育てよう!民主主義

東京都豊島区 吉井 正信


広辞苑によれば、民主主義とは【語源はギリシア語のdemokratiaで、demos(人民)kratia(権力)とを結合したもの。すなわち人民が権力を所有し、権力を自ら行使する立場を言う。基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、また、その実現が要請される】とある。

日本国憲法は前文で主権は国民に存することを宣言しているし、本文で基本的人権などを保障しているので、民主主義国家であることには間違いはないようである。ではこの日本で民主主義の何を育てるのか。私は国民が所有している権力を自ら行使する力を育てることだと思う。

なぜ私が日本国民は自らの権力を行使していないかと思う理由を2,3点取り上げてみたいと思う。

第一は国民にとって最大の権力である選挙権を行使しているのは、総選挙で50~65%、参議院選挙で40~55%、統一地方選挙にいたっては40%を割ることもある。先日、6月11日に行われた中野区長選挙はたったの27.73%のみで、再選された田中大輔さんの得票率は当日有権者数253,204人中のうちの36,554票でわずかに14.22%であった。たった14%の有権者に信任されたこの選挙は果たして有効だろうか。しかし日本の現状ではこのような地方の選挙で何回再選挙を実施しても投票率が有権者数の50%を越えることはないであろう。最大の権力、最大の武器である選挙権を自ら放棄している国民は民主主義を語れるのだろうか。

第二に民主主義では法治主義の実現が要請されるとあるが、日本では戦後60年経過しても戦前の法律がまかり通っている。それを改正しようとしない自民党政権をいつまでも支持し続けている国民は義務の放棄ではないだろうか。日本は近代国家のすべての国が行っているように、間接民主主義を採っている以上、選挙で国の体制を変えるしか方法はない。政権交代を繰り返すことにより、より理想的な民主主義国家を樹立するのが国民の義務だと思う。それを怠っているために、さまざまな矛盾がおきている。たとえば67日東京地裁で判決があったドミニカ移民訴訟では、国の法的義務違反を認めながら、請求権が消滅する除斥期間(20)が過ぎたとして、請求を棄却した。でもこの法律は正しいのだろうか。もし犯罪者が海外逃亡した場合、逃亡期間中の年月は時効の対象外となっているのに、ドミニカ移民の皆さんは国の政策により、海外棄民にされたのだから、当然その間は除斥期間の対象外ではないだろうか。政府、官僚そして国民すべてが無責任すぎるのではないだろうか。7月14日の新聞報道によれば、原告団が政府の救済策を受け入れ控訴を取り下げる方針と。これを機会に戦前の法律を見直し、必要な法律は現代文に書き直して時代にあった文章と内容にすべきだと思う。

第三に税金の使い道の監視も人民の権力の行使の一つだと思うが、それに対する日本国民の関心は薄い。民主主義を支えていくためには、国家予算が必要で納税は国民の義務であると同時にその分配の監視の義務を負う。今の日本の所得税の徴収システムでは、ほとんどの人が源泉徴収により納税しているため、税金に対する意識が薄くその使い道にも関心が薄いのが実情だと思う。そこで政府の愚民政策の一環としての源泉徴収のかわりに自ら確定申告しその納税金額の何割かは自らその使い道を指定できる方式にしたらどうだろうか。例えば福祉に20%、防衛に10%のように。また寄付などの控除・非課税も拡大すべきだと思う。現状では国民は税金を徴収されるだけで、その納税により得られるべき権力を行使していないではないだろうか。

皆さん今こそ真の民主主義を育てて、本当の意味の主権在民国家を樹立しようではありませんか

 

《ながつま昭のサポーター通信VOL.13 より転載》