官僚と闘う政治の注目情報詳細(2010年4月)
1.ながつま昭の写真日記より
@『今週の業務改善』と『国民の皆様の声』(2010年3月23日)
本日、ながつま昭は、閣議後の記者会見をしました。
ながつま昭は、厚生労働省の各部局が実施した業務改善をまとめた『今週の業務改善』を、今後、一週間ごとに公表していくことをお伝えしました。
また、厚生労働省本省に寄せられる、ご意見や苦情などを一週間ごとにまとめて公表している『国民の皆様の声』に触れ、準備が整い次第、地方出先機関に寄せられたご意見や苦情も公表していく方針を示しました。
A 政務三役会議を開催しました(2010年4月5日)
本日、厚生労働省の政務三役会議を開催しました。
出席者は、ながつま昭のほか、細川律夫副大臣、長浜博行副大臣、山井和則政務官、足立信也政務官です。
会議冒頭の挨拶で、ながつま昭は、厚生労働省全体の目標を踏まえた各局ごとの目標を策定し、その達成状況を人事評価に反映していく方針を示しました。
2.名古屋市:「天下り」職員報酬減額 年間100万減の670万円−来月から /愛知
(2010年3月26日 毎日新聞)
名古屋市は25日、職員が外郭団体役員に再就職する「天下り」についての「なごやルール」に基づき、年間基本報酬を現行より100万円引き下げ、最高額を670万円とする方針を発表した。4月1日から適用する。
09年9月に発表した「なごやルール」では、役員報酬を10%削減し、年額を699万円以下にするなどの決まりを設けた上で天下りを容認。この日は具体的な金額を示した。
方針では、現行の上限金額からそれぞれ100万円引き下げて年間基本金額を設定。理事長・副理事長などが670万円、専務・常務・理事などが600万円、監事・監査役などは520万円と決めた。年1回、団体の代表者が、リーダーシップや調整・交渉力など五つの要素を評価して業績を報酬額に反映させる。業績が良い場合のアップ率は4%。悪い場合のマイナス率は各団体で決める。
在職期間は、65歳になる年度末か市退職後5年のいずれか早い方までと決めた。
【高橋恵子】
3.社保庁OBを更迭 厚労相 野党時代の“宿敵”
(2010年3月31日 産経新聞)
厚生労働省所管の独立行政法人の役員人事(4月1日付)で、元社会保険庁運営部長の青柳親房氏(56)が天下り先の福祉医療機構の総括理事から更迭されることが30日、分かった。総括理事ポストは公募され、外部有識者による選考委員会は青柳氏の続投を求めたが、長妻昭厚労相が「改革意欲に欠ける」と判断したようだ。
青柳氏は自公政権時代に、宙に浮いた年金記録の情報開示などをめぐり、野党の長妻氏と対決した“宿敵”。平成19年8月には記録問題の責任を問われる形で九州厚生局長に更迭された。21年7月に厚労省を退職し、9月から同機構の総括理事に就任していた。
厚労省などによると、総括理事の公募に48人の応募があり、書類選考と選考委の面接で青柳氏に候補者が絞り込まれたが、長妻氏自らが青柳氏と面談し、続投拒否を決定したという。
<関連記事>
問題の元社保庁幹部は消えた年金“A級戦犯”だった(2010年4月4日 日刊ゲンダイ)
●こんな男を何度も理事にした選考委は正体をさらせ!
