生活者主権の会生活者通信2000年10月号/11頁..........作成:2000年09月24日/杉原健児


映画『クローン』原案 (1)

ポリインフォ・プロダクション 秋沢秀人・宮本修伍・清郷伸人

【1.主題】

 クローンの技術は動物にとどまらない。必ずクローン人間まで行く。それも体細胞クローン人間である。これは人間の工業的生産に他ならない。人類にもたらす利益はゼロではないだろうが、罪の方がはるかに深刻である。この技術は凍結ではなく永久廃棄されなければならない。なぜなら人間は、クローン人間によって人間でなくなる可能性が高いからである。それを想像ではあるが、映画を通して明らかにする。これは人間とはなにかを問う人間愛の物語である。

【2.背景と大要】

  1. 生物にとって有限な資源と過酷な環境である地球において、人類はただ生き延びるだけでなく、より有利に生存できる知恵と技術を獲得してきた。そして現代に至り人類は生存の質と量において他の生物はおろか地球そのものの負荷の限界に達するまでになっている。

  2. かつては天災や疫病、貧困や戦争が人間の生存の大敵であり、その結果、人口の爆発は抑えられ、贅沢な生活はほんの一握りの者に限られていた。しかし今日、人間の知恵と技術はこれらの大敵を90%克服し、人口爆発と浪費生活を可能にした。人間愛と物質的豊かさをモティーフとした知恵と技術がはからずも今日の危機を招いてしまったのである。

  3. しかも現代はその問題にいわゆる南北格差がからんでいる。南は限られた資源上の人口爆発、一方でエイズのような不治の伝染病の蔓延、民族や宗教のからんだ内戦といった過酷な生存環境に悩まされている。北は少子化や長命願望や栄養過多や核兵器にふりまわされている。21世紀初頭、南は経済開発を至上命題とし、北は少子化と長命化の解決を目指す。

  4. クローン技術は、少子化と長命化の解決手段である。そして革命的なのは人間を遺伝的に改良できるであろうということである。クローン人間により人口は意図的に調節でき、クローン臓器で長命も図れる。望めばだれでも自分とそっくりの子が手に入る。その上頭脳優秀で体力抜群さらに美貌を兼ね備えたクローン人間によりすばらしい社会と秩序がもたらされる。情曹アれが人間の野放図な欲望に応えんとする科学者、医学者の功名心と好奇心の描くパラダイスであろう。

  5. しかしクローン人間は生物の基本原理である個を殺す。いわんや人間は指紋だけでも同一可能性は870億分の1という際立つ個体である。生命への畏敬の拠って立つ基盤はここにある。気の遠くなるような人類の永い生存はこの生命への畏敬に支えられて来たといっても過言ではない。個体が構成する家族、家族が築く社会は人類が培って来た生命への愛と犠牲心によって今日までつながっているのである。道徳の原点はそこにしかない。これらがクローン人間の出現で崩壊する。人間の選別が常態化し、性も生死も意味を成さなくなる。人間はクローン人間を道具化し、利用するだろう。そこでは殺人さえも正当化される。このような世界に生きる意味はあるだろうか。

  6. 映画では、文明の極大化に猛進する人類がクローン人間の生産と利用に狂奔する。一方、古代からの生活原理を守る先住民族はこの潮流に巻き込まれない。その製造原理からくる致命的な弱点(A)を持つクローン人間を利用しつくす人類はついに人間の証しとしての道徳が崩壊し、恐ろしい世界の到来に至る。北も南も過剰な欲望と環境破壊に走り、弱肉強食の地獄世界となる。こうして人類は、大家族主義(B)を守った先住民族だけが生き残るという筋書きとなる。


  1. クローン人間はオリジナルの人間(以下人間)とまったく同じ遺伝子を持つ。したがって外形や資質(能力の原形)はうり二つといっていい。ここからは想像であるが、主に環境の違いにより獲得能力や感情、理性、態度はかなり異なってくるはずである。クローン人間はその意味では人間と同じようにそれぞれ個性があるといえる。しかし人間とクローン人間の間には個性を超えた決定的な違いがあると思える。体細胞クローンとは無性生殖であり、単純増殖である。子を得るための男女の愛もかけがえのない命への愛も不要と化す。この製造原理がクローン人間の内面を規定する。異性への愛を知らず、命は自らも羽毛より軽い。生存がなんら本質的ではないためすべての人間的感情の薄い、表情の乏しい人間像が浮かび上がる。他者への関係性が欠けているためかれらは孤立しており、種として存続するための防衛本能はない。

  2. 生存や存続のための伝統的叡智に裏付けられた最も普遍的な生き方。自然環境が許すだけの限定条件(人口など)を受け入れて自らの領域内で自然と共生し、他の領域は侵さない。一方で自然は厳しく、生存の闘争に命をけずらざるをえない。生活資源が枯渇した時は、老人や一部の幼児が死ななければならない。種を絶やさないという本能を意識まで高めた力がかれらの道徳を形成する。大人たちは子供たちのために死ぬ。子供は親の所有物ではない。神から預けられた共同体の未来である。危機に直面した時、この大家族主義が強靭な力を発揮する。現在は未来への架け橋なのである。これは本来、人間に備わった魂の力とでもいうべきものであり、豊かではなかった古代から人間社会が培ってきた道徳的本能である。                (つづく)

生活者主権の会生活者通信2000年10月号/11頁