健康保険受給権は公的医療受給権である
混合診療裁判原告 清郷 伸人
わが国の公的医療保険である健康保険は、国民が義務として加入し、その保険料を税金と同じように義務として支払うことによって、永年維持されている世界に誇る社会保障の根幹をなす制度である。その社会保障の範囲は、国民皆保険という名目で、被保険者である国民はいつでもどこでも安価に医療の恩恵を受けることができるというものである。ただし、いつでもどこでも医療を受けられるのは、被保険者だけでなく、無保険者も同じである。すなわち健康保険の本質は、国民が医療を安く受けるための経済支援機能である。
そのような経済支援であるために、その保険財政を最終的に管理する国は、保険を給付する医療の価格と範囲を独占的に決定する権限を持っている。医療に関しては、価格の決定も範囲の決定も複雑で専門的であり、わかりにくい。中医協をはじめとする厚労省の審議会等を経て決定されているが、多くの問題点が指摘されている。
私は、この健康保険制度において、いわゆる混合診療による健康保険受給権を脅かされた(一つでも保険外診療=自由診療を受けると一緒に受けている保険診療も全額自費になる政策)転移がん患者である。健康保険を取り上げられると保険診療は受けられない。健康保険を給付されるということは、保険診療という公的医療を受けられるということなのである。
このような社会保障の根幹ともいうべき公的医療の負担を決定的に左右する健康保険の給付を患者から取り上げることはそもそも正当化されるのか。患者を社会保障の外に放り投げるこの政策は、どのような理由から、どのような根拠をもって執行されているのか。それが私の裁判で問うた問題、基本的人権侵害への疑問であった。
歴史的にみれば、この政策は昭和59年の特定療養費制度から始まった。日進月歩で進歩する医療の恩恵を保険で受けたい患者のニーズにこたえる苦肉の策として編み出された。しかし同時にこの政策によって、保険診療の受給権を否定するという国民皆保険に反する考え方が導入された。それが混合診療を禁止するという法解釈である。実に不思議な考え方である。なぜ進歩する医療は自費で受け、認められた医療は保険で受けるという当たり前の考え方ができなかったのだろうか。差額徴収や不当な費用請求という弊害は目を覆うものがあったというが、それこそ当局が的確な法整備をして、厳格に運用して解決すべき課題であり、いかに弊害を防ぐためとはいえ国民を公的医療の外に投げ出すことをその手段とする考え方の恐ろしさ、非道さを自覚すべきであった。
厚労省や医師会が唱えるこの政策の理由である医療の安全性や受療の公平性も目的は正しいが、手段を履き違えている。健康保険は医療の経済支援制度である。公的医療を受けるための社会保障である。
安全性については、厚労省や医師会がいうように保険診療だけに保障されており、自由診療は危険というわけではない。むしろ医療事故や多くの薬害は安全性が保障されているといわれる保険診療で起きている。健康保険で安全性を保障するのは筋違いであり、安全性の確保はすべての医療をカバーしている医療法、医師法、薬事法等がその機能を果たしているのである。
公平性についても、がんのような難病では、保険治療だけでは難しく、患者は世界で認められたものも多い保険外治療も受けたいのは当然である。治療は保険診療以外一切ハミ出てならないなら、なぜ保険外診療が存在するのか。同時に受ける混合診療だけダメで、違う時に違う病院で受けたらよいというのもよくわからない理屈である。いずれにせよ治療で良くならない患者が保険外診療を受けたという理由で、この政策によって国民皆保険から追い出す方が公平性は損なわれる。保険外診療を受けても保険診療には保険を給付する方が、すなわち公的医療の受給権を認めることが平等であり、合理的である。
このように、混合診療を行ったという理由で患者の健康保険受給権を奪うことは、患者から公的医療の受給権を奪うことに等しいのであり、これは憲法に違反する人権侵害なのである。
(2009/10/08)