八ッ場ダム東京地裁判決について

・・・司法が「行政の下僕」の典型的な判決・・・

埼玉県所沢市 河登 一郎


1.4年半前に15県でいっせいに提起した「八ッ場ダムを止める」住民訴訟の最初の判決が、511日に東京地裁で言い渡されました。東京地裁で一番広い103号法廷を埋め尽くした原告/傍聴者の前で言い渡された判決は、一部「却下」、その他は「棄却」でした。ほぼ完全な原告敗訴です。

2.100ページを超える判決文を要約することは簡単ではありませんが、ポイントは、

(1)被告(東京都他)弁護士が主張した「門前払い」(ダムが必要か否かは政策判断だから住民訴訟にはなじまないと実質審議に入らない)にはせず、実質審議の形は取りました。

(2)しかし、実質審議したとは言っても判決理由を読むと、被告側の主張はほぼ鵜呑みにして認めている反面、原告側の主張は都職員が回答できなかった論証でも「論拠として不充分」と切り捨ています。典型的な「行政寄り」判決です。

3.判決は、良くも悪くも裁判長の価値観と人生観で決まります。今回の判決文を書いた裁判長の経歴を見ると、東京地裁の前は最高裁行政局第1課長、今回の移動後は同じく最高裁事務総局情報政策課長です。西川伸一明治大学教授の名著「裁判をしない裁判官」を読むと、最高裁には「最高裁事務総局」という部局があり、そこでは<エリート>といわれる<裁判をしない裁判官>たちが、全国にある裁判所や裁判官の人事・組織などを管理しており、さらに法務省を中心として行政各省との人事交流を行っています。

4.日本国憲法では、立法;行政;司法の三権が分立して「国のかたち」を形作っており、お互いにチェック機能を果たしながらより公正な政治を行う建前になっていますが、このような現実を見れば、行政訴訟において多くの裁判官が行政寄りの判決をしている背景が良く分ります。別言すれば、司法が行政の応援団に<なり下がって>いると言えます。

5.しかし私は、今回の判決が逆に面白い展開の発火点になるのではないか、とひそかに期待しています。その理由は、この判決を書いた裁判長にとって本件は最初から「結論ありき」ですから、原告側の問題提起を一つ一つまじめに検証せず、行政が苦し紛れに書いた主張をほぼ鵜呑みにする反面、原告側の緻密な積み上げを<論拠不十分>として切り捨てているので、論理的な弱点が多いはずだからです。原告側の優秀な弁護士諸兄姉を心から応援しましょう。

6.もう一つの権力である「行政」が、多くの場面で腐敗しきっていることはもう隠しようもありません。地方自治体の首長を経験されて国会議員になられた方は少なくありませんが、<中央は一体どうなっているのだ>と怒り狂っておられます。<官僚のやりたい放題天国>ではないか。某野党議員の発言から;

(1)税金ムダ使い放題:実態は国民の想像をはるかに超えています。

(2)天下りし放題:公益法人・特殊法人への天下り批判をかわして無数に作った「独立行政法人」で従来以上の無法が行われています。

(3)情報隠し放題:「廃棄した」「紛失した」「存在せず」「確認できない」「個人の私的メモ」・・・重要な情報がなんとたくさん国民の目から隠されていることか。

(4)法律を捻じ曲げ放題:法律で規定した理念を、政省令で勝手に逸脱している。

7.「政治」を変えましょう。政治は国民が本気になれば自分達で変えられます。もちろん「政権交替」しても効率の良い・クリーンでオープンな政治が一挙に実現するほど甘くはないでしょう。しかし、替えることは最低必要条件です。オープンでクリーンな社会を実現するためには、政治の世界でも<公正な競争>が不可欠です。さらに、「永田町」内での勢力争いよりもっと重要なことは、「永田町=政治=有権者=国民」が「霞ヶ関=官僚権力」から国と税金を取り戻すことだと思っています。