補正予算の見直し、来年度予算の概算要求、そ
して事業仕分けと、政治の根幹である予算の編成
作業が国民に見える形で展開されている。
とりわけ事業仕分けは、公開の場で行われ、ま
たインターネットでも中継され、国民が直接見る
ことができるようになっている。その様子は連日
マスコミによっても報道され、いろいろな経路で
国民に伝わっている。
その俎上に載った事業のほとんどは廃止や削減、
見直し等の厳しい査定をされ、仕分け人の質問に
返答に窮する官僚の姿が毎日のようにテレビで流
されている。
このような状況に対して、「公開処刑だ」とい
った言葉が飛び交い、また検討の時間が少ないと
か、財務省主導だとの批判も噴き出している。
しかし、官僚にはともかく、一般国民にはおお
むね好評のようだ。
一度つけられた予算がほとんど見直されずに継
続されてきたこれまでの惰性を一度断ち切り、現
状においてもそれが必要かどうかを改めて検証す
る。その姿勢が評価されているのだろう。
それにしても今回の事業仕分けは画期的である。
これまでベールに包まれていた予算審議が実況さ
れただけでなく、その中で官僚がその事業の正当
性を説明できない姿が、その実情の把握があいま
いで、いかに惰性で運用されてきたかということ
が国民の前に明らかにされたのである。
テレビ画面では切り込む政治家の姿がクローズ
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アップされたが、官僚がその事業の進捗状況を、
その必要性をしっかりと把握していればあのよう
な一方的な展開にはならなかったはずである。事
業仕分けに出席した官僚は、官僚側のその事業の
スペシャリストだと思うが、それがあの体たらく
だったわけである。
ただこの事業仕分けは、決定ではなく、あくま
でも過程である。概算要求が95兆を超えたとき
もマスコミは大騒ぎをし、その時にも触れたが、
概算要求は要求であって決定ではないし、今回の
事業仕分けも最終決定ではない。
スーパーコンピューターの見直しなどに危機感
を感じた科学界が早速反撃を始めているが、反論
はどんどんすればいい。事業仕分けはあくまでも
通過点なのだから、改めてその必要性の説明が納
得できるものであれば、当然政治判断で予算案で
は復活するであろう。
もちろん、事業仕分けで疑問とされたものを再
度ひっくり返すには、それを是とする十分な説明
がなければならない。政治家がその必要性をどの
ように説明するのか、国民は今度はそれを注視す
ることになる。
高度成長が終わり、「AもBも」ではなく、
「AかBか」を選択しなければならない時代がき
ている。限られた予算をいかに効率よく運用する
か、国民的な議論を展開する必要がある。そのた
めにも今回の事業仕分けのようにいろいろな判断
材料が国民の前に示されることが重要である。
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