混合診療解禁裁判始まる
〈裁判ドキュメント─1〉
訴状提出からちょうど1年経った今週、東京地裁は第一回弁論を開き、ついに僕の裁判はスタートした。この間、06年8月14日に裁判所の要請で僕の具体的被害を詳述した書面を提出し、10月20日に被告の厚生労働省から答弁書が出されたことを11月24日に知るやその日のうちに反論書を書き、27日に提出した。さらに今年1月26日には再度の要請により僕の被害と請求趣旨を詳しく書いた2度目の書面を提出した。そして2月下旬裁判所からファックスが届き、請求内容の確認を電話で回答した後、3月から法廷審理を始めると告げられた。
訴状提出から決定までのこの異例の永さは、多分すべて僕の書面、訴訟技術の拙劣さに因る。訴状をはじめ準備書面、反論書の書き方が的を射ていないため訴える内容がわかりにくかったと思う。このため裁判所が請求内容は何か、訴えは裁判に値するか、原告は訴える資格があるか等を判断するのに時間がかかったのだと思う。横浜や東京の医療問題弁護団から受任を断られたため本人訴訟となり、進行から書類作成まですべて独学でやらざるを得なかったからである。時間はかかったが日本の裁判所は僕のような一般市民にも親切になったと感ずる。もちろん裁判にまで進んだ要因は親切ではなく、訴える問題が裁判に値することが大前提だが。
3月20日午後2時、東京地裁606号法廷に私と被告の厚生労働省の代理人弁護士3名、鶴岡稔彦裁判長と裁判官2名が出席して裁判は始まった。裁判長から、請求内容の確認等に手間取り、時間がかかったことへのお詫びがあり、口頭で私の請求の趣旨の再確認が次のように行われた。「請求は保険の利かない活性化自己リンパ球療法(LAK)とインターフェロン等保険治療の併用を求めるということですね。」私「その通りです。」ここで裁判長は被告側に向き、これは原告の具体的な地位確認の請求なので裁判を行うと宣言した。(請求内容を詳しく述べると、現在は健康保険のきく治療ときかない治療を併用する混合診療を受けるとすべての医療費が全額自己負担になるため一つの病院で混合診療を受けられないが、転移がんという難病患者の自分は保険のきかないLAK免疫療法とインターフェロン等保険治療を併用する混合診療を主治医の病院で受けられるよう制度を変えることを求めるというものである。)
この時点で、私の裁判は「混合診療解禁請求裁判」となった。今までは「混合診療禁止違憲裁判」のつもりだった。違憲となれば当然混合診療は解禁され、自動的に併用する保険治療には健康保険が給付されると思っていたからである。しかし日本の裁判所は原則として法律の違憲判断は行わないのである。裁判は具体的被害のみ扱う、いわゆる私権の救済に限定される。従って今回の訴訟も私個人の混合診療請求事件となる。ただこのような公的制度への裁判所の判断が私個人に限定されることは考えにくく、この裁判の判決は一般化される。しかも私の解禁請求の理由が制度の違憲性にあるわけだから、裁判の過程や判決において違憲の審理や判断が行われることを強く期待したい。
続いて裁判長から私に対し、併用の請求理由の一つに、混合診療が憲法第14条の平等原則に違反しているとあるが、誰と誰の不平等を指すかとの質問があり、保険治療と非保険の治療を併用して治療費が全額自己負担になる者と、同じ治療を受けても(病院を変える等で)併用にしなければ保険を使える者との不平等であると答えた。
また私の証拠書類の確認があり、私が訴状と一緒に提出したものはすべて混合診療禁止の根拠であり、それはむしろ被告側から提出されるべき証拠であるため、この日私が持参したものを甲1号証〜3号証として採った。政策研究大学院大学福井秀夫教授の「混合診療禁止の法的問題点」と「混合診療解禁反対論の破綻」という論文である。
最後に、次回は被告の反論を行うこととなり、代理人が反論書作成に1カ月半要すると答えたため5月23日に開廷されることになった。
混合診療を一律禁止している今の医療制度は普通の人にはあまり知られていないし、わかりにくいが、日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人が死ぬ時代である。通常の保険治療だけでは限界がある以上、誰もがいつこの問題に遭遇しても不思議ではない。6年前に腎臓から頭部と頸部の骨に転移を認められたがんを抱えながらの裁判闘争となるが、将来の難病治療制度に少しでも資する内容のある判決を得るべく全力を尽くすつもりである。
(提訴に至る経緯等は、『混合診療を解禁せよ─違憲の医療制度』(ごま書房)やウェブサイトhttp://www.kongoshinryo.netをご覧ください。)
(2007/03/24)