官僚と闘う政治の注目情報詳細 (2010年11月)
1.言いたい放談 愛川欽也
(2010年9月30日 東京新聞)
長妻前厚労大臣、お疲れさまでした。長妻さんは僕が司会をしている朝日ニュースター(CS放送)の「愛川欽也パックインジャーナル」に民主党の野党時代、何回も出演してくださって年金問題を熱く語られた。特に役人が、過去の資料を提出してくださいと言ってもなかなか出さないこと、出してもとても読める代物ではないことを嘆いていた。その写しを見せてもらったが、僕が65年ほど前に見た敗戦後の小中学校の教科書のように、あちこちを墨で塗りつぶされていた。「野党ではこれ以上はできない」と話していた長妻さんの顔を思い出す。
昨年、政権交代が起きて長妻さんは厚労相になられ、僕はいよいよ長妻さんの活躍が見られると期待していた。ところが前に官僚の厚い壁があって、長妻さんの姿が少しずつ隠れてしまった。僕は残念でたまらない。民主党の幹部は長妻さんを見捨てて、官僚を守ったとしか思えない。長妻さんがどんなに一人で頑張っても、長い自民党政治の中で存分にやってきた官僚体質はそう簡単に変わらないと思う。それを変えようとして働き始めた長妻さんを、民主党幹部は応援しましたか?助けようとしましたか?
長妻さん、僕たちは「ミスター年金」をまだ応援している。時代はまた変わると思う。僕たちは政治家・長妻さんをずっと見続けている。(俳優・作家)
2.抵抗官僚、更迭も辞さず 前原外相、強硬姿勢を誇示
(2010年10月6日 朝日新聞)
前原誠司外相は5日、日本外国特派員協会(東京)での質疑応答で「言うことを聞かない役人は、人事も含めた毅然とした対応をとる」と述べた。「伏魔殿」ともいわれる外務省で、自らの外交方針に抵抗する官僚は更迭も辞さない「強行姿勢」を誇示した。
前原氏は、民主党の政治主導について「官僚を排除するという誤解や思いこみがあった。役人は極めて優秀だ」と持ち上げる一方、官僚のマイナス面として「横並び重視」「前例重視」「天下りに固執」を列挙した。
ただ、大臣が最後まで責任を持つかを「役人は非常に厳しく見ている」とも指摘。外相として「明確な説明責任と覚悟が必要」と自戒することも忘れなかった。(山尾有紀恵)
3.”天敵を追い払った厚労省”
(2010年10月8日 週刊朝日)
「これでやっと普通の会話ができる」
「また昔のように仕事ができる」
内閣改造後に厚生労働省内を歩くと、行く先々でそんな声が聞こえてくる。官僚たちは”天敵”長妻氏を追い払うことにまんまと成功し、ホッと胸をなでおろしているのだ。
「厚労省の官僚はことあるごとに、仙谷官房長官の秘書官などを通じて官邸に苦情を上げてきた。『大臣がレク(官僚の説明)をボイコットした』『プロジェクトチームばかり作って、ちっとも決断しない』『頭ごなしに怒鳴りつけられた』ってね。その影響で仙谷さんも、長妻さんが官僚を使いこなせていない、と判断したようだ」〔官邸周辺)
確かに、長妻氏の官僚たたき、特に天下りやムダを排除する姿勢は、郡を抜いて強硬だった。
「厚労行政を隅々まで変える」ために立ち上げられたプロジェクトチームは、実に37。年金記録回復委員会に始まり、予算監視・効率化チーム、業務改善推進プロジェクトチーム・・・・・。
退任直前の9月になっても、同省所管の独立行政法人や公益法人などの廃止を視野に入れた整理合理化委員会を立ち上げた。
天下りを「現役出向」にすり替えた退職管理基本方針では、どの省も、受け入れ先の法人名をズラッと列挙した。ところが厚労省はゼロだった。
「菅さんは長妻さんを厚労相から更迭しても、首相補佐官に起用する意向でした。でも、仙谷さんが『この政権は官僚とうまくやらないといけない。あそこまで対立しちゃダメだ』と、その人事案を突っぱねたそうです」(前出の官邸周辺)
長妻路線と仙谷路線は百八十度違ったようなのだ。
昨年の政権交代で、国民が期待したのがどちらだったかは言うまでもない。
4.「長妻ルール」形骸化 「官僚主導に」逆戻り?
