朝日新聞「声」に投稿

東京都渋谷区 岡部 俊雄


 朝日新聞「声」の欄に、下記の文を5月23日投稿しました。社説に対する耳の痛い内容なので、掲載されることはないと思いますが、一つの刺戟になればと思い書いたものです。

 憲法では確かに第21条で「表現の自由」が保障されています。しかし、これが一人歩きして無条件で「表現の自由」が保障されているように思われがちです。憲法では多くの「自由」が国民に保障されていますが、第12条にそれらの「自由」の行使に対する国民の「節度」や「心得」が書かれています。マスメディアも含めて多くの国民はこの条文を忘れがちです。

 そこには次のように書かれています。

「第12条(自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任)

 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」      

22・5・23


 

「放送法改正案 権力介入の芽を摘め」に一言


 5月22日の朝日新聞に「放送法改正案 権力の介入の芽を摘め」という社説が掲載された。

 趣旨は「マスメディアの最大の使命は、国民の知る権利への奉仕と公権の監視だ」ということである。このマスメディアの使命には全く同感である。

 しかし、情報が多元化することによって、多くの国民は最近の大メディアの報道に、いささか疑問を持ち出していることを認識してほしい。

 例えば、総務相が、新聞社が放送局を支配している「クロスオーナーシップ」を規制する考えを表明したこと、現政権が、大メディアの既得権になっている「記者クラブ制」にメスを入れようとしていること、野中広務元官房長官が、官房機密費が大メディア関係者や評論家に流れていたことを暴露したこと、などについては、大メディアは完全にまで無視している。

 また、大メディアの既得権にメスを入れようとしている現政権に対し、敵対的ともいえる偏向報道を行っている節があることも、国民は次第に気づき始めている。

 この社説でも「表現の自由」という言葉を使っているが、「自由」は「節度」と表裏一体となっていることを忘れないでほしい。「節度」のない社会では「自由」は大幅に規制されるのは当然である。「国民の知る権利への奉仕」が、メディアの都合による、「一方的な表現の自由」にすりかえられないようにしてほしいものである。