生活者主権の会生活者通信2000年08月号/04頁..........作成:2000年08月05日/杉原健児


ながつま昭氏、末松義規氏のお二人が見事当選!!

選挙対策特別委員会委員長 江頭清昌

 会員の皆様には、御協力有難うございました。表記の二人が見事当選されました。片山みつよ氏は、 残念ながら、石原氏に惜敗しました。
 特に、ながつま昭氏は、4年前の衆議院議員選挙でも当会が推薦し、その時は、東京10区から 出ましたが、落選されました。その後、今度の選挙に向けて、着々と準備を進めましたが、 当会では平時でのながつま昭氏の推薦を決定し、主に、5区(練馬区、豊島区)のメンバーが 中心でしたが、支援を続けてきました。途中で民主党の公認問題で事情がありまして、10区では、 公認がとれませんでした。
 その後、菅直人氏の方から、東京7区での公認の話があり、急遽、準備に入り、ポスター作戦他の ながつま昭氏の努力と彼を支援する多くの人々のお陰で、今度、勝利がもたらされました。 地盤も看板もカバン(お金)もないながつま昭氏が自民党の議員経験30数年のベテラン粕谷氏を破った この勝利は、会の大きな活動実績ということができます。良い国創りに一歩近づいたと言えます。 私も含めて、関係者の喜びは、如何ばかりかと思います。
 さて、皆様から頂いた選挙カンパは、最終的に 23万1千円となり、延べ20人の方からでした。 中間で治田代表から各推薦者に7万円お届していましたので、追加として、7千円づつを治田代表から 届けていただきました。御協力誠にありがとうございました。尚、選挙カンパしていただいた方は、 次の通りです。
 2000年1月6日渋谷区の大さきさん(3000円)、神奈川県相模原市の佐伯さん(3000円)、 千葉県柏市の治田さん(30,000円)、1月11日中野区の宮川さん5000円、1月13日小平市の小俣さん (30,000円)、1月31日Kさん(3000円)、2月7日千代田区の鈴木さん(20,000円)、 2月8日江頭(20,000円)、2月8日豊島区の吉井さん(10,000円)、2月10日世田谷区の井上さん (3000円)、2月28日文京区の松井さん(15,000円)、3月2日調布市の杉原さん(30,000円)、 3月6日Mさん(5000円)。
 4月4日新宿区の佐藤さん(10,000円)、4月6日神奈川県相模原市の佐伯さん(3000円)、 5月12日足立区の江頭(10,000円)、5月12日柏市治田さん(10,000円)、5月30日新宿区西村さん (9000円)、6月6日小金井氏の安藤さん(10,000円)、6月20日豊島区の吉井さん(2000円)です。
 金額は、別として、もう少し多くの方から選挙カンパをいただければ、と少し感じました。
 いずれにしましても、副委員長(代表でもある)治田さんと皆様のお陰で、選挙対策特別委員会として、 大きな仕事ができました事を厚く御礼申し上げます。
 今後も政権交替を目指しまして、頑張りたく思っています。皆様の引き続きの御協力を お願い致します。

心から感謝申し上げます

衆議院議員(東京19区) 末松義規

 生活者主権の会の皆様のお力を頂き、第2期目を当選させて頂きました末松義規です。 初当選されました長妻氏とともに、引き続き国会活動を体を張ってやらせて頂きます。これも、 みなさまのおかげであり、大変光栄に思っております。
 東京では、民主党の衆議院議員が19名(自民党は11名)に倍増しましたが、 皆様の熱い御期待に添うよう、力一杯頑張ってまいります。
 本当に心から感謝申し上げます。今後とも、是非御指導下さい。

