公的医療受給権についてのその後の考察
転移がん患者・混合診療裁判原告 清郷 伸人
井上清成弁護士の提唱になる「公的医療受給権」について、筆者は昨年のMRIC臨時No293に「健康保険受給権は公的医療受給権である」という原稿を掲載した(筆者のHP http://www.kongoshinryo.net
所収)が、最近、マッキンゼー社のR・カンツラ氏の論考を読んで考えるところがあり、その後の考察と題して報告したのが本稿である。
1.
公的医療受給権とは何か
わが国の公的医療保険である健康保険は、国民が義務として加入し、その保険料を税金と同じように義務として支払うことによって、永年維持されている世界に誇る社会保障の根幹をなす制度である。その社会保障は国民皆保険と名づけられ、被保険者である国民はいつでもどこでも安価に医療の恩恵を受ける権利を与えられている。
保険制度は経済支援機能が本質であるため、その保険財政を最終的に管理する国は、保険を給付する医療の価格と範囲を独占的に決定する権限を持っている。また保険で定められた医療を提供する医師の認免権も独占的に有している。健康保険の給付対象となる医療すなわち保険診療は、被保険者である国民が権利を十分享受できるよう非常に広い範囲にわたり認められている。これが国民の保持する医療に対する健康保険という公的保険の受給権であり、それは同時に保険診療という公的医療の受給権を意味する。国民は、このように基本的人権として命に関わる公的医療を受ける権利を保障されている。その権利を失うのは、義務としての保険料支払いがなされない場合だけと考えるのが自然である。
ところが、保険料をキチンと支払っていても、健康保険が給付されず、公的医療である保険診療の受給を奪われる場合がある。がんなどの難病に罹った患者が、保険診療でもなかなか治らないために保険で認められていない抗がん剤や免疫治療などを受けたとする。すると、このような保険で認められていない自由診療を保険診療と併用した場合は、保険給付は一切停止され、すべての診療が全額自己負担となる。すなわちすべての公的医療は私的医療である自由診療へと変貌するのである。こうして自由診療と保険診療を併用した患者は、健康保険の受給権を奪われ、公的医療から放逐される。
これを義務教育に例えると分かりやすい。国民の義務として税金を支払っている親の子弟が公立中学に通っていて、学力向上のために私塾にも通った場合、その子弟は公立中学から追放され、私立中学に行かねばならないのかという問題である。そんなことは常識としてあり得ないだろう。しかし、そのあり得ないことが医療の世界ではまかり通っているのである。子弟がたとえば地域の公立中学で教育を受ける権利は、教育権として憲法で保障されている。公的医療も被保険者が受ける権利は、基本的人権(その内容は25条の生存権、14条の平等権、13条の幸福追求権、25条の財産権など)として憲法で保障されているというべきである。
以上述べたように、社会保障の根幹ともいうべき公的医療受給権を不合理な根拠で奪う現行制度は、理不尽であり、人権を侵害しているといえる。国は、世界に誇る国民皆保険制度を自らの手で壊しているのである。
2.