長妻昭厚労相(49)が、厚労官僚OBの天下り人事をハネ返した。
1日付で、独立行政法人「福祉医療機構」の総括理事から更迭されたのは元社保庁運営部長の青柳親房氏(56)。自公政権下で年金問題をめぐって、野党時代の長妻大臣と国会で対決した“宿敵”だ。
青柳氏の更迭について厚労官僚たちは「大臣の個人的な逆恨み」なんて言っているが、バカバカしい。天下りした経緯や、青柳氏の経歴を見れば更迭は当然。なぜ、機構側がこんな人物の起用にこだわったのか、そっちの方にクビをかしげたくなる。
青柳氏が厚労省を退官し、総括理事に再就職したのは昨年7月のこと。政権交代直前の駆け込み天下りだった。この人事に長妻は、大臣就任初日にいきなり「NO」を突きつけた。
「省内に『天下り凍結』を指示し、青柳氏の就任はタナ上げ。機構の総括理事ポストも公募されることになったのです。ところが、昨年12月に機構側は有識者による選考委員会を開いて、4人の最終候補から再び青柳氏を選出した。当然、長妻大臣は認めず再公募となりましたが、今月になって機構の選考委は6人の最終候補の中から三たび青柳氏を提案してきたのです」(厚労省関係者)
完全に長妻大臣への嫌がらせだ。業を煮やした長妻大臣は「それなら、直談判だ」と異例の面接に踏み切ったが、機構改革の意欲をただしても、青柳氏は「厚労省の関係部局と協議して」などと“官僚答弁”に終始。結局、長妻は続投拒否を決めて、総括理事ポストは削減された。お払い箱となった青柳氏には規定通りの退職金が支払われるという。
「社保庁ナンバー2の運営部長時代の青柳氏は、宙に浮いた年金記録が5000万件にも及ぶことを把握しながら、当時の安倍首相に1年近く情報を上げなかった“A級戦犯”のひとり。記録漏れを認めた後も対応は後手後手に回り、国民の怒りを増幅させた。結局、07年の参院選での自民惨敗後、一連の混乱を招いた引責人事で、厚労省の九州厚生局長に“左遷”されました」(厚労省関係者)
こんなボンクラOBを2度にわたって理事に推した選考委の見識を疑うが、福祉医療機構は選考委の構成について「大学教授4人」と答えるのみ。氏名や所属大学などの公表は一切、拒んでいる。奇怪な話だ。本当に選考委なんて存在するのか! 長妻大臣は詳細を国会で公表した方がいい。
4.オープン化した首相会見で、あえて「質問」しなかった筆者の思い
(2010年4月1日 DIAMOND online 上杉隆)
鳩山首相の記者会見がオープン化された。政権発足から約200日、ずいぶんと時間はかかったものの、これで総選挙前の「公約」の一部を果たしたことになる。
その日の会見では、これまで記者クラブの壁によって参加を認められなかった、フリーランス、ネット、海外メディア、雑誌の記者の一部が参加し、質問をすることも可能だった。「オブザーバー」としての参加までしか認められなかった過去のクラブ主催の会見と比較しても、これは日本の憲政史上特筆すべき画期的な出来事である。
ところが、案の定といっていいだろう、記者クラブメディアからの反応は極めて芳しくない。批判的であるならばまだしも、中には一文字も報じずに「黙殺」を決め込んでいる読売新聞のようなメディアもある。
○会見の記者クラブ独占は「人権侵害」で「日本の恥」
そもそも記者会見のオープン化は、国民の知る権利や情報公開の見地から言っても、ジャーナリズム自身が追求すべきことである。それは先進国であろうが、独裁国家であろうが世界中で不断に行われているメディアの当然の仕事のひとつだ。
ところが日本の記者クラブメディアだけは逆なのだ。戦後65年一貫して自らの既得権益を守ることに汲々とし、同業者を排除し、世界中から批判を浴び続けているにもかかわらず、自らの都合のみでその不健全なシステムを維持してきた。
それはまさしく、「カルテル」(孫正義ソフトバンク社長)であり、「人権侵害」(日本弁護士連合会)であり、官僚と結託して国民を洗脳し続けていた「日本の恥」(米紙特派員)なのだ。
そうした背景から、会見当日、フリーランスのジャーナリストとして初めて発言の機会を得た筆者は次のように「質問」したのだ。
〈先ほど朝日の記者が、総理はもう少し記者会見を開けということだったんですが、全く同感ですが、ただ、回数ではなく参加した記者、いわゆる国民にもう少し開いた形でやっていただきたいと思います。まずお願いです。
今日は、そうはいっても記念すべき日になりました。先ほど総理も言及されたので、あえて記者クラブ、そしてこのクラブの会見の主催権、官房機密費の問題、あるいは官房長官の問題については、とやかく申し上げません。
ただ、随分と経ちましたが、総理が日本の民主主義にとって貴重な一歩となる公約をお守りいただいたことに、まずは敬意を表します。
そして、戦後65年、これまで国民の知る権利、情報公開の立場、会見のオープン化に向けて努力をしてきたすべての人々、それから世界中のジャーナリストに代わって御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。質問はありません。以上です〉(首相官邸HPより)
この「質問」に対しての記者クラブメディアからの反応は予想通りであった。翌日の朝刊は、筆者に対して批判的な論調で占められた。
