官僚と闘う政治の注目情報(2010年11月・12月抜粋)
闘う政治を支援する委員会委員長 岡部 俊雄
1.言いたい放談 愛川欽也(2010年9月30日 東京新聞)
昨年、政権交代が起きて長妻さんは厚労相になられ、僕はいよいよ長妻さんの活躍が見られると期待していた。ところが前に官僚の厚い壁があって、長妻さんの姿が少しずつ隠れてしまった。僕は残念でたまらない。民主党の幹部は長妻さんを見捨てて、官僚を守ったとしか思えない。長妻さんがどんなに一人で頑張っても、長い自民党政治の中で存分にやってきた官僚体質はそう簡単に変わらないと思う。それを変えようとして働き始めた長妻さんを、民主党幹部は応援しましたか?助けようとしましたか?
2.「長妻ルール」形骸化 「官僚主導に」逆戻り?(2010年10月15日 日本経済新聞)
厚生労働省で長妻昭前厚労相が命じた省内ルールをなし崩し的にやめる動きが進んでいる。政務3役が週末に大量の職員を登庁させることがなくなったほか、職員が政治家と接触したことなどを大臣に報告するルールの厳守も緩んでいる。省内からは「官僚主導が完全に復活した」(厚労省幹部)との声もでている。
「厚労省改革」を訴えて乗り込んできた長妻氏が去り、官僚が全面に出て動き始めた。政治主導の後退なのか、長妻氏の空回りだったのか。細川氏の手腕が問われる。
3.脱官僚 民主の変節(2010年11月9日 朝日新聞)
厚生労働相を更迭されたミスター年金・長妻昭氏(50)の名前を聞く機会がめっきり減った。官僚機構が長年放置してきた年金記録問題を暴いて「脱官僚」を訴えた長妻氏への期待が、民主党を政権の座に押し上げた原動力だった。民主党は長妻厚労相と一緒に、「脱官僚」も捨ててしまったのだろうか。
長妻氏「仙谷氏との闘争に負けた」
菅内閣が誕生した6月。首相は組閣時に長妻氏に「官僚とぶつかるのはいいが、うまく使って欲しい」と忠告した。だが官房長官に就いた仙谷氏は、厚労省幹部から「長妻氏更迭」を直訴され、「内閣を改造する9月までの辛抱だ」となだめていた。そして9月17日、菅改造内閣の名簿に長妻氏の名はなかった。
政権交代の末原動力見切る
選挙で国民の信任を直接得たマニフェストを掲げて官僚の抵抗を退け、政治主導で政策を決めていく。従わない官僚は更迭する−長妻氏の思想こそ、政権交代前夜の民主党議員の多くが胸に抱いたものだった。
マニフェスト後退次々
長妻氏の代役として入閣したはずの馬淵氏も、マニフェストの目玉だった群馬県の谷ツ場ダムの建設中止を撤回。民主党が官僚主導に対抗する切り札として掲げた「マニフェスト政治」は大幅に後退している。
4.風知草:原点に返れ=山田孝男(2010年11月29日 毎日新聞)
津波のような政権批判にあらがう先週の閣僚たちの発言の中で片山善博(総務相)の言葉が印象に残った。
「民主党政権をつくった時の原点を忘れないようにしながら仕事をすることが大事ではないかと思います。私は途中から加わりましたけれども、民主党が掲げてきた理念とか、基本的な方向は、私も共感するところが多いものですから」(24日、閣議後の記者会見)
民主党政権の原点は「脱・官僚主導」である。
政局の先行きは予断を許さないが、内政の現場で芽生えつつある新しい政治の芽を、たらいの水といっしょに流してしまうような選択だけは避けなければなるまい。
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