第8回高裁審理―意見陳述にて結審

〈裁判ドキュメント─13

神奈川県藤沢市 清郷 伸人


2009616日午前11時、東京高裁511号法廷で混合診療における健康保険受給権確認訴訟の第8回控訴審弁論が開かれた。2008年3月から今年5月までの準備手続きが終わり、法廷での審理に戻った。そして今回で控訴審は結審し、後は判決を待つことになる。

久しぶりの法廷である。やはり広い法廷で、傍聴人に見てもらい、審理する方が裁判らしい緊張感もあり、気持ちの引き締まるものがある。法廷には、私からのメールの案内で生活者主権の会から大崎さんや田代さんたち7名の方が傍聴に来られた。またメディアも一般紙、専門紙、雑誌等10名くらいの記者の方が来られた。

裁判所からは裁判長1名と裁判官2名、控訴人の国からは代理人を務める法務省訟務部検察官と厚労省担当官が計6名、被控訴人側は私と本田弁護士、和田弁護士、田中弁護士、長越弁護士の5名が出席した。

最初に、裁判長から前回で準備手続きが終わったので口頭弁論に戻すことが宣告され、次に裁判官の異動があったことが告げられた。そして弁論準備手続の結果を陳述することの確認があり、次に被控訴人である私の意見陳述について原告、被告双方の確認後、裁判長は私に真ん中の席で意見陳述をするよう促した。

その時が来た。一審、二審を通して最初で最後の意見陳述である。一ヶ月間練りに練った原稿を手に、私は立ったまま法廷に響く大きな声で読み上げた。少し早口に、強弱をつけながら予定の10分を超えて陳述した。

私の意見陳述が終わると、裁判長は判決の予定を929日午後115分と告げ、閉廷となった。

こうして控訴審はすべての審理を終えた。あとは裁判所の判断を待つのみである。一審の判断を維持するのか、覆すのか。控訴審において国が提出した書面に、原審にない新しい主張はないと思う。新しい証拠が出なかった控訴審で一審の判決はどうなるのか。二審の判決とその根拠はどう示されるのか。929日は日本の医療制度と人権にとって歴史的な日となるであろう。


 

≪控訴審最終弁論被控訴人の意見≫       清郷 伸人


はじめに意見陳述の機会をいただいたことに御礼申し上げます。

 

日本における進行がん等重病患者をめぐる状況

毎日のように日本の病院で繰り返されている悲劇があります。「もう治療はありません、ホスピスに行ってください。」日本人の2人に1人がかかるといわれるがん治療の最前線では、患者や家族が医師にそう告げられて絶望の淵に追いやられています。しかし、それは国の認めた保険という範囲の治療はないということで、世界で有効性、安全性の認められた薬や治療はまだあるのです。ただ日本では保険でないために医師は実施できないのです。日本の審査や承認があまりにも遅いだけではなく、コストが高いため保険承認の申請すらされないものもあります。このような行政制度の壁で助かる命が失われているわけです。病院や医師の勇気ある好意で、保険外の世界標準薬や医学的根拠のある先進治療が行われることもあります。実際、臨床現場では保険外の先進医療を求める声は多く、潜行して行われているとも聞きます。しかし万一露見すれば病院の保険指定停止や保険医療費返還という厳罰が待っており、医師も患者も萎縮しています。したがって現状では保険治療の尽きた患者は、死を待つだけなのです。私もそうなる可能性のある進行がんの患者です。

 

2.この状況を作り出した医療制度

日本では保険医療機関は感染症など急性期疾病だけでなく難病化、重病化するがんなど慢性期疾病に対しても一律に保険内診療しか許されていません。認められた少数以外の保険外診療は禁じられ、もし実施したら併用する保険診療の保険給付は停止され、全額自己負担となります。この結果、世界標準の抗がん剤の4割が使えず、日々進歩する治療も死に瀕した患者に届かないという状況が続いています。これが今の日本の保険医療制度です。

 