〈会見の開放を求めていたフリー記者の上杉隆氏は「世界中のジャーナリストに代わってお礼申し上げたい」と首相に感謝したが、「質問はありません」と質問しなかった〉(毎日新聞)
〈フリーの記者からは会見オープン化を一層進めるよう求める質問が相次いだ。「世界中のジャーナリストに代わってお礼申し上げたい」と意見だけ述べ、質問しなかった記者もいた〉(朝日新聞)
〈首相の弟、鳩山邦夫元総務相の秘書だったフリー記者は、首相会見のオープン化について「世界中のジャーナリストに代わってお礼を申し上げる。質問はありません」と賛辞を贈った〉(東京新聞 3月27日朝刊)
〈質疑自体は必ずしもかみ合わなかった。出席したフリーランス記者の上杉隆氏は「世界中のジャーナリストに代わって御礼申し上げたい。質問はありませ ん」と“珍質問”〉(産経新聞)
(注・読売新聞はニュース自体を扱わず「黙殺」している)
確かに、筆者は「質問」をしなかった。最初に記したように、それは本来ジャーナリズムがすべきことを、内閣総理大臣という権力側の人間に代行してもらっているという点で、何より「御礼」を述べたかったからだ。
○「質問」しなかったのは戦略的に考えた上の行動
世界中で、ジャーナリズムが公権力に情報公開を進めるよう圧力を掛けつづけている。ところが日本だけは、公権力側がオープンにしましょうと言っているのに、メディア側がそれを妨げているというまったく異常な状態に置かれ続けている。見事に本末転倒している。
告白しよう。その本末転倒を知らしめるために、筆者は首相会見の「質問」を確かに利用した。もちろんそれは戦略的に行なったものであり、記者クラブ側の反応も予め想定していたものであった。
まず「質問」をしないことで、NHKの生中継を観ている国民に、この世の中には「記者クラブ」という問題が存在させることを狙ったのだ。
多くの日本国民は、所詮「記者クラブ」はメディア自身の小さな問題でたいした事柄ではないと「洗脳」されている。
だが、記者クラブ問題は「メディア」の問題ではなく、霞が関および日本の統治機構全体の問題であることは、本コラムの読者であるならば説明は不要であろう。
日本のメディアではタブーとなっている「記者クラブ」という文言を、あえて「質問」しないことで浮き上がらせたかったのだ。
さらに、筆者は、鳩山首相に「讃辞」のみを贈ることで、会見のオープン化という仕事をサボっている記者クラブの記者たちへの「皮肉」とした。
また、一時間という制限された時間内に、できるだけ多くのフリーランス記者の質問機会を確保するため、最初にまとめて「御礼」を述べ、回答を求めないことで時間の短縮を図ったのだ。
これは後付けの言い訳ではない。その証左として、筆者の戦略と思考は、明日(4月1日)発売の拙著「記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争」(小学館)に記している。ちなみに脱稿は首相会見の3週間前、3月初旬のことだった。
政権交代から200日。本来ジャーナリズムが果たすべき役割を代行してくれた鳩山首相に、改めて御礼を述べたい。
5.公務員法案 政治主導競う
(2010年4月7日 東京新聞)
与野党が「脱・官僚依存」「政治主導」の看板を競う論戦が始まった。国家公務員の幹部人事を一元管理する「内閣人事局」の設置を柱とする国家公務員法改正案が六日午後の衆院本会議で審議入りした。自民党、みんなの党が共同提出した対案も並行審議される。政府側が「改革の第一歩」として野党時代の民主党の主張に比べて現実的な案を示したのに対し、対案は自民党政権当時よりもはるかに急進的な内容だ。(上坂修子)
鳩山由紀夫首相は六日夕、国家公務員法改正案について「修正協議に応じるつもりはまったくない。自信を持って国民に訴えている法案だ」と記者団に述べ、野党との修正協議の可能性を否定した。
民主、社民、国民新の与党三党は同日の国対委員長会談で、月内成立を目指す方針を確認した。新制度の実施には三カ月程度の準備期間が必要とされ、法案成立が遅れた場合、例年、七月に集中する府省幹部の人事がずれ込む可能性もある。
政府案は首相官邸主導による人材登用を進めるため、事務次官から部長級を同格とみなす府省横断の候補者名簿を作成し、昇格や降格を可能にする内容だ。仙谷由人国家戦略担当相は六日の衆院本会議で「法案の歴史的意義は何よりも縦割り行政の弊害を打破することだ」と述べた。
これに対し、自民党などの対案は部長級以上の幹部から課長への異動も可能にし、政府案よりも信賞必罰の人事の幅を広げた。加えて事務次官ポストの廃止も明記。仙谷氏が一時、言及したものの、結局は本則に盛り込まれなかった政府案との違いを明確にした。
政府と野党側は人事を一元管理する内閣人事局の権限でも対立。対案提案者の一人、自民党の塩崎恭久元官房長官は本会議での質疑で、政府案が公務員の級別定数を管理する人事院や定員を所管する総務省の機能を人事局に集約しないことを批判。
塩崎氏はさらに、政府が天下りの温床とされる早期退職勧奨禁止に踏み込めなかったことを念頭に「民主党が主張してきた『天下り根絶』に逆行する改正案だ」と政府案を切り捨てた。
仙谷氏は質疑に先立つ会見で「文言上だけ厳しく見えそうなものを出しても、この二十年間、何やってきたのかという話にすぎない」と、放置してきた自民党側に反論した。