(2010年10月15日 日本経済新聞)
厚生労働省で長妻昭前厚労相が命じた省内ルールをなし崩し的にやめる動きが進んでいる。政務3役が週末に大量の職員を登庁させることがなくなったほか、職員が政治家と接触したことなどを大臣に報告するルールの厳守も緩んでいる。省内からは「官僚主導が完全に復活した」(厚労省幹部)との声もでている。
「大臣が代わって働きやすくなった」。ある職員は打ち明ける。前厚労相時代、日常業務にきたすほど細かな指示が次々出され、「今日中に報告を求める」といった要請も多かった。ところが、細川律夫副大臣が厚労相に就任してから空気は一変した。
休日の出勤要請はゼロ。「週末はゆっくり休んでくれ」というのが厚労相の意向だ。同相が進めるワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を実践できるとの皮肉も聞こえる。
職員の動きを細かく管理していた長妻氏、職員が政治家と接触したり、外部で講演したりした場合の報告義務も今や形骸化している。ある幹部は「報告していない」と言っており、なおざりのなりつつあるようだ。
政務三役の”締め付け”から解放されたことで、永田町を歩き回り国会対策を強化する部局も出始めた。子ども手当て関連法案や職業訓練期間中に生活費を支給する求職者支援法案など、同省が来年の通常国会に提出を目指す法案は目白押し。ねじれ国会の下で政策を実現するために「検討中の法案を野党の政務調査会で取り上げてもらうよう働きかけている」(同省幹部)という。
「厚労省改革」を訴えて乗り込んできた長妻氏が去り、官僚が全面に出て動き始めた。政治主導の後退なのか、長妻氏の空回りだったのか。細川氏の手腕が問われる。
5.長妻昭・前厚生労働大臣 核心インタビュー
「年金記録問題やムダの削減では手応えを感じた。社会保障改革への提言を続け、国民に信を問いたい」
(2010年10月22日 DIAMOND online)
年金記録問題、医療危機、格差問題など、日本の社会保障は危機に直面している。社会保障改革は「待ったなし」の状況だ。そんな折、これまで一貫して年金記録問題や厚労省の体質改善に取り組んできた長妻昭議員が、厚生労働大臣を退任した。長妻氏が閣外に去ったことにより、社会保障改革の求心力は失われてしまうのか? 現在は民主党の運営に専念する長妻氏に、厚労相時代に行なった取り組みの成果と、民主党が進めるべき社会保障改革について聞いた。
(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也、撮影/宇佐見利明)
――長妻議員は、野党時代から熱心に社会保険改革に取り組んできた。民主党が目指す日本の社会保障の「理想像」とは、そもそもどんなものか?
従来の社会保障政策には、「哲学」が欠如していたように思う。
自民党政権時代には、「社会保障と経済成長はトレードオフの関係にある」という考え方が根底にあった。つまり、社会保障を重視すると経済成長が犠牲になるという関係だ。「社会保障は経済成長のお荷物」と考える人は、たくさんいた。
そのため、予算編成の過程で「社会保障費の自然増分から毎年2200億円を削減する」という目標が立てられた。これは、社会保障の崩壊不安をもたらした。たとえば、後期高齢者医療制度は、「75歳以上の高齢者にかける医療費を事実上カットする目的の制度ではないか」と批判を受けた。
そこで、政権交代を果たした民主党は、「消費型・保護型社会保障」を前提にしていたこれまでの方針を転換し、「参加型社会保障」(ポジティブ・ウェルフェア)の実現を目標に掲げている。
ムダな部分はカットしながらも、必要最小限の自然増は認め、社会保障や質の高いサービスをちゃんと国民に提供する。その上で、労働参加を促し、施設から地域・在宅への流れを加速させるのが、参加型社会保障のあり方だ。
たとえば、生活保護の受給者で働ける人は雇用に参加してもらえるように相談員を倍増した。また、24時間型訪問介護サービスを充実するなど在宅支援を強化して、希望すれば高齢者も福祉施設から自宅に戻ることができるようにする。
「雇用へ」「地域・在宅へ」「格差を少なくして社会へ」参加することを促す「参加型社会保障」(ポジティブ・ウェルフェア)の考え方は、経済成長を鈍化させるものではなく、むしろ経済成長の基盤を作るものと考えている。安心が高まれば過剰貯蓄も消費に回る。
――菅改造内閣の発足に伴って厚生労働大臣を退任したが、大臣時代には医療、介護、雇用など、様々な分野の改革に道筋をつけた。手応えを感じた取り組みには、どんなものがあるか?
