誇り高いジャーナリズムを期待する

−変化について来られないマスコミ−

東京都渋谷区 岡部 俊雄

朝日新聞東京本社編集局長殿    毎日新聞東京本社編集局長殿

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(株)テレビ東京編成局長殿    (順不同)

 

拝啓 一筆献上

 新政権になってからのマスコミの報道がゆれている。皮相的で話題とり的な報道が続いているように思う。

 今回の政権交代は旧来の【官僚】→【政治家】→【国民】の政治の流れを、【国民】→【政治家】→【官僚】の流れに変えようとする国民が選択した革命的な政権交代である。

 マスコミは先ず何が起きたのかということと、それは国民の意思で起こしたものだということをもっと真摯に認識してもらいたい。その認識が不足しているために、報道がゆれて、皮相的で話題とり的になっているのではないだろうか。

 長く続いた旧政権では、官僚が国民の目の届かないところで政策を作り、自民党を使ってそれを国会で成立させてきた。このやり方だと官僚主導でマスコミが介入する余地はあまりなく、記者クラブで大本営発表を待てばよかった。

 それを新政権では、その過程を国民の目に晒しながら進めていこうということである。国民にとっても、マスコミにとっても初めてのことである。このやり方だとマスコミの安易な報道が国民をあらぬ方向に誘導してしまうということをよく心得てもらいたい。

 

 いくつか気になる例を挙げてみよう。

 先ず、「小沢チルドレン」の描き方である。一部では論評されているが、この方々は「小泉チルドレン」とは政治に対する思いも、問題意識も大きく異なっているようだ。その違いを掘り下げることもせず、同じものだという報道が氾濫している。

 

 「農業の戸別所得保障制度」や「子ども手当」についてもその本質を見極めようとせず、旧政権がやったと同じ「バラマキ」だとしか報道していない。

 「農業の戸別所得保障制度」は農業従事者の確保、その結果としての食料自給率の維持・向上や、閉塞状態にあるWTOFTAの前進などを抜本的に解決しようとする切り札のように思うが、そういう報道になかなか御目にかかれない。

 「子ども手当」も健全な人口構成という、長期的で、大きな問題の解決策の一つで、新政権の深い哲学が加味されているようだが、そういう深い掘り下げは殆どなく、旧政権が実施した「定額給付金」のような感覚で報道されている。

 

 「天下り」や「脱・官僚依存」についても然りである。民主党が言っている「天下り禁止」のことを、あたかも元官僚をどんな公職にも就職させないことであるかの如く報道を続けるので、多くの国民は、郵政の新社長に就任した斎藤氏のことを、マスコミの論調どおり「天下り」だと思い込んでいる。

 騒ぎが大きくなり、その火消しのために政府が、政府の言っている「天下り」はこういうことだと、極めて常識的で明快な定義を示すと、今度は自分たちがやったことを正当化するために持ち出した定義だと報道している。

 そもそも、人を使って組織を動かした経験のある者なら誰でもわかることだが、自分の持ち駒を経験や能力を生かして最適に配置することなど当たり前のことである。記者諸氏や評論家諸氏は組織を動かしたことがない一匹狼だと言って逃げてもらっては困る。

 長妻厚労大臣の著書「闘う政治」の副題にも「手綱を握って馬に乗れ」と書いてある。まことに健全で常識的な発想である。それを「馬に乗らない」と約束したではないか、というような報道を続けているのは残念を通り越して、憤りすら覚える。

 斎藤社長がどのような能力の持ち主かは知らないが、西川前社長をはずしたために経団連の協力が得られないという環境の中で、任命者である政治家が、それ以外の持ち駒の中で、最適の人を選んだのだと理解している。決して官僚が自分たちの人事の一環として異動させた「天下り」には当てはまらない。

 それをどうして「天下り」だ「天下り」だと国民をあおるような報道をするのだろうか。

 

 国民の高い評価を受けている、あの「事業仕分け」についての報道もそうである。初めての異様なものを見たかのような報道や、古い体制側・官僚側について、事業仕分けそのものや、仕分け人を批判するような報道が多い。何が起こったのか、何をしようとしているのかを、真摯に掘り下げた報道があまりない。「官僚メディア複合体」から抜け切れていないのではなかろうか。

 

 等々、言い出せばきりがない。

 テレビにも世を惑わすような、極端な言葉を使い、受けをねらっているようなコメンテーターがよく出てくる。人選する局に問題があるのではなかろうか。

 

 マスコミも企業であるからには利益を追求しなければならない。そのために発行部数や広告料収入を増やさなければならないし、コマーシャル収入を増やすために視聴率を上げなければならないことはよくわかる。しかし、言い古されてはいるが、マスコミは世論を代表している以上に、世論を誘導できる立場にあることをよく認識してもらいたい。

 江戸時代のカワラ版にならないでほしい。

 日露戦争後のマスコミの報道に影響を受けて、国民の中に不満が充満し、先の大戦の遠因になったことも否定できないことを思い出してほしい。

 我が国では政治の力で核兵器を持つことは先ずありえないことのように思うが、マスコミは核兵器を作ることも、持つことも、また、核戦争を起こすことも可能なだけの力を持っているということをよく自覚してもらいたい。

 

 今回の政権交代は国民の手による革命的な政治の変化である。マスコミもその変化に必死についていってもらいたい。マスコミは旧来の記者クラブなどという安易な手段を捨てて、取材に取材を重ね、それを深く解析し、洞察し、真に国民に知らせるべき情報を真摯に求める行動に最高の価値を置くジャーナリズムとしての誇りを取り戻してほしい。

 くれぐれもマスコミが国を滅ぼすことがないよう望むものである。

敬具

(平成21129日送付)

☆「闘う政治を支援する委員会」では、上記のようなマスコミ等への投稿活動を行っています。