大きな政府の末路

東京都文京区 松井 孝司


 3月4日、当会が民主党マニフェストの年金勉強会を開催した当日、社会保障国民会議の雇用・年金分科会の初会合が行われた。

塩川正十郎元財務相をはじめ出席者からは基礎年金の財源を全額、税にすることを求める声が多かったようだが、慶応大学の権丈善一教授は「基礎年金を全額税にすれば、崩壊が進む医療・介護などにお金が回らなくなる。経済界や経済界よりの学者・メディアは、公的年金は基礎年金に限り、医療は混合診療も解禁し、人々の生活を市場にさらした『小さな政府』を実現したいと夢みている」「年金破綻論のウソを国民に知らしめることが重要だ」と述べている。(3月6日付朝日新聞朝刊)

少子高齢化で拡大する年金の世代間不公平を容認すれば、確かに年金制度の破綻は回避できる。しかし、世代間不公平に不満を持つ若者の年金不払いは回避できず、老後生活保護を求める者が激増するだろう。

 民主党は年金基礎部分(最低保障年金)に消費税を入れ生活保護費と同額にして、所得比例年金を上乗せする「2階建て年金方式」を提案しているが、生活保護のために1人当たり必要な経費は、医療費・介護費を含め年金のほぼ倍額を用意する必要がある。

 大前研一氏は民主党案では2015年頃にはシステムが崩壊する可能性が高いとされ、抜本的な税制改革、または年金給付額の一律3割カットを伴う「新2階建て年金方式」を提案されている。

年金給付額の減額、または各種保険料の増額をしなければ年金だけではなく、医療・介護の制度も破綻する可能性が大きく、破綻は「大きな政府」の必然の結果であることを、国民に認識させることが重要である。破綻を回避するため政府は保険料の大増額を選択することは間違いない。今年4月から後期高齢者医療費を年金からの天引するのは、その先駆けである。

尤も、「大、小」という用語の意味するところは相対的なもので基準値を抜きにして大小を比較することはできない。政府の大小を比較するときも基準に何を選ぶかによって解釈は異なってくる。

 一般に国民負担が多く福祉を重視する北欧の諸国家は「大きな政府」とみなされており、市場経済と企業の自由な活動を尊重する米国は「小さな政府」の典型とされている。しかし、「福祉」と市場経済の「自由」は相反するものではなく、いずれも重視すべきもので両者を二者択一的なものと考えるのは間違っている。

「企業の自由な活動」が産業の生産性を高めて国民所得を増やし、国民負担の絶対額を増やして「福祉」を充実させることは可能であり、政府の大小を問わず国民所得を増やして生活の質を高め「福祉」の充実を図ることは望ましいことである。問題は付加価値を生まない政府と付加価値を生む民間セクターにおける資金循環のバランスである。

資金循環の規模は明確な数値として把握することができる。政府の大小は債務も含めた政府支出額がGDP(国内総生産)に占める比率をもって判定するのが適当と思われる。

国家の経済が全額公的資金で賄われていた社会主義国家は、当然のことながら大きな政府とみなすことができる。ソビエト連邦の崩壊、中国の変身で、社会主義国家はキューバ、ベネズエラなどの小国を残すだけになってしまった。しかし、破綻が危惧される大きな政府を抱える国家は社会主義国家以外にも存在する。

日本のGDP約500兆円に対して政府の一般予算年間約80兆円だけをみれば大きくはないが、200兆円を超える特別会計の支出を含めれば小さくはない。道路特定財源などの特別会計を温存し、バラマキ行政で1000兆円を超える巨額債務を累積してきた日本政府は明らかに大きな政府志向とみなすべきであり、大規模な政府のリストラを断行しなければ財政破綻の回避は難しいだろう。

欧州各国も日本同様、赤字財政をつづけていたが、マーストリヒ条約でヨーロッパ連合(EU)への加入に財政赤字をGDPの3%以下にするという厳しい条件を設けたことにより、EU各国の政府は軒並み「大きな政府」と決別し、財政規律を取り戻すことに成功している。

米国は歳出抑制によって1990年代後半から黒字化していた財政収支が、イラク戦争関連費用の増大によって2002年には再び赤字に転じ、改善の兆候が見られない。財政赤字の規模からみれば、米国は「小さな政府」ではない。

 国家の防衛は政府にとって不可欠の業務であり、大きな政府は戦争のためには有効に機能するが、戦争がなければ政府の軍事費は税金無駄遣いの筆頭に数えるべきものである。米国はイラク戦争の後遺症によって、膨大な軍事費の支出に苦しみ国家の威信・信用を著しく低下させつつある。

 サブプライムローンの問題がなくてもドル通貨価値の下落は必然であった。通貨価値の下落こそ、政府の大きさを測るよい指標になるのだ。

 社会主義、資本主義を問わず「大きな政府」は債務の増大、通貨価値の下落につづき、最後にはハイパーインフレなど財政破綻の運命が待ち構えているのである。

 米国では「自由」を尊重する建国の精神が、個人の自立を促し大きな政府への歯止めとなっているが、税金で組織を維持する政府への寄生者が増えると政府は既得権益の巣窟へと変わり、付加価値を生まない政府支出は資金循環の効率を悪くし、大きな政府による信用膨張が経済の質を劣化させる。

政府支出を減らし、付加価値を生む民間セクターへの資金供与を増やすことによってGDPを倍増させ国民の担税能力を高めることが望ましいが、政府に寄生する既得権益の壁は厚く、政府支出の削減は容易なことではない。

すべての政府にとって「小さな政府」は、実現が難しい永遠の課題なのだ。