自治体の統治機構が変だ

東京都渋谷区 岡部 俊雄


統一地方選挙が終わった。

相変わらずいろいろな事件が起こり、立候補者同士・支援者同士や、政党の中でのゴタゴタの確執があったようだ。

その中で最も気になるのが、首長と議会との関係だ。首長候補者は当たり前のように政党の支援を受け、その政党の議員候補者は当たり前のようにその首長候補者を支援している。住民もこのことを変だとも、不思議なことだとも思っていない。地方自治体の統治機構が健全に機能していない最大の原因は実はこの辺にある。

そもそも地方自治体は、行政府の長(首相)が議会(国会)の議員によって選ばれる議院内閣制の国政と違って、執行機関の長(首長)と議会の議員とを住民の直接選挙で選ぶ二元代表制をとっている。法律や規定では議会より執行機関の方を優位な立場に置いているが、近年では首長と議会との関係を一般に二元代表制と理解している。地方自治体の統治はこの二元代表制が健全に機能することが求められる。

二元代表制は憲法93条で定めているが、この条文を強く要請したのは中央集権国家から分権国家へ改革しようとした占領下のアメリカであったといわれている(帝国憲法には地方自治に関する条項は一つもない)。紆余曲折を経てこの形になったのは先人の並々ならぬ努力の結実である。

この戦後の改革で首長の直接選挙が採用され、自治体が国の監督から解放されたということは、かつて内務大臣が果たしてきた監督機能を自治体の議会が果たすようになったことを意味している。勿論、主権在民の現憲法下では、議会が持つ監督機能とは住民の持つ監督機能のことである。住民は日々の生活で多忙を極めており、常時執行機関を監督することはできないので、その代議員としての議員に監督業務を委ねているわけである。

従って、その議員は住民の多様な考えや、心情を汲み取って監督しなければならない。それは、教育・文化、仕事、日常生活等々様々な問題に亘るが、それらを、どういう視点や、コンセプトで見るかというところに政党による違いが出てきて、施策が変わってくる。

議会の議員が選挙で政党の公認を受けたり、推薦をもらったりするのは、その議員がどういうコンセプトで多様な問題を見て、執行機関を監督するかということを住民に明らかにし、住民に選択肢を与えるためにも必要なことである。

一方の首長はどうであろうか。

首長は強力な権能を持つ執行機関の長である。執行機関は本来住民の最大公約数的立場を取る、いわば、公正、中立な存在でなければならない。そこで執務する多くの公務員には厳しく中立性が要求されており、選挙においても多くの制約が課せられている。とすれば、その長たる首長にも厳しい中立性が要求され、政党色を持つなどとんでもないことになる。たとえ、その首長がどこかの政党に属していたとしても、立候補するに当たって、その政党から離脱すべきである。ましてや、現在のように政党が競って首長候補者を推薦したり、首長候補者が政党の推薦を求めたり、同一候補者への推薦相乗りを厳しく禁止したりするのは、本来あるべき姿の健全な自治体の統治機構を破壊するものである。

国民はこのことに全く気付いていない。

政党色は監督機関である議員が、執行機関を監督する時にその議員のコンセプトとして持つべきものである。

首長が政党色を持つことによっていろいろな弊害が生じている。本来監督する立場にある議員が首長の推薦政党に属しているということで首長と癒着してしまったり、首長が非推薦政党の議員の発言に全く耳を貸さなかったり、それでは何も出来ないということで、非推薦政党の議員までもが首長の与党になったりで、自治体の統治機能が崩壊の危機に瀕している。

最近でもこんな騒動があったらしい。

東京都知事が当選後に都議会各会派を挨拶回りした際、民主党の会派では「借りは返すからな」とタンカを切って立ち去ったとか。

これは渋谷区議会での民主党議員の公式発言だが、某新年会の乾杯の時に、たまたま隣に居合わせた区長に同議員がビールを注ごうとしたら「あんたに注がれると毒殺されるかも知れないからいらない」と大声で言われたとか。

宮崎県議の新人4人が「東国原派」の会派を結成したとか。

まるで首長・執行機関と議員・議会との関係を冒涜するような、低次元・低モラルの出来事が平気で起きており、それをマスコミも何の抵抗も無く、面白おかしく報道している。

 

我々の常識になってしまっている非常識を正常に戻し、地方自治の基本に立ち返るためには、先ず首長から政党色を一掃しなければならない。勿論、その首長が特定の政党に近い信条を持つことは自由である。しかし、それを首長という公的立場に持ち込むのは厳に慎むべきである。

その方策として最も効果的なのは、現在の地方自治法に「地方公共団体の長は政党に属してはならず、また、政党の支援を受けてはならない」という一条を入れることであるが、これは国会を通さなければならず、手間が掛かるので、取り急ぎ各政党間の自粛事項として、首長の支援・推薦はしないとの申し合わせをするべきである。

 

道州制を含めて、地方分権は更に進めていかなければならない。しかし、それに抵抗する中央官僚という巨大な集団が居る。彼らは常に「自分達がやっている地方行政以上のものを実施できるほど、今の自治体は人材を含めて育っていない。未だ早い。」と言っている。情けないことだ。

自治体は地方分権の受け皿として早急に態勢を立て直さなければならない。そのためには、首長を長とした執行機関と、その監督機関としての議会という関係を名実共に作り上げ、自治体を本来あるべき健全な姿に変革することが基本である。

そして、首長も議会も高いモラルで住民の公僕として励むことこそ、地方分権のために汗を流してきた先人の労に報いることにもなるだろう。