投機と投資

東京都文京区 松井 孝司


高金利で資金を調達していたアイスランド、リーマン・ブラザースなど米国の投資会社の破綻で俄かに世界経済の風向きが変わり、新自由主義の崩壊と投資ブームの終焉が叫ばれるようになった。

しかし、自由な経済活動と投資を否定したら世界経済の低迷は避けられないだろう。

投資家のG・ソロスやジム・ロジャースらは早くから米国のバブル経済に警告を出していたし、弱者から高金利を搾り取るサブプライム・ローンの破綻は、新自由主義を持ち出すまでもなく予測できたのに、不動産ローンを証券化した金融商品を正しく評価できなかったことが問題であった。ファニーメイのような巨大な政府系住宅金融機関がなければ、今回の金融危機は無かったという意見もある。

イラク戦争などにつぎ込んだ政府の膨大な資金が巨大な投機マネーとなって世界を徘徊し危機を拡大したのだ。世界各国のGDP(国内総生産)をはるかに凌駕するカネ余り社会をつくった「大きな政府」、通貨の過剰流動性こそ、元凶と見るべきだろう。

投機による収益は「土地ころがし」と同じで、米国の金融立国による繁栄は投機による信用膨張が生んだ幻想だったのである。理不尽に膨張した信用は必ず収縮する。投機が急速な信用収縮を促進し、金融危機をもたらしたのである。GDP(=付加価値の総和)をはるかに上回る信用の膨張を許してはならないのだ。

今も投機マネーは無くなってはいない。次の獲物を虎視眈々と狙っており、愚行の歴史は繰り返されるに違いない。

投機は金融危機をもたらしただけではなく、投機によるマネーゲームは所得格差を不当に拡大し、同時に投機の敗者の人生を破壊する。

新自由主義や投資行動が悪いのではなく、悪かったのは実体経済を無視した「投機」である。多くの人の信用で維持される通貨は「公共財」であるとの認識を全世界が共有し、理不尽な信用膨張や信用収縮を誘発する「投機」は規制すべきことを教えてくれたのだ。

経済学者の中には「投機」と「投資」の違いは紙一重であり、実際に経済活動が行われる現場では投機と投資の区別をつけることは難しいと考える人がいるが、そうだろうか?

投機的資金の流れには、「実体経済」とかけ離れた資金循環という明らかな特徴がある。

モノまたはサービスの供給を伴わない資金の流れ、例えば、短期間の取引、先物取引やレバレッジによる取引などは容易に区別できる。株式のデイ・トレード、空売りはその一例であり、このような投機的取引を規制することは可能である。

政府による過剰な規制が、経済発展を阻害することは社会主義国家で実証済みであり、規制すべき取引と、規制の必要が無い取引を峻別する必要がある。

投機を規制できれば、自由な取引を容認する市場経済のシステムは、社会主義国家が実践し失敗した計画経済、統制経済よりはるかに優れたシステムであることは間違いない。

問題は投機を規制する方法であり、規制の対象となる金融機関は2種類に分ける必要があると思われる。利潤追求を目的とせず、公的資金の投入を許してよい公有の金融機関と、果敢にリスクを取り、高配当を期待する私的投資会社への分離である。

投資は付加価値創造の源泉である。しかし、付加価値の創造は誰にでもできることではない。投資会社には監視を強化し、レバレッジによる投資、短期の取引や先物取引を規制し、破綻のリスクを軽減する必要があるのだ。

一方、公有の金融機関は通貨の流通と信用を維持するための機関であり、投資のリスクは取らず、法人、個人への融資、送金、決済などの短期取引を主目的とする。

実際に破綻の危機にある欧米の銀行は次々に公有化されているし、日本でも公有のままの金融機関は多い。具体的には投資を目的としない日本銀行や民営化された「ゆうちょ銀行」の株式は永久に売却せず、国または地方政府が所有し、資金不足に陥ったら政府の責任で信用創造(貨幣または債券の発行)を許し、健全な融資先の破綻を防止し、日本がデフレ経済に陥ることを回避することを使命とする。

米国では銀行の株式所有は禁止されており、金融危機の震源地となったのは投資会社である。日本では多くの銀行が投資会社に近い業務を行っており、所有する株式の評価損が大きくなり時価会計を凍結せよとする要望が出ているが、公有の金融機関となる途を選択し、高金利のジャンクボンドや株式を所有しなければ評価損とは無縁になる。

公有の金融機関は経営者を厳選しなければならない。融資や債権回収で信用膨張や信用収縮をもたらさないよう、経営者には通貨の本質とグローバル化した経済をよく理解し、臨機応変に世界経済の変化に対応できる人材を選出する必要がある。巨額の不良債権をつくった新銀行東京は、設立の趣旨はよかったが経営者の選別に失敗したのである。

倒産の心配がなく融資の権限を持つ公有の金融機関は、税収に苦しむ政府以上の大変な利権を持つことになるので、既得権益の巣窟になりやすい。経営者には任期を設け、特定の融資先を優遇したり、収益を私物化して職員を高給で遇したり、円の独歩高を容認したり、日本のデフレ経済を長期間放置するような人を公有金融機関の経営者に選んではいけないのである。

公有金融機関の経営者には見識と実績を問い、人材を公募すべきかもしれない。