もしもあなたが一万円を落としたとしたら、その
一万円はどうなるだろうか。
経済の原理ではその落としたお金でさえマネーフ
ローとなり社会を潤すことになるが、それが遺失物
として警察へ届けられたとしたら、場合によっては
6ヶ月間マネーフローに乗らないことになる。例え
拾った人が使ったとしてもそれは健全な経済とはい
えない。本人は本当は有意義に使いたかったが、落
としたことによりすでに「無駄遣い」となってしま
うのである。このように人の意思に反してお金が使
われることも「無駄遣い」ということができる。
ところで、先日茨城県の農道を車で走っていたら、
農業用水路の下草を一生懸命刈っていた集団がいた。
彼らは別にボランティアというわけではなく、市の
農政課なりの予算を使っている公共事業に他ならな
い。予算の名目は、農業用水路の確保のための保全
行為というようなものだと思うが、ハタから見ると
税金を使って自然破壊しているとしか思えない。税
金を使って下草を刈って( 生態系の破壊) 、さらに
税金を投入し焼却処理( 大気汚染) するのである。
役人にとっては重要な仕事であるが、そこからは何
も生まれてこない。その税金の源泉は国民から徴収
されたものである。まさに国民の意思に反して使わ
れてしまっているのだから「無駄遣い」といえるの
ではないか。
これはほんの一例であるが、周りを見れば無駄な
公共事業がたくさんある。
マスコミのような大上段から見れば無駄な公共事
業としてダムや高速道路が揚げられるが、もっと庶
民感覚の地面すれすれの目で見ると、無駄な公共事
業はありとあらゆる所に薄く広く散りばめられてい
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ることが分かる。そして、それらを全て合わせると
莫大な金額となるだろう。これらの公共事業は役人
が自らの組織を守るために築き上げたもので、その
事業を行うこと自体がもはや目的と化しているもの
もある。先の農業用水路の下草刈りはそれ自体が目
的となっており、そのために本来の農業の保全とい
う目的がおざなりになり、最近ではその事業を継続
させるために雇用対策として目的をはぐらかして外
部へ委託している。
もし、雇用対策、環境対策、食料対策など総合的
に行う必要があれば、農業用水路の管理をNPOが
行うことも考えられる。彼らの能力を動員すれば本
来の目的である食料の増産を達成し、さらに水辺の
環境保全も達成できるはずである。しかし、現状で
は農水省は国家予算を分捕り市町村に分け与え、市
町村も予算の分捕り合戦を行う構造となっており、
組織の維持に懸命である。このようなことは、役所
の全ての部署に多かれ少なかれ当てはまる。そこに
は総合的な施策で無駄遣いを是正するという流れは
ない。そしてその予算の源泉は常に国民の税金であ
る。
小泉改革の目的は、役人が作り上げた無駄な公共
事業をばっさり切り捨てることだったが、それもメ
ディア受けする小手先の改革に終わりそうである。
しかし、本当に改革しなけらばならないことは、ダ
ムや高速道路のような目に見える無駄遣いは勿論の
こと、身の回りにある細かい無駄遣い全てに至るこ
とである。国会中継をテレビで見て文句をいっても
何も変わらない。当たり前の結論になってしまうが、
市町村の財政を庶民の立場から改めてしっかり見る
必要がある。
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