宮本文雄氏の「陣中日誌」について

              神奈川県藤沢市 清郷 伸人


1.生活者通信ホームページに「陣中日誌」が掲載される経緯

 「陣中日誌」(以下日誌)の執筆者、宮本文雄氏は1913年(大正2年)生まれの94歳だが、近年肺を患われ、医師から遠出禁止を命ぜられたため、今年5月私が近くの小金井公園に行き、半年ぶりに旧交を暖めた。そのおり「俺も長くないが、戦時中に書いた日誌がCDに残っているんだ」とつぶやかれた。おつきあいして30年近くなるが、初めて聞く話である。

私は是非見せてもらいたいと頼み、CDを送ってもらった。一読して驚いた。内容は昭和13年3月から8月までの短期間だが、A4版で43枚あり、招集されて宇品港から大連へ北支戦線に参加した一歩兵の生の記録である。

 日誌は事実と感想を氏の性格そのままに飾らず、淡々と綴られている。単なる回顧譚に終わらない現代的なアクチュアリティを私は感じ、なんとか公にしたいと思った。

そこで生活者通信の編集部に相談したら、会報に載せることはできないがホームページになら載せてもよいといわれ、私が紹介文を書いている次第である。

 

2.宮本氏の人となり

 氏は19138月米国シアトルに赴任した日本人夫妻の4人兄妹の長男として生まれ、14歳の時、故郷の島根県出雲に帰国した。氏が米国育ちということは重要な鍵で、今でも「タイム」誌を読む言語力のみならず、物事の本質を合理的なリアリズムでとらえる思考力に私はいつも啓発されてきた。

 帰国後、両親が日本語教育に役立てようと習わせた俳句は、氏の一生を貫く自己表現となる。金子兜太とも親しく、自らも俳句結社「とらいあんぐる」を主宰する。句集多数の他自伝や英文俳句文集なども出版している。

 終戦まで東芝の戦時兵器(ロケット)研究員という技術屋だった氏は、戦後日本のプラスティック産業勃興の一翼を担った。青年時の劇作や小説で身を立てる夢を捨て、10年前までプラスティック関連の産業技術誌出版社を経営していた。

 

3.日誌のアクチュアリティ

 氏は日誌の始めにこう記している─「この陣中日誌は、赤紙召集されて浜田聯隊で鍛えられ、昭和十三年に北支方面軍の独立守備隊要員として内地を出発する日から付けている。 戦地へ向かうのだから、自分に万一の事があった場合に、部隊の誰かにこの記録を読まれては困ることもあり得るので、半ば暗号的・半ば自己流コードで書いてあるので、それを茲に解訳清記して、ぼろぼろに近くなった現物ノートは廃棄する。」そして当時の部隊、戦闘の大局的位置づけのため戦時中の中国現代史を略述する。現代中国誕生前夜のすさまじい歴史がうかがえる。

後は日誌の生々しい描写が続く。例えば「勤務の下番で休んでいると、死刑の執行があるから小隊から五名ずつ出て来いと云うのである。そこで自分を入れて五名が選ばれて、宣聖会医院と師範学校の間の荒れ野原へ行った。各部隊はずらっと整列していた。日本人会の婦人も混じっていた。約三十人の兵士が着剣をして式の宣告を待っていると、歩兵隊に縛り上げられて四人の便衣の死刑囚が、静かに観念して現れた。

 四人は座らされて、通訳を通して今村宣撫班長の宣告が伝えられる。「我々は今神と成り代わり東洋永遠の平和の為に汝らを死刑に処す。何卒今度生まれ変わった時には立派な心の人間となり大東洋の為に尽くすように」と言った意味の事が告げられた。

 それから感深き銃殺の場面である。先ず銃殺刑の二人でその一人は匪賊でその匪賊隊の長である二十九路軍の少佐である。名前は覚えていないがこの少佐某の落ち着いた態度は全立ち会い者の目を引いた。二人は掘られてある自らの墓穴に背を向けて立たされ後ろから二人ずつ計四名の歩兵隊員に銃殺されるのである。銃殺は十メートルも離れて照準を合わせて打つのかと思ったら、そうで無く頭の髄に銃口を着けて打つのである。百発百中である。パンパンと音がすると便衣の匪賊はだだっと倒れた。少佐は倒れないので、更に続けて二発うちこまれた。少佐某は尚悠然と大空の彼方を睨んで立っている。並びいる者は皆驚いている。結局七発か八発目の銃弾で倒れた。そして静かに横たわった。さすがに無頼の集団である匪賊の統率者たる男であると思った。この異国の敵である少佐某の見事な最後には敬服の外無かった。賞賛すべき敵将校である。

 残る二人は我々が死刑執行するのである。一人は銃剣で一人は日本刀で行うのである。戦闘中の敵兵は遠くで見えないから分らないが、こうして縛り上げられた無抵抗で生気を失った人間の体を刺すのは難しい。」

 日誌の途中、幾編かの短い小説が挟まれている。戦時中に書いたものらしいが、不思議な余裕である。宮本氏のリアリズム精神は軍隊でも死ななかったようである。ただ氏は軍隊とは理性を捨てる所、戦争とは人間の獣性がむきだしになる所と言い切っている。

 私たち戦後日本人は、太平洋戦争の真の総括をまだ行っていない。忘れ去ろうとする性行も強い。この一編の日誌はあの戦争で没したかもしれなかった一兵卒の書いたものだが、それは大勢の声なき民の稀有な発言という意味でも、重要なアクチュアリティを持っていると私は考えるのである。


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宮本文雄氏の「陣中日誌」は、当会ホームページの会報『生活者通信』の2008年7月号の目次の「08頁:宮本文雄氏の「陣中日誌」について(清郷伸人)」の下にある ≪宮本文雄氏の「陣中日誌」≫ のところをクリックして頂きますとお読み頂けます。

http://www.seikatsusha.org/se-tusin/se-2008/2008-07/p-08+.htm        (事務局)