細かいものを挙げ始めればキリがないが、かなり多くの改革に取り組むことができた。
まず医療分野について成果を感じているのは、産科、小児科、救急外来などの充実を図るため、2010年度から診療報酬を10年ぶりのネットプラス改定(診療報酬本体約5700億円)にしたこと。これにより、医療崩壊を食い止めることができたと思う。
「なぜ75歳以上の高齢者ばかりを差別するのか」という不満が多かった後期高齢者医療制度は、来年の国会で法律を提出し、2013年に廃止して新たな制度に切り替える段取りを進めている。それに先駆けて、今年4月から、同制度と連動して導入された差別的な診療報酬(17項目)を撤廃した。
また介護分野では、需要が急増している特別養護老人ホームなどの介護施設に加え、24時間巡回型訪問サービスなど、在宅介護の基盤整備も進めている。
そして、民主党が特に真剣に取り組んだのは、貧困対策と表裏一体の関係にある雇用対策。政府としては初めて「相対的貧困率」も発表した。
主な取り組みの成果は、非正規労働者に対する雇用保険の適用基準を緩和し、新たに255万人が適用になる見通しとなったこと。日本は失業保険と生活保護の間に位置する社会保障が手薄だった。それを充実させるべく、離職者が生活給付や住宅手当てを受けながら、無料で職業訓練を受けられる仕組みを恒久制度化することも目指している。
――とりわけ、国民の一大関心事と言えば年金分野だ。「ミスター年金」と呼ばれた長妻議員が厚生労働大臣に就任したとき、最も期待が寄せられたのは、「消えた年金問題」の速やかな解決だと思われる。年金分野への取り組みについては、手応えを感じているか?
この9月までに、1197万人の年金の記録が回復した。国民の10人に1人にもなる。集計を始めてから、約1兆3000億円の年金が戻ったことになる。これは大きな成果だと思う。民主党政権になってから、第三者委員会に送付することなく年金事務所段階で年金記録を回復できるように基準を緩和したことも、効果があった。
この10月からは、コンピューターの中にある年金記録と紙台帳の記録との全件を照合する作業を始めた。全国29拠点において約1万8000人を投入し、年齢の高い受給者を優先して作業を進める。
このうち国民年金の紙台帳3000万件については、先行して前政権のときから照合作業をやっている。その結果は、われわれが想像していた以上に深刻だった。これまで、送られてきた記録を見て「抜け」に気づいた人が窓口で訂正するというアプローチだったせいもあり、気づいていないか、気づいていても訂正が認められなかったと思しき人が、全体の8割にも上っていることが判明したのだ。
このケースから類推しても、全件照合は年金記録の回復を進める上で不可欠な作業だと思う。大きなコストがかかることが指摘されているが、先行照合の際は約100億円の照合コストに対して戻った年金は約300億円と、効果が費用を上回った。今後も節目節目で国民に情報を公開しながら、照合作業を進めていきたい。
―― 一方で、民主党は年金制度そのものの改革も掲げている。その骨子は、年金財源の見直しや制度の一元化を進めることだ。消費税を財源とする「最低保障年金」と、支払った保険料に応じて給付額が決まる「所得比例年金」を2本柱とする、「スウェーデン方式」などへの移行が検討されている。進捗状況はどうなっているか?
年金制度改革については、厚労相への就任直後から省内で何度もシミュレーションを繰り返し、データを蓄積している。その作業には、大学教授など年金の専門家も参加してもらっている。具体的には、2013年に国会へ法案を提出し、成立を目指す。
参院選前には、民主党として「年金改革7原則」を改めて発表している。内容は、年金制度の一元化、最低保障年金の導入、負担と給付の関係を明確化、持続可能な制度の構築、未納・未加入なし、国民的議論による制度設計、といったものだ。
参院選も民主党の代表選も終わった今、この基本原則を軸に、野党、厚労省、財務省などの関係者が同じテーブルに着いて、本格的な議論を始めるべき時期がきている。
――年金改革と共に注目された取り組みが、厚生労働省の「体質改善」だ。
これまでは、必要のない天下り先を残したり、予算を余らせずに使い切ったりと、役所を肥え太らせる官僚が評価された。こういった役所体質を変えれば、厚生労働行政は確実に改善されると考え、様々な取り組みをした。
大きな取り組みは、今年4月に「省内事業仕分け室」を設置したことや、厚労省の管轄下で天下りの温床となっていた独立行政法人などの役員ポストを厳しく削り、民間から公募することを始めたことだ。
職員の人事評価については、従来の基準を変えて、コスト意識、業務改善能力、新政策立案能力、コミュニケーション能力、情報公開能力など「厚労省に不足する7つの能力」を評価軸にして、優秀な人材を積極的に起用した。
たとえば今年7月末の人事では、「省内事業仕分け室」の初代室長を全省庁で最年少の官房長に抜擢、また、ノンキャリアの職員を厚労省始まって以来となる総務課長に抜擢している。
職員に目標を持たせるための組織作りも行なった。政策アドバイザーとしての「大臣政策審議室」、制度改善に役立てる「アフターサービス推進室」、民間人を室長にした「わかりやすい文書支援室」などが立ち上がった。また、「貧困問題は旧厚生省、雇用問題は旧労働省の役割」といった縦割り意識が依然として残る省内の連携を図るため、37のプロジェクトチームを発足させている。
役所体質を改善するために、国民への定期的な情報公開も重視した。ホームページ上で、これまで無視されていた国民からの苦情やそれに対する改善策、消えた年金がどれくらい戻ったか、日本年金機構が起こした事務処理ミスなどを、原則毎週公表している。
面白いもので、「前例がないからやらない」と弁解することが多い前例踏襲主義の役所は、逆にいったん前例を作ってしまえばそれをやり続ける組織でもある。これらの取り組みは今後も続けなければならない。
――体質改善への取り組みによって、関係者の意識はどのように変わったか?