3.この医療制度の存在理由とされているもの

このような患者の生存権を侵すほどの権力行為の理由とされているのが、一つは医療の平等性の確保、もう一つが安全性の確保といわれているものです。平等性の確保とは国民皆保険制度のもと国民は等しく公平に医療を受けなければならないというものです。それは理念としては正しいのですが、対象世帯の1割以上が月々の保険料を払えず、保険証を取り上げられたり、保険治療の自己負担分も払えない人が多数存在する一方で、差額ベッドという月に何十万もかかる費用が公認されている現状があります。さらに保険指定を受けない医療機関では自由診療が認められ、病院が決めた高額な費用を払えばそれはいくらでも受けられます。歯科では昔の差額徴収のような混合診療は公然と行われています。医療が平等でない現実がすでにこれほどあるのです。一方で他に治療がないような窮地の重病患者が保険外診療を受けた時だけ行政は平等性が壊れるという理由で保険給付停止という懲罰を加えるのですが、そこにおいてこの理屈は矛盾しており、苦しむのは裕福でない重病患者だけです。まさに弱者をムチ打ついいがかりです。

保険料をキチンと払った上に自費で保険外診療を受けただけで一切の保険を取り上げられるなら、では自費で個人年金を契約したら公的年金は取り上げられるのですか。私塾に公立学校の子弟を通わせたら退学になり、罰金を払うのですか。このように保険外診療の併用を禁ずるための平等性という理由は見せ掛けで合理性はありません。保険外診療を併用しても保険診療には保険を給付する方が平等に近づきます。

次に安全性の確保ですが、ここでも自由診療の問題が浮上します。自由診療という保険外診療が危険だから、それと保険診療との併用は認めないというのが国の理屈ですが、それならなぜ危険な自由診療を野放しにするのですか。すべての医療機関に保険指定を義務づけないのですか。自由診療が存在する以上、誰でもそれを受けられます。保険診療を受けている患者も他の日に他の病院で受けることは十分可能です。保険診療だけ安全を検討して保険外診療は知らん顔というのも医療の安全性からは矛盾した話ですが、それでも世間で医療事故や薬害が多発しているということはありません。

なぜ多発しないかというと医師法や医療法や薬事法といった医療の安全性を担う法律があって、機能しているからです。そもそも健康保険法というのは本質的には患者が医療を安価に受けられるための経済的支援法なのです。経済的支援法で安全性を確保しようという発想が誤っているのです。

国はこの平等性と安全性の確保という理由から、健康保険法には明文規定はなくとも保険外併用療養費(旧特定療養費)の反対解釈によって混合診療禁止原則の趣旨を持つといっています。しかし理由があれば規定は要らないというのも暴論ですし、その理由も、平等性は事実として崩れている上、保険外医療が保険医療に悪影響を及ぼして安全性を損なうという立法事実の証明はありませんでした。それも当然で医療の安全性と保険は本来別問題なのです。保険であろうがなかろうが医療は安全でなければならないのです。

 

4.健康保険法の解釈と混合診療

一方、健康保険法の意義は大きく、国民が安く公平に医療を受ける上での基礎的社会保障です。だから保険財政の破綻は防がねばなりません。保険外併用療養費制度はそのための立法です。先進医療をすべて保険にしたら財政が破綻するから一部の先進医療には診察、検査など基礎部分に保険を給付する、あとは自費でやるという制度です。もちろん保険診療には保険を給付します。それだからといってこの制度に他の先進医療を併用した場合は保険診療まで奪うという規定などありません。そもそも従来公認されてきた差額徴収という混合診療の一部が特定療養として制度化されたからといって、その反対解釈で保険診療という最重要な国民の権利を奪うことなど許されるはずがありません。

原判決は健康保険法を精査して、私の保険受給権剥奪に法的根拠はないと判断しました。しかし混合診療の是非についての判断は留保しました。だから国は控訴ではなく保険受給権剥奪についての立法措置を講ずればよいのです。混合診療は難病患者の私にはメリットが大きいのですが、保険指定停止というペナルティが病院に課される以上、実施できない状況に変わりはありません。しかし国が混合診療の禁止と被保険者の保険受給権剥奪をセットにして規制をかける以上、私の請求が認められれば禁止規制に影響が出ることは避けられないでしょう。

これほどの強権をもって国が禁じている混合診療について考慮すると、デメリットもありますがメリットの方がはるかに大きいと考えます。さきほどその平等性、安全性について述べましたが、他に知識や情報の少ない患者が悪徳医に引っかかるという懸念も禁止の理由といわれています。しかしそれは過大なパターナリズムというべきで、国が免許を与えた大部分の医師を信頼して重病や難病の患者のニーズに応えるべきです。悪徳商法の多発する通信販売でも禁止になることはありません。ニーズがあり、そのデメリットよりもメリットが大きいからです。悪徳商法には商売を禁ずるのではなく法的罰則で対処しているように悪徳医には厳罰を科すのが正しいのです。保険治療の効果がないためにやむなく保険外治療を求める患者の選択肢を奪うことで悪徳行為を防ぐなど本末転倒の考えです。悪徳医師を出さないために患者から薬を取り上げるという論理です。