総選挙を体験して

杉並区 片山みつよ

 第42回総選挙では、政権交代こそ実現できなかったものの、特に東京を中心とする都市部において、 民主党の躍進、自民党の惨敗という、有権者の明確な意思が示されました。
 私も東京都第8区(杉並区)の民主党公認候補として、生活者主権の会の皆様から物心両面にわたる 温かいご支援を頂き、初めての国政選挙を精一杯戦いましたが、小選挙区で次点、比例区東京ブロックでも 民主党獲得議席6に対して惜敗率などによる順位7番ということで、こちらも次点に終わりました。
 私の準備不足、力不足のため、皆様のご期待にお応えできなかったこと、大変申し訳なく存じます。 しかし、結果として当初の予想を大きく上回る七万七千余の方々から票を頂いたことで、私の取り組んで きた政策課題である「公会計制度改革を柱にした、我が国の財政の建て直し」と「女性が生き生きと参加 できる社会制度の実現」に多くの皆様のご理解とご賛同が頂けたものと、今後の展望に大きな手応えを 感じております。
 昨年8月末に民主党から公認決定を頂きましたが、当時、町田市議を務めていた私は、市議の職責を 中途半端に投げ出すことは潔しとせず、特に税理士という立場上も、併せて務めていた監査委員の職務は 区切りのつくまで全うすべきと考えました。町田市議を辞し、杉並に居を移したのは、決算審査を終えた 12月末でした。国政選挙は、選挙が終わった日から次の選挙への戦いが始まっているといわれますが、 私にとって実質的な戦いは、今年に入ってからの半年弱だけでした。
 私のライバルは自民党の現職、それも今をときめく都知事の息子さんで、「政策新人類」として マスコミにも頻繁に登場し、バックには有名な芸能集団もついている。それに対して私は、選挙区での 知名度はゼロに等しく、組織も資金もありません。地元の民主党区議団の皆さんとも初対面の有様です。 最初のうち、駅頭にはたった一人で立ち、組織的な運動を進めている共産党や無所属の候補予定者から は半ば同情の目で見られることもしばしばでした。
 自民党の不人気が続く中で、ライバル候補は自民党非主流派であることを強調し、政策面でも私と 同様の財政再建を前面に出すなど、攻めにくい面もありました。こうした場合、戦術上の選択肢として 相手候補への個人攻撃という方法もあるとの意見もありました。しかし私は、あくまで正攻法で、 爽やかな戦いを心がけました。ボランティアを中心とした人たちに支えられ、政党支部の事務所に 間借りした選挙事務所を拠点に、広い杉並を飛び回りました。ライバル候補がお得意の芸能集団を 呼んで開いた千数百人規模の集会が終わったあと、集会から駅に帰る人の流れを逆方向に、 一人で挨拶しながら歩いたこともありました。敵陣営といっても、芸能集団見たさで参加した人も多い はずです。
 投票日の夜、私たち夫婦は沖縄の大学からかけつけた長男と一緒に、自宅でテレビの開票速報を 見ていました。当落いずれにしても、情勢がはっきりするまでは自宅待機するようにと選対本部から 命じられてたのです。小選挙区では予想外の善戦で、ライバルの当確がついたのは思ったより遅い時間 でした。後は比例区の順位がどうなるかです。
 夜がふけるにつれて、接戦を演じていた民主党の候補が次々に小選挙区を制していきました。 比例区の2位以下は小選挙区の敗者で争われますから、仲間が小選挙区で勝ってくれればそれだけ 確率は上がります。順位は惜敗率、つまり小選挙区の当選者に対して何パーセントの票を取ったかで 決まります。
 夜中の2時、私の区の開票は、開票率94パーセントで止まっています。この時点で、民主党の 比例区獲得予想議席は6か7、私の惜敗率順位は6番でした。午後3時、選対本部から電話が入りました。 比例区での当選はほぼ間違いない。すぐに選対本部に来るようにと。深夜のタクシーで本部に着くと、 集まった人たちが拍手で迎えてくれました。
 ところがいつまでたってもテレビでは当確がでません。区議の一人と夫が、パソコンのある隣室に 向かいました。インターネットでの開票速報を確認するためです。顔色を変えて戻ってきた区議が、 選対本部長の都議に耳打ちすると、全体の雰囲気が一瞬凍り付きました。最後の開票で、 2時ごろには惜敗率で9位にいた人が逆転で6位に入ってきていたのです。
 私は選対本部に集まった方々にお礼の挨拶をし、再びタクシーで自宅へ向かいました。急激な変化 にもてあそばれながらも、私の心は清々しい気分に満たされていました。爽やかな戦いができたこと、 これだけ多くの皆様に支えて頂いたこと、これが明日へ向けての私の財産になることを確信したからです。

生活者主権の会生活者通信2000年08月号/04頁