぎており、消費者の利益を守る 為のものにはほとんどなっていない」と憤慨しておられた。全く同感である。
 漁業についても同じようなことが云えると思う。自給自足的な生活が可能であった昔と違って、 今の農村も漁村も電化製品やモータライゼーションを駆使し、大都会の住民とあまり変わらない生活 をするようになっている。安定した現金収入が無いことには生活が成り立たない時代なのだ。
 漁師が助手を一人つれて早朝に小船を出し、丸一日操業して浜へ帰ってくると、少なくとも5万円 くらいの経費がかかるらしい。タイやヒラメ等の高級魚が大漁ででもない限り「良い一日」であった とは云い難い。アジやイワシ等の大衆魚をそこそこ獲ってきても、燃料費すら捻出できない事に なりかねない。海がシケれば漁は休み、命を賭けて仕事をするには割に合わない。ついつい日本の 漁師が獲って来た近海魚は値段が高くなる。彼達が懸命に仕事をしてくれても我々消費者にとって はエンゲル係数を増々上昇させて有難味が薄い。四面を海に囲まれ、国や自治体が巨費を投じて 港湾を整備してくれるという恵まれた環境にあっても、全国的に後継者は減る一方、小規模漁業の 衰退は避けられまい。
 漁具の進歩や保存及び輸送技術の発達により、効率の点で大規模漁業と遠洋漁業が消費者にとって 頼りになる存在であるかのようだが、「資源保護」とか「漁獲可能量制限」といった問題にぶち当たる。 1996年の国連海洋法条約゛締結を契機に、「海洋生物資源の保護及び管理に関する法律」が出来、 日本でも本格的な資源管理が始まった。漁獲が許される上限量が都道府県に割り当てられ、 日本の漁業は資源管理型漁業に移行している。しかしこの法律は外国の漁業者には規制が及ばず、 個々の国々との二国間協定を次々と結んで行かねばならないが、合意に到るまで常に紛糾し、 約束事がなかなか遵守されないのが実状らしい。
 世界で名だたる漁場として知られて来た北方四島近海へは、中国、韓国、北朝鮮、台湾などの 近隣諸国ばかりでなく、ベトナムや時には遠路はるばるノルウェ―等からも漁船が来て、 根こそぎ獲って行くらしい。施政権を持つロシア当局は沿岸の資源を守ろうと、「取締りに必死」 とのことだが、腐敗しきった役所のやることだから成果の方は疑わしい。
 北海道南部地方の海岸には、「ニシン番屋」とか「サケ番屋」というのがあるようだ。明治20年 頃からあって、昭和20年代まで機能していたらしい。今は漁具置場にしたり、村人の集会場になって いると聞く。海に向いて浜辺に建っており、大勢の漁師が沖を見ながら待機する小屋だそうで、 昔はニシンやサケが度々大群で岸近くへ押し寄せ、時には海面が魚で盛り上がるほどだったらしい。 見張りがそれを発見すると全員が小屋を飛び出て、沖へこぎだし一網打尽にすると云う。 昔の北海道の漁師はずいぶん安易な漁業をしていたものだ。
 しかし今ではこれら番屋は無用、つまり乱獲によって魚の方から獲ってくれよと云わんばかりに 大群で岸へ押し寄せてくることは無い。それどころか北方四島近くに魚はもうあまり居ないのだ。 たとえ少し居たとしても漁るべきではないのだ。このまま北海道近海の漁場を保存出来ても昔の海へ もどすには50年とか70年とかの長い年月を必要とするらしい。学者の中には、すでに生態系が 大きく変わってしまってるから永久に元にもどらないと云い切る人もいる。いずれにしても北海道の 浜辺から威勢のよいソーラン節があまり聞こえなくなるのはさびしいが、北方領土が日本へ返還 されようとされまいと、日本の消費者にとって損得に大きな違いはない。
 これからの漁業は資源回復への努力と、国や自治体が資金や労力を注ぐなら、「作る漁業」と 呼ばれる養殖産業の育成と、バイオテクノロジーへの投資であって、北方四島を取り戻すことで はないのだ。魚が足りなければもっと規制を外し暫定的に輸入を増やせばよい。我々消費者が買うか 買わないかは品質と価格によって判断するだけで、魚が輸入されたものであるか、日本の漁師が 獲ってきたものかはあまり重要な要素ではない。 (つづく)

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