順法は十分条件ではない(その2)

東京都渋谷区 岡部 俊雄


 生活者通信068月号で「順法は十分条件ではない」という私の意見を述べた。

 このときは福井日銀総裁が、村上ファンドで利殖行為をしていたことに、当時の小泉首相や多くの政府関係者が、法に触れていないのでなんら問題ないと言っていたことに対する私の意見であった。

 今回は松岡前農水相や、赤城現農水相の政治資金団体・政治団体の事務所費の不明朗な支出に対する説明に関しての意見である。

 両人とも法律にのっとって適正に処理しているので何の問題もないと言い続け、安倍首相もその通りだと言っている。松岡前農水相はそれ以上のことを何も言わないまま自殺してしまった。

 我が国の大臣や総理大臣の倫理観の低さに心底怒りを覚える。こんな人達に美しい国など作れるはずがないし、そんなことを言ってもらいたくない。

 そもそも法とは前回も言ったことだが、全国民が守らなければならない最低限の定めである。

人間社会は法以上に多くの節度、礼儀、不文律、普通の約束事、エチケット、マナーなどの倫理観や道徳によって成り立っている。

 人々が、もし法さえ守っていればよいということで行動すれば、この人間社会は混乱の極みに達するだろう。その混乱を法のみで規制していこうとすれば、イスラム法典の何千倍も、何万倍ものきめ細かな法が必要になってくる。

 そんな不自由な社会は誰も望まない。

 この人間社会には、指導的立場にある人や影響力の大きい人から、社会に迷惑を及ぼす人や危害を加える人まで真に幅広い人々が共存している。

 その中でも特に指導的立場にいる人が高い倫理観を持たなければならないのは当然のことである。法とは低い倫理観の人でもこれだけは守れというものである。

 一国の大臣や総理大臣が、その法がザルであることを知りながら、法にのっとっているから何の問題もないということなど言語道断である。本当に情けない。

 これは自分達のことを法の網を潜り抜けようとしている、社会の最低レベルの人間であると言っているのと同じである。そういう最低レベルの人間でもその社会レベルに応じた倫理観は持っていると思う。指導的立場にある人がその立場に必要な倫理観を持っていないとすれば、そういう人達以下のいびつな感覚である。

 指導的立場に立つ人、立とうとする人は、先ず自分の倫理観のレベルを沈思黙考してもらいたい。それが低いレベルであったり、自分で自分のレベルが判断できなかったりしたら、即刻退場してもらいたい。

 法とは全国民に求められている必要条件であって、十分条件ではないということを肝に銘じてもらいたい。