歴史の真実
沖縄戦の真実
今年の6月23日は戦後62年目の沖縄終戦記念日だった。多くの日本人が忘れているあるいは忘れようとしているあの戦争を沖縄の人々は決して忘れない、忘れてはならないと決意している。その時なにがあったのか、沖縄の人々にどのような運命がおそったのかを懸命に語り継ぎ、掘り起こそうとしている。─それは過去を記録するという行為にとどまらず、自分たちの現在そして子供たちの未来にとってあまりにも大切なものが埋もれているといっているかのような営みである。戦後ドイツの起こした悲劇を前に大統領ワイツゼッカーが歴史をあるがままに見つめ、決して忘れぬこと─そこからのみ未来は拓けてくるといったように。
その沖縄の人々を震撼させる出来事が今年起こった。沖縄戦での島民の集団自決に日本軍の指示、関与があったというそれまでの歴史教科書の記述が文科省の教科書検定で削除されたのである。この変化は、日本軍の指示、関与の物的証拠がない上に生き残った日本軍上官がそのような事実はないという訴えを起こしたことなどから意図されたという。別の元軍人は、軍の重要情報は敗走時、敵への漏洩を防ぐためそれを知る沖縄民間人を含め消去したから残っているわけがないといっているし、戦後の沖縄の人々は物的な証拠がないからこそ唯一の真実はそれを体験した沖縄島民の証言にあるというのである。
人々によって語られた体験談は、追いつめられた時日本軍がどのような行動に走ったかを雄弁に物語っている。島民は捕虜になるな、男は殺され、女は犯されると繰り返しいわれ、次第にそれは死ねということだと感ずる。洞窟に逃げ込んだ人々は日本の軍人が赤ん坊をかかえた母親に泣き声で米軍に見つかるから殺せと迫るのを聞く。戦いに敗れる時、日本軍は民間人も含め決して生きる方へは導かない。軍の指導者たちは自らはさて措き国民に対しては明示や暗示で死を強要する。このようにして沖縄戦では日本側の死者20万人余のうち10万人が沖縄民間人、兵士も含めると14万人近くが沖縄県民である。県民40万の3分の1以上が亡くなったことになる。
原爆犠牲者の真実
このような日本という国の戦争を考える時、私はもし米軍が日本本土に上陸し、徹底的な地上掃討戦を行ったらどうなったかを想像すると戦慄を覚えざるをえない。米軍の圧倒的な火力を前に降伏を許されない日本国民の死者は数百万の単位ではすまないだろう。実際は米国が本土上陸戦は米兵のあまりにも多大な犠牲が予測されることから、原爆投下という手段を選んだことは周知の事実である。だから米国では、原爆投下は多くの米国兵士を救った正義の決断といわれている。
しかし翻って考えてみると、原爆投下が日本政府の無条件降伏を決意させた引き金になったことを思えば、それは多くの米国兵士のみならず、それ以上に膨大な日本国民の命を結果的に救ったことにならないか。原爆の犠牲者や被爆者の方々には耐え難い論理であり、許し難い推論かもしれぬが、私には歴史の真実はそう指し示しているとしか思えぬのである。私たち戦後に生きる日本人は、原爆の犠牲となった人々は理不尽な理由で米軍に殺されたという事実だけでなく、膨大な日本国民の命を救ったのだという真実を決して忘れてはならない。原爆は日本のどこに落とされても不思議ではなかった。そう考えると私たちの戦後の平和と繁栄は、多くの日本国民の身代わりとなって亡くなった広島と長崎の原爆犠牲者の上に築かれたのである。
思い出の真実
最後に私が繰り返し述べている歴史の真実というものを明らかにしておきたいと思う。私は歴史が好きだが、専門家でないただの素人である。しかしいつも「歴史的事実」という言葉に違和感を覚えてきた。科学的事実という言葉も、それを認識するのが人間である以上、絶対事実というものはあるのかと思うが、科学はまだしも現在目の前で起こっていることが主な対象である。歴史はそうではない。人間が行ったことだが姿かたちはなく、抽象化され、実体のないものが対象である。いったい歴史的事実というものはあるのか─ニーチェは遺著『力への意志』で、事実なるものは存在しない、あるのは解釈のみであると語っている。ニヒリズムの診断書といわれるこの言葉の衝撃から19歳の私は哲学科に進むことになるのだが、歴史についてもこれ以上に核心を衝いた言葉はないと思う。ひとつの歴史事象に対して人の数だけの解釈があるとはどういうことか─歴史家にとってこれほど恐ろしい思想はないだろうが、私たち平凡な庶民にはまた違った意味を帯びてくるのである。
私たちが亡くなった家族を思い出す時、自然に行っていることはその人についての個々の正確な事実ではなく全体の強い印象をたぐることである。よく死んだ子の歳を数えるというが意味のないことをすると思う人はいない。母はその子の身になって思い出している。時間は止まっていない、母の心の中でその子は生きている。むしろ母はその子を忘れ得ない自分の心を見ているといっていい─これが真実な思い出というものであり、そういう解釈や評価を拒絶して動じないものが歴史の本質である。
アランは、歴史家は現代から過去をながめ、裁断するという奇妙なことをする動物といっている─なぜおのれを空しくして過去の人々の運命に立たないか、今は知られているその後のことなどまったくわからなかった過去の人々の身になってみないかと。
今から850年前の動乱期に式子内親王という人がいた。新古今集の秀歌「玉の緒よ 絶えなばたえね ながらえば 忍ぶることの よわりもぞする」の作者といわれる。恋が一字も入らぬこの歌は恋の極致である忍ぶ恋を詠んだ神品といわれる。昔から相手の詮索は激しく、定家とも法然ともいわれるが、内親王の秘めたものがわかるわけがないと考えるのが正しい。歴史家にとって相手の詮索は歴史的事実の追及だろうが、たとえわかっても53歳で独身のまま病死した内親王への後世の人々の真実な思い出に変化はないであろう。