保険治療の尽きた難病や重病に苦しむ患者のためにも、混合診療はルールを定めて原則解禁すべきと考えます。

 

5.審理過程そして憲法判断

私は混合診療における保険受給権剥奪には法的根拠がない、この行政措置は違憲行為であると原審から一貫して主張してきました。これに対し、国は原審では療担規則と医療の不可分一体論および保険外併用療養費制度の反対解釈論を法的根拠として主張し、敗訴すると健康保険法の成り立ちや経緯、立法者意思を持ち出して混合診療ははじめから禁止されていたことを控訴の理由としました。しかし控訴審で立法精神が立証できないとなると、特定療養費制度以降には禁止の趣旨を持ったと言い出しました。国はいったい何を法的根拠と確信してきたのでしょうか。

たとえば憲法29条2項には「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律でこれを定める」とあります。それは、公共の福祉の要ともいえる健康保険受給権は給付も剥奪も法律で定めるよう憲法が命じていると解釈できるのであります。憲法のいう法律で定めるとは、明文で規定するという意味です。憲法は、法律内容を明文規定でなく趣旨とか反対解釈で解釈することはきわめてあいまいで恣意的になりやすく、行政権力が濫用しやすいことを見抜いております。だからこそ法治国家においては、法律の明文規定によらないで行政が国民の権利を奪うことは許されないし、同時に法律を作る立法府の責任も憲法は明示しているのです。

私は健康保険法に私の保険受給権を剥奪する根拠はないと主張いたしますが、万一根拠があるとされたら、今度は健康保険法の違憲判断を求めねばなりません。憲法で保障された国民の基本的人権は、法律に具体化されて守られるのが法治国家の第一条件と思います。しかし基本的人権が国籍法やらい予防法などの法律によって破られてきたことも事実です。私の保険受給権は法律ではなく裁量行政によって違法に破られた例と思っていますが、司法の判断次第では法律によって破られたことになるかもしれません。

その場合、健康保険法によって毀損された基本的人権とは、まず何よりも自ら望み、必要とする医療によって命を少しでも保つ生存権、納付義務を果たした被保険者間の給付に関する看過できない不合理な差別という平等権、税金とは別に強制徴収された保険料の対価としての給付という財産権であります。

私の場合、がんの転移の確定後、放射線治療に続いてインターフェロン療法とLAK療法の併用が4年間行われ、そのため症状は悪化せず日常生活を送れたのですが、この混合診療が公になったことで、LAK治療は中止となりました。保険受給権の剥奪によって混合診療を禁ずる現行の医療制度は、患者から治療効果を期待できる医療の可能性の芽を摘んでいることで、患者の治療選択権、医療における自己決定権を侵し、その結果生存権を侵しております。また正しく保険料を払った被保険者が保険外診療を一つ受けただけで、保険受給権を奪われるのは、保険診療のみを受けて保険を受給する被保険者との間に生命と健康と給付に関する看過できない不平等の扱いを受けているといえます。また健康保険は支払った保険料の対価ですから、法的にも被保険者の財産といえるものです。個人の財産を国といえども奪うには、相当に重大な理由が必要ですが、混合診療がそれに当たるとはとてもいえないと思います。

このように健康保険法によって、私が憲法で保障された基本的人権をこれほど侵されているとするならば、私は健康保険法に対して違憲の判断を求めるのであります。

 

6.まとめ─私の訴えの真実

この裁判で私が求めているものは、命の瀬戸際に追いつめられた難病や重病の患者が、世界の標準治療や先進治療を知る医師と話し合って選んだ治療が今の日本の保険で認められていないというだけの理由で、それを受けた途端に医師の診断やCT検査やインターフェロン治療のような保険診療まですべて保険給付を取り上げられて自費になるだけでなく、それら大切な保険診療そのものを受けられなくなるという理不尽で非人道な国家権力の停止であります。

本件裁判官各位の英断を希うものであります。有り難うございました。


 

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