生活者主権の会生活者通信2000年09月号/08頁..........作成:2000年09月07日/杉原健児


北方領土はいらない (6)

練馬区 板橋光紀

【理由その (5)-1】

 去る7月下旬、ロシアのプーチン大統領が北朝鮮を訪問した。この9 月には北朝鮮の金正日総書記が モスクワを訪問することになっているらしい。病める二つの国のリーダーが何を話し合ったのかは定か ではない。表向きはプーチンが北朝鮮にミサイル開発を断念するようアドバイスすることによって日米 が共同研究を進める戦域ミサイル防衛(TMD) 計画の推進を再考させることにあるとの報道だ。もしそれが 本当なら沖縄サミットの眼目であった「世界の安定」と「心の安寧」にもつながることだから慶ばしい。 プーチンの行動は称讃に値する。しかし極貧にあえぐ両国の会話はミサイルのことだけではあるまい。 沖縄サミットのもう一つの眼目である「一層の繁栄」、つまり両国が窮乏から抜け出す手立てを話し 合ったものと私は想像している。
 数年前からロシアと北朝鮮の国境あたりに経済特区を作ろうという案が出ている。中国が各地に経済 特区を作り、飛躍的な成長をもたらした前例にあやかろうと言った単純な発想から来ているものと 思われる。私はこれに水を注すつもりは無いが、過去18年間各地の経済特区で苦労してきた経験に 照らして、朝露国境の経済特区が成功するとは考えにくい。
 「経済特区」は言葉を変えると「保税地域」と言うことが出来る。原材料を外国から無税で輸入して 加工し、完成した商品を 100%輸出する行為が許される場所と云う意味だ。中国では1978年に4ヶ所に 経済特区が出来て、まもなく7ヶ所を追加、10年後には23ヶ所に増えて、そのうち港湾設備の無い 内陸部にまで出来て、今では広大な中国大陸の全域が経済特区になってしまったと言っても過言ではない。 東南アジアや中南米の多くの国々にもあり、今さら朝露国境にもう一つ作らなければならないほど不足 してはいないからだ。
 経済特区を考えるよりも、ロシアは北朝鮮に土地を提供すべきだ。朝鮮半島は日本と同様に約70%が 山岳地帯で段々畑が多い。農業で繁栄しにくい地形なのだ。今の北朝鮮に必要なことは安定した食糧の 確保を最優先させることではなかろうか。旧ロシア帝国時代以来ロシアが世界に誇れるものと言えば 文学と音楽ぐらいしかないと言う人は多い。我々貿易に携る人間がひいき目で見ても、ロシア製品で 買っても良いと思われる商品と言えばキャビアのビン詰めぐらいしか思い当たらない。
 最近カスピ海で大型の油田を掘り当てたとの報道があった。今のロシアでは数少ない朗報の一つだろう。 ロシアには各地にエネルギー資源が眠っている可能性があるようだ。諸外国がロシアへ熱い視線を投げて 来ることが予想される。しかし同じ時期にドイツ政府は「向う32年間の内に原発を全廃する」ことを 発表している。私の知るドイツ人を見まわす限り、ドイツ人は神だのみしないし、口から出まかせは 言わない。きっと32年間以内には原子力に依らない、ペトロケミカルを当てにしないクリーンな エネルギーの開発に目処が立ったのであろう。ロシアのみならず中東の産油国が保有するオイルによる 商権の賞味期限が50年も 100年もあるわけではない。
 ロシアに残されたアドバンテージは広すぎる「土地」だけだ。国土が広すぎると軍備に金が掛かる。 兵隊を減らす事が避けられなければ核兵器に頼らざるを得ない。核の脅威が続けば我々諸外国はそっぽ を向いて協力しない。国を安定させる為ならば広過ぎる国土の一部を割譲するくらいは安いものだ。
 「割譲」を不名誉とするなら50年とか 100年とかの期限を設けて北朝鮮へ土地を貸与すればよい。 貸与もイヤだと言うなら「農業特区」というのはどうだろう。比較的温暖な春の種まきから秋の収穫まで、 北朝鮮だけでなく希望する各国の農民を受け入れて、土地のサイズや収量に応じて賃料を徴収する。 大きな投資無しで国家財政の改善に役立つだろう。
 低温の東北や北海道で目ざましい農業技術を進歩させて来た日本の農家は彼らに技術援助の形で貢献 できるし、国費を投じても既存の農業補助金と違って死に金にはなるまい。
 元々極東ロシアの先住民は朝鮮族である。朝鮮族のルーツはモンゴル西部のアルタイ山脈一帯である と云われている。3000〜4000年前の大昔に中央アジアから極東へ移り、旧満州に定住、10世紀頃女真族 に圧迫されて朝鮮半島に詰め込まれ、一部が沿海州方面へ逃れたと思われる。沿海州には今も約80万人 の朝鮮族がすんでいるが、第二次世界大戦中に多くの人々がスターリンによって中央アジアへ強制的に 移住させられ、ソ連崩壊後に少しづつ極東へ戻って来ている為、沿海州の朝鮮族の人口は急速に増える 傾向にある。
 韓国は金大中が大統領になって以来、非公式ながらこれら中央アジアの朝鮮族の極東への移動を援助 している。
 コサックの隊長ハバロフが一隊を率いて極東へ進出、先住民の朝鮮族を平定したのは約 350年前の ことだ。コサックとは南ロシア平原を横行したトルコ系の群盗で、彼達の悪行に手を焼いたロシア政府 が彼達に特権を与えて懐柔し、国土拡張のために他国を切り取る侵略戦争の先兵に使ったものだ。 このハバロフ一派の行為は国際的な非難を浴びることとなり、まもなくロシアは沿海州から撤退する。 ロシア人の沿海州への植民が再開されたのは1858年だから、ここがロシア領と呼べるようになってから まだ 140年しか経っていない。ハバロフスクなどの大都会を差し出せとは言わないが、先住民から奪った 農耕可能な同サイズの土地を朝鮮族に返還することによって極東の緊張を緩和、軍隊も減らすことが 出来れば諸外国からも称賛されるし、ロシアにとっても悪い話ではない筈だ。
 昨年2月、クリミア戦争で多大な血を流してまで奪い取ったクリミア半島がウクライナの領土である ことを確認。サハリンの北端地域を先住民の手にゆだねて自治を認めている。次は多分1947年に フィンランドから割譲したカレリア地方の番だろう。
 これら領土問題に関するロシアによる一連のソフトなスタンスはロシア国内の台所事情によるものと 思われるが、私がロシアのリーダーなら金になる可能性のある「北方領土」だけは最後まで手放さず、 出来る丈高くふっかけて日本から大枚をむしり取ろうと考えるに違いない。その手に乗ってはいけない のだ。                   (つづく)

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