江口克彦著「地域主権型道州制」の要旨(5)

道州制実現推進委員会副委員長 岡部 俊雄

生活者通信2008年2月号でPHP研究所江口克彦氏著の「地域主権型道州制」について、道州制実現推進委員会の平岡委員長が感想を述べました。道州制実現の推進は当会の二大目標の一つであり、また、この本の内容は我々が持っている問題意識や、考えていることとほぼ同じです。皆様にはこの本を是非ご一読頂きたいと思いますが、お忙しい方のためにその要旨を10回くらいの予定で連載しています。

 

(5)中央集権システムの限界

 

明治維新と国家総動員法

 なぜ東京やその隣接県だけが繁栄するのかといえば、その根本原因は現在の日本が中央集権体制という統治形態をとっているからである。

 明治維新。日本は列強と伍していくために、日本中の力を一つにまとめ、より強固な中央集権体制を確立し、すべてのものが東京に集まるようにした。そして、政府の指示が日本の隅々まで漏れなく行き届くように、みずからの手足になる人材を中央から地方に派遣した。

 また、「富国強兵」「殖産興業」のスローガンで、中央政府直轄の近代的な軍を強化し、政府直轄または指導による近代工業の育成をはかった。

 こうして日本は先進列強と同じような統治体制を短期間につくりあげ、近代国家に変貌し、中央集権的な体制を強化していくのだが、その極めつけが1938年の「国家総動員法」である。

 この法律は総力で戦争を遂行するために、日本中のすべての人的、物的資源を政府が統制管理し、運用できるようにしたものである。そして採算などは考慮されることなく、広範囲に及ぶものを国が一元的に統括するという社会主義的な体制がつくりあげられたのである。

 この軍国主義国家が制定した国家総動員法によって組み立てられた中央集権体制は、亡霊となっていまなお生き続け、今日の日本のあらゆる分野を徘徊し、混乱、混迷、低迷を引き起こし、人々の生きがいと夢と楽しさを奪い取っているのである。

 

中央集権で発展した戦後日本

 敗戦国となった日本は占領軍の管理下に入った。占領軍は日本の社会主義的な中央集権体制が軍国主義を促進したとしてはじめのうちは地方分権を進めていた。

 ところがアメリカは中央が地方をコントロールする体制が、自分達占領軍が日本全国を管理するには極めて好都合であることに気付き、軍国主義時代に日本が強化した中央集権体制を自分達の道具として活用し、日本を統治することにした。そして、日本が独立を取り戻してからは、再び日本政府がその中央集権的なシステムを使って、国の再建を進めていくのである。

 結果は周知の通り、敗戦間もない期間に、日本はアメリカに次ぐ経済大国に変貌すると同時に、世界的に見ると貧富の差の小さな「平等社会」となったのである。

 

地方を発展させるには限界がある

 中央集権システムはそれなりに日本の発展に大いに貢献したと評価すべきだが、多様化の時代になってくると、障害となってしまう。もはや、中央集権は日本を衰退衰微させる以外のなにものでもなくなってしまった。

 地方はいま生き残りのためにさまざまな努力をしているが、現在の中央集権体制が存続するかぎり、そのあらゆる努力は徒労に終わるに違いない。

 

官僚機構の弊害

 中央集権とは行政だけでなくさまざまな社会活動を中央政府が直接主導していくということであるから、当然それにたずさわる官僚機構は大きくなる。

 官僚機構は、規則万能、責任回避、秘密主義、画一主義、権威主義、自己保身、形式主義、前例主義、セクショナリズムに陥りやすいといわれている。中央集権によって形成された日本の官僚機構はまさにこのような弊害を内包しているのである。

 

政治の借金はもうすぐ2000兆円

 2007年度末に国と自治体の借金の合計は773兆円である。これに財投債、政府短期証券、借入金などを合計すると1000兆円を超えている。このままでいけばすぐに2000兆円になってしまう。財政赤字を増やしていくということは、自分達は楽な思いをしておきながら、わが子や孫に苦しみのツケをまわすという「孫子いじめ」にほかならない。

 政府はプライマリーバランスの均衡を目指しているが、現在の中央集権的な国の形が変わらなければ本質的な解決にはならない。政府、霞ヶ関からは現場が見えないのである。中央集権では机上の計画さえうまくできればよいのであって、現場の状況などどうでもよいのである。

 

特殊法人という奇妙な企業

 中央集権体制は各省庁の下に特殊法人という奇妙な企業も生み出した。

 この企業は「親方日の丸」の放漫経営をし、傘下に作った関係会社・法人で不当な利益を上げ、しかも官僚の天下り先になるというものである。現在は特殊法人等改革基本法で整理縮小、移管、民営化の措置がとられつつあるが、中央集権体制がなくならない限り、その性質が根本的に変わるはずはない。

 

規制と保護が「競争」を阻害する

 政府による必要以上の「規制」や「保護」も中央集権のマイナス面である。

 現在のようにボーダレス化した経済社会においては、規制や保護は企業の独創性を阻害し、市場における自由な競争と発展を抑制している。日本国内の経済活動や社会活動に霞が関から眼を行き渡らせるのは事実上不可能である。なぜ不要になった規制や保護が存在するかといえば、官僚が既得権益を守ろうとし、それによって利益を得てきた事業者や従業員も廃止に抵抗し、そうした人たちを支持者に持つ政治家も自分の政治基盤を維持することが優先しているからである。

 バブル崩壊後の歴代政権がこの改革に取り組んできたが、中央集権的統治制度が続くかぎり、改革の効果はおのずと限度がある。

 中央集権の弊害をなくすためには、弊害の対処療法ではなく、中央集権という弊害の根源を崩し、「地域主権型道州制」に大きく国の舵を切らなければならない。

 

消えた自立心と責任感

 日本の中央集権的なシステムは、日本人の精神構造までゆがんだものにしてしまった。

 自治体の首長や議員は永田町や霞が関を訪れてひたすら陳情をし、国会議員は国政のことはそっちのけで、地元利益、特定企業の利益の代弁者のようになってしまった。

 また、霞が関の官僚の中には、自分達こそが国の支配者であると勘違いするウスラトンカチすらでてきてしまった。

 一方、国民の間には自立心と責任感が消えうせ、「甘え」や「たかり」、「あきらめ」や「無関心」の精神が蔓延してしまった。

何度も繰り返しているように、「中央集権は諸悪の根源」であるという所以である。

 

複雑・高速の時代に対応できない

現在の日本の状況をみると、戦前に作られ、戦後も形を変えながら維持されてきた中央集権的な国家体制は、かつては日本に高度成長をもたらし、国民を豊にしたかもしれないが、今となっては日本を破滅に向かわせている。その理由は大きく二つある。

一つは、中央集権的な国家体制では、複雑かつ高速化し、さらに統合されつつある国際社会、とくに経済活動に対応できなくなっていること。

もう一つは、中央集権的な国家体制によって、中央政府が肥大化し、国家財政を逼迫させていることである。