自虐史観超克の秘策
東京都大田区 大谷 和夫
[1] 自虐史観とは何か
大東亜戦争が終わってからもしばらくは戦前の実態を知っている人が多かったので、一部の左翼以外、あまり祖国日本のありもしない悪口を言う人はいなかったように思う。しかし平成に入って、細川首相の「侵略戦争」発言や連立政権の「戦争責任の謝罪表明」、更には歴史教科書問題、従軍慰安婦問題、南京大虐殺問題、最近では靖国問題などで、戦争に対する反省の名のもとに、一方的な、事実に基づかない、何もかも日本が悪かったという歴史観が自虐史観であり、これらの横行による国論の二分は看過するわけにはいかない。公正な史実に基づく日本人自身の歴史観の確立が緊急の課題と思うが、それでは如何にして自虐史観を克服するか、はなかなかの問題であると思われる。
[2] 占領政策で刷り込まれた自虐史観
たまたま私自身が昭和元年生まれであり、最後の徴兵検査の1ヶ月弱遅い生まれで徴兵を免れたことと、終戦時にはおよそ軍国主義とは無縁な教養教育一点張りで、後にアメリカの強制による学制改革で廃止された旧制高校におり、戦後旧制大学に進学した関係で、所謂戦後の教育を受ける機会がなかった。そこで極端な話、支那事変とか大東亜戦争といった言葉が聞かれなくなった理由もかなりの間知らなかった程である。占領軍が極東軍事裁判(略称・東京裁判)史観を押しつけたり、War Guilt Information Program(戦争犯罪宣伝計画)で当時のラジオを使って徹底的に日本人の洗脳をはかったという事実も後で知り、それをもとに日教組を中心とする左翼偏向に基づく教育が大きな影響を残したようである。義務教育で一方的に日本を断罪し、自虐的な歴史認識を押しつけるに至っては、犯罪行為と言っても過言ではない。
[3] 侵略の世界史
東京裁判では時期を満州事変以後に絞っているが、そんな目先のことではなく、大東亜戦争を客観的に評価するには、目を世界に広げ、且つ更に数百年位遡って、広い視野から情勢判断することが重要であると思う。そのような意味で、私が最も感銘を受けたのは、千葉大学名誉教授の清水馨八郎氏の書かれた「侵略の世界史」-この500年、白人は世界で何をしてきたか-である。皆さんにも図書館で借りて是非ご一読をお勧めします。
内容の概略は、逆転発想の世界史として、なぜ白人は侵略的なのか、その歴史、宗教、風土から原因をさぐる、としてスペイン・ポルトガルの世界征服、英仏蘭による植民地支配、アメリカ、ロシアの野心と領土拡張、白人侵略の終着点・日本の対応、立ち向かう唯一の有色人種、最後に日本が真の独立国家となるために、が記されている。
考えてみれば、当時アジア・アフリカの独立国は、日本、タイ、エチオピアだけであり、タイは英・仏の緩衝地帯であり、日本は白人のアジア侵略の最後の標的だったわけである。国際連盟で日本が主張した人種平等がアメリカの反対で否決されていたのが、大東亜戦争の終結から間もなく、国際連合で人種平等も可決され、アジア・アフリカの植民地が次々と独立し、敗戦国の日本の主張通りに世界は変わったという事実を重視したい。
[4] 大東亜戦争・太平洋戦争・極東戦争
昭和16年12月に始まった大東亜戦争を何故太平洋戦争と呼ぶのか、不思議に思って調べてみたら、占領軍といっても米軍が大東亜戦争と呼ぶのを禁止し、太平洋戦争と呼称せよ、と占領中に命令したのを忠実に守っている人が多いからだと分かった。尚日本では大東亜戦争と命名したが、アメリカは太平洋戦争が正式名称であり、イギリスは極東戦争という。国によって戦闘地域が異なり、名前が異なることはやむを得ないが、占領期間中の占領軍の命令をいつまでも守っているのは独立国としては不見識であると思う。
