民主党よ!政権与党になれるか?

埼玉県三郷市 高岸 保男


自民党の敗北は自滅だった。

まず、参院選に影響したのは選挙寸前の出来事ばかりだった。年金問題や閣僚の失態が続いた。選挙戦を通じて安倍首相は憲法改正や教育などの大問題を掲げて選挙をしたつもりだったが国民は全然関心がなかった。(私には大いに興味があったが)泥臭く民主党の向こうを張って、小泉前首相を見習、安倍首相に責任がなかったのでシングル・イシュウ戦術、「この際、社会保険庁、官公労をぶっつぶす」と。困るのは民主党ではなかったのかと、読売新聞8/18“なるか再生”で劇作家の山崎正和氏の興味深い記事が目に付いた。

敗因は色々あるが主因は地域経済再活性化に向け地方分権の推進と道州制の採用に安倍執行部、霞ヶ関官僚らは本気に取り組む姿勢を見せなかった(日経8/17大機小機参照)のではないのか。本稿ではそれをあまり問わない。

 

民主党の大勝その日から、小沢代表の試練と悩みが始まった。

民主党は来年四月、結党十周年を向える。党内では小沢派や左・右翼、反小沢派など大分して五つか六つのグループに分かれると思われるが、とりあえず小沢批判は鳴りを潜めた感がある。各誌の社説は総じて民主党に対してかっての野党のように“なんでも反対”ではなく、大人の対応や「政権責任」を分担せよ(読売8/16)と論じているのが目立つ。

今回の参院選対策で民主党は現職大臣の敵失(筆者はこれら一連の発言騒動はたいしたことではなく“しょうがない”と思うが)や、社保庁年金問題などの追い風を意識しながら小沢執行部は政策で軸足の違う前原誠司前代表や岡田克也元代表らグループの党内不満分子の理解と協力を得た。農村部、無党派層をどうやって取り込むか!それは『国民の生活が第一』とマニフエストの前面に掲げ選挙戦に突入。結果は小沢旋風が列島を縦断した。

 

衆参ねじれ国会での民主党の対応を国民が注視している。

今回は民主党が勝ったのではなく、また中間層(または無党派層)からの信任によるものでもないことは小沢執行部は百も承知だ。難問はいくつもあるが、まずはテロ特措法期限延長問題をどうクリアーするのかが最大のテ−マと思われる。

 ポスト小沢の思惑、小沢路線への疑問を口にする人は誰もいなくなった。政権視野を目の前にして強まる結束は喜ばしいことだ。しかし野心は衆院選後までお預けとし、上述の解決をしなければならない。考えられる事はひとつ目は大衆迎合と言われようが自民党に妥協。二つ目は小沢党首が否定したように参議院で否決か。しかし自国の国防をどうするか?。三つ目は、かって1998年7月「金融国会」で自民党内の司令塔不在もあり迷走したが、最後は自民、民主の若手議員が協議、取りまとめた案を政府・自民党が採用した。が、柳の下の二匹目のどじょうを探さなければならないが果たしているか。

〔注〕・・・最前線で活躍した若手とは、石原伸晃氏(現自民党幹事長代理)や、塩崎恭久氏(現官房長官)らが民主党の若手、枝野幸男氏(現民主党憲法調査会会長)らが政策に強い事から“政策新人類”といわれた。

 

めざすは二大政党。野党第一党の民主党はドイツに学ぼう! 

1968年、ドイツは非常事態に対応するため28か条の法の大改正をした。それには社民党(SPD)の力が大きかった。当時、野党である社民党執行部は改正に強硬に反対する学生や知識人と一線を画し、保守系のキリスト教民主・社会同盟と粘り強く修正作業を重ねながら改正にこぎつけた。これによって社民党は政権能力を国民に印象付け、一年後にはブラント政権が誕生した。政権交代を目指す民主党にとって十分参考にすべき「歴史の教訓」だと読売新聞橋本五郎編集委員(064/15)が論じていた。

 今の民主党に最もふさわしい言葉だと思うが皆さんいかがか。ご意見を賜りたい。また安倍内閣が早く、上品でお友達内閣、戦後レジームから脱し国民主権の憲法・骨太の政策・『美しい日本』づくりに時間を使って欲しい。