巨大組織のリーダーは、何度も同じことを言う必要がある。大臣になってから、外部から巨大組織に入った経営者のアドバイスなどを聞きながら、繰り返し自分の考えを述べ、理解してもらえるように努めた。しかし、理解してくれる人もいれば、どうしても理解してくれない人もいた。
実際、官僚からの反発は強かった。省内事業仕分け室を設けたときには、「自分で自分のムダを削るなんてできない」という悲鳴が聞こえてきた。
特に反発が強かったのは、天下り規制だ。私が官邸へ働きかけて、全省庁で独立行政法人などの役員ポストを公募するようになったが、厚労省については公益法人についても公募することにしたため、「厳し過ぎる」「いい学生を採れなくなる」と言ってくる幹部もいた。OBから現役の官僚に、「天下り先を減らさないように頑張れ」という圧力もあったと聞く。
痛みを伴う改革は、誰しも嫌なものだ。しかし、政権交代前はいったいどういう状況だったのか。年金記録は消えてなくなっているし、C型肝炎の感染者リストも隠匿されている。あげく、グリーンピアなどの年金保養施設に対して、莫大な年金保険料が流用されている。そんな滅茶苦茶な状況でも、知らぬ存ぜぬの体質だった。
そういった体質を大転換することは、ゆくゆく厚労省の大きな力となり、道を開くことにつながるはずだ。今後社会保障費は、今の給付レベルを上げなくても年間1兆円ずつ増えていく見通しだ。そんな状況で、厚労省がまだムダ使いや天下りを続けていたら、消費税の引き上げに賛成する国民など出てこないだろう。
――厚生労働大臣時代にやり残した課題は?
政策面で言えば、「少子高齢社会を克服する日本モデル」の策定が道半ばだった。菅首相の所信表明演説にも入れてもらったが、これは先進国で最も早く少子高齢化が進んだ日本が、世界にお手本とされる福祉モデルを構築するためのコンセプトだ。
具体的には、全国に1万以上ある公立中学校の学区を目安にし、住民がその学区内で特養ホーム、保育園、訪問介護・看護、デイケア、医療サービスといった基本的な福祉サービスを全て受けられる体制を整えること。中学校区は1学区あたり平均人口1.2万人であり、住民が福祉サービスを作り上げる福祉自治区として機能させる。この体制は、前述の「参加型社会保障」(ポジティブ・ウェルフェア)を実現するためのベースにもなる。
実現に向けてのプロセスは、財源を確保するために消費税を社会福祉目的税とし、税率を国民に提示する。そして、衆院選で、国民の信を問う。これについては、今後も提言を続けていきたい。
――現在は閣僚を離れたが、これまで培ってきた人脈やノウハウは大きいと思われる。今後も社会保障改革への提言を続けていくのか?
大臣から離れたことにより、逆に動き易くなった面もある。民主党が目指す社会保障改革を国民に理解してもらうためには、わかり易いビジョン、きちんとした計算、そして何より説得力がある取り組みが必要だ。省庁のムダ使いや天下りの規制は、今後も徹底して続けていかなくてはならない。
そのために、今後も色々な提言や手伝いをしていきたい。社会保障改革は、やはり自分がやり続けなければならない仕事だ。