尚大東亜戦争の総括ができていないという意見もあるが、国会で衆参105名の歴史・検討委員会を組織し、19名の専門家を動員して「大東亜戦争の総括」を平成7年8月15日に刊行している。前述の細川首相の「侵略戦争」発言や村山政権の「戦争責任の謝罪表明」に反発して、公正な史実に基づく日本人の歴史観として取りまとめられたものである。
[5] 東京裁判とマッカーサーの証言
東京裁判とは極東軍事裁判ではあるが、明らかに国際法違反であることは、唯一の国際法に通じたパル判事(インド)の判決に見られる通りである。何しろアジア侵略を行いつつあったアメリカ、ソ連、イギリス、などの諸国が、侵略の罪を逆に日本になすりつけたのが東京裁判である。本件に関しては佐藤和男の「東京裁判と国際法」をはじめ、多くの図書で明らかにされており、最近では雑誌WILL9月号に渡部昇一が「中国を永久に黙らせる100問100答」の中に、靖国問題、南京問題などと共に詳しく説明されている。
更に決定的なのは、朝鮮戦争で失敗後、東京裁判を実施したマッカーサー元帥がトルーマン大統領に、「あの裁判は誤りだった」と述べ、更に上院の軍事外交合同委員会で「したがって日本が戦争に突入したのは主として自存自衛のために余儀なくされたのだ」と発言している。
[6] 第三次世界大戦
20世紀は戦争に明け暮れた世紀であった。第一次大戦、第二次大戦は周知であるが、第二次大戦に日本が敗戦してから、日本はアメリカの保護国みたいになっていたが、その間米ソの間で冷戦が続いた。これを第三次世界大戦と呼ぶ人もいる。第二次大戦で連合国を組んだ米国とソ連の間でなぜ冷戦が起きたか、といえば民主主義と共産主義は相容れないからである。それではなぜ第二次大戦中に連合を組んだか、が問題になる。それは何れもアジアを侵略しようと言う点で共通点があったからであろう。
実は戦前は共産主義の脅威は深刻で、日独伊の三国同盟も、元は防共協定が基本であった。ところが最近明らかになった所によると、国際共産主義運動のコミンテルンは日本、アメリカ、支那でも活発に活動し、近衛内閣のブレーンの尾崎秀実、アメリカのハル・ノートの執筆者ホワイト財務次官、など中枢に侵入し、支那でも日本を叩くために戦争を継続するよう働きかけていたという。ソ連の解体で共産主義の命運も尽きたかと思われるが、尚中国、北朝鮮は共産党の独裁政権であり、警戒を要する。
[7] 真の独立国を目指して
1952年4月28日講話条約が発効し、日本は占領状態から解放され、晴れて独立国となったが、歴史教科書にもこの史実は明記されず、マスコミ(特に共同通信、朝日、毎日、日経、NHK)は依然としてGHQの検閲基準を守り、近隣諸国の国策に加担し、憲法・教育基本法の改正を阻止し、反日キャンペーンに興じている。又戦後の民主主義をはき違え、歴史や伝統、先祖、社会の成り立ちといった縦軸を無視し、個人の権利ばかり主張する横軸に終始してきた。我々の先人たちが血と汗と涙で築き上げ継承してきた、礼節を知る心、勤勉性、忍耐心、公徳心といった日本人の心と魂は、すっかり排除されてしまった。
戦後を支配してきた東京裁判史観、自虐史観は、日本を潰すための手段であり、典型的な錯覚の天動説である。亡国を避けるためにも、コペルニクス的転回で、天動説をぶっ潰し、正しい歴史認識に基づいた地動説・縦軸派に国民の意識を改革することが緊要である。 但し基本的には島国根性の克服、即ち、世界の実情を広く眺め、世界の歴史の教訓に学び、計画的に解決を図る必要があると思う。