押し付け憲法拒否、自主憲法制定に異議あり
今、改憲論者の有力な論拠に、敗戦で占領軍GHQによって押し付けられた憲法を拒否し、自前の自主憲法をもつべきだとあります。
然し、GHQが時の日本政府に、採用をせまった草案は、戦時中の思想信条・言論弾圧の圧政から、鈴木安蔵静岡大学教授・森戸辰男・高野岩三郎など、在野の有識者達で創った、憲法研究会の憲法草案が、GHQ担当者の目に留まり、GHQはそれを下敷きに、短期間に日本政府に憲法草案を提示することが出来たのであり、即ち日本人の創った憲法素案が、GHQのフイルターをとうして作成されたのです。
そして、戦争放棄の九条は「憲法草案」の原案にも、GHQの発想でもなく、幣原喜重郎首相が、戦争で国土が焦土と化した惨状から、再び戦争をしてはならないとの強い決意で、1946年1月24日マッカーサーとの会談のなかで提言し、GHQの賛同を経て生まれたものです。
当初GHQは、日本政府に新しい憲法草案の提出を求めたのですが、選挙の洗礼を経ていない、天皇の任命により構成された政府、憲法問題調査委員会(松本委員会)はなんと、明治憲法そのままに改正しようとしました。例えば「天皇は神聖にして侵すべからず」を「天皇は至尊にして侵すべからず」と言った調子で、とうてい民主主義・基本的人権・を日本に移入しようとする、GHQの受け入れる代物ではなかったのです。
以上の経緯を踏まえて、今の憲法が決してGHQの押し付けた憲法でなく、深層の根底は、憲法学者鈴木安蔵を中心とする、抑圧からの解放、自由と人権を求めて、在野の日本人有志が創り上げたものなのです。
私自身、改憲問題に対する立場は、103条ある条文のなかには、時代の推移とともに変えることが、国民生活に合理的・論理的なものもあると思いますので、部分改正には賛意も表しますが、広島・長崎と二度も原爆のむごい被爆の惨状、そして国民生活の塗炭の辛苦から誕生した、憲法という星座で、絶対動かない恒星、それは九条であるとの確信と信念で、九条の改憲には反対を貫いて歩み続けます。