公的医療は変容する
このように日本の社会保障の根幹であり、生存権等の基本的人権に直結している健康保険の給付される公的医療だが、一方で大きな問題を抱えている。それはさまざまな理由から増え続ける国民の医療費であり、それを支える健康保険の財源不足の問題である。この問題を考える上で、きわめて本質を衝いた戦略的リポートが、日経メディカルオンラインに掲載された。マッキンゼー社のR・カンツラ氏が2008年末に独自にまとめた「医療制度改革の視点」である。本稿はその第1回から第4回掲載分までを参照して書かれた。
カンツラ氏はまず国民医療費が2006年の33兆円(GDP比6.6%)から2020年には56〜62兆円(同9.6〜10.2%)、2035年には85〜92兆円(同12.2〜13.8%)に増大すると予測する。主な理由は経済成長による医療需要の増加、医療技術の高度化によるコスト増、高齢化による需要増の3点。そしてOECD加盟先進国のほぼすべての国で同様に増加していくことが確認できたとする。このような医療費の急増は不可避であり、日本だけの特殊事情ではないことを前提に、医療費をどう削減するかではなく、財源をどう確保し、医療水準を高く維持するためにどう再配分するのが効果的かを先進の諸外国を学びながら、システムレベルで改革する必要があるとしている。財源の確保についてカンツラ氏は、既存財源である保険料、患者の自己負担、公費負担の3つの組み合わせで将来の膨大な医療費を賄おうとしたらそれぞれを急激に大幅に引き上げなければならず、現実的でないとしている。そこからカンツラ氏は痛みを伴う改革が必至であると指摘する。それは医療需要と支出の抑制と新しい財源の確保である。需要と支出の抑制とは、軽い疾患や過剰な医療を非保険化したり、保険の対象や範囲を常に見直して更新することであり、新しい財源とは、任意支払いの導入である。任意支払いとは高度医療に対し患者がより多くの負担を受容する仕組みで、先進諸外国では制度化されているところもある。中でも保険の適用範囲が適正かを見直すことは差し迫った課題である。日本は保険の適用範囲が非常に広く、しかも全的に適用か全的に不適用かしかないが、先進諸外国では保険給付を厳格に判断し、何らかの制限を設けているところが多い。さらに高額な高度医療が次々に保険化されるならば、保険適用範囲の見直しは必至で、過去にカバーされたものを既得権的に守ろうとすることは修正されなければならない。また末期がん患者の延命措置など費用対効果の低い医療も保険適用を見直される可能性の高いものである。
以上がカンツラ氏の4つのリポートの大雑把な要約である。端的にいって、これらの内容は日本の保険医療をめぐる多くのタブーを破るものとなっている。そして20年間で約2倍、30年間で約3倍に達する例を見ない膨大な医療需要に対し、先進国でも突出している国家債務に苛まれる日本国民がいかに対処すべきかを戦略的に考察して、今後の進路への示唆に満ちたものとなっている。
3.
国民経済による制度改革の必然性
カンツラ氏の提言には国民経済からの医療制度改革に成功した英国、フランス、スウェーデンなど多くの先進国の事例がバックグラウンドにあり、日本も問題を先送りせずにそれらを参考にして、国民の一時的な不評や非難を覚悟してでも政府が改革に踏み出す必要性を指摘している。
とくに改革の重要なポイントである保険適用範囲の見直しは既得権の放棄が不可避で、患者にも医療者にも厳しい痛みを伴うため今までの日本ではタブーだった議論である。とくに後述する混合診療問題では、解禁によって保険診療が非保険化される危惧が反対論の論拠となっている。今後、遺伝子レベルでの医療技術の進歩は著しく、具体的な治療への応用は射程内に入っているといわれる。これらの高度医療が普及していくことは必至で、保険財政の負担は膨大なものになる。これに加えて高齢化の進展による医療需要の高まりとともに危機に瀕していく保険財政を維持するには、常に保険適用範囲の見直し、更新は不可欠であり、医療サービスがカットされたり、水準を下げる分野が出てくるのも必然的である。たとえば国民皆保険制度の特長といわれる「いつでもどこでも」受療できるメリットも適正化の対象となるだろう。軽費で済む感染症や慢性病も例外ではなくなるかもしれない。
もう一つのポイントである任意支払いの導入は、いわゆる混合診療の解禁を伴うもので、これまた日本ではタブーだった議論である。混合診療は米国をはじめ欧州諸国、豪州、韓国等では当たり前のシステムだが、医療制度ガラパゴスの日本では問題の所在さえタブーだった。しかし、もはや日本でも医療を成長産業ととらえ、国民全体が時宜にかなった医療サービスを受けられるようシステムを再構築すべきである。たとえば私費診療と公費診療の併存(混合診療)を可能にすれば、私費診療である高度先端医療のデータの公開化によって医療の進歩が促進され、医療産業の発展に寄与するようになる。
そもそも日進月歩の医療を一握りの集団が事前に個別に審査して許認可するなどという方式が迅速を要する患者の治療に機能するはずがない。治療の選択は医師の自律と裁量や患者の意思に委ね、事後の厳格な検証を前提に、医師の暴走防止や患者の保護のために実施医療機関の選定や実施規定、ペナルティなど安全網を張ればよいのである。
混合診療の解禁は金持ち優遇で公平性を損なうとか危険な治療が横行するとか患者が危険な医療のモルモットにされるとか不当な高額な医療費を請求されるとか保険診療の非保険化が進むとかの議論を、筆者は医療小児病と命名したい。それらはルールで防げるからである。それよりも膨張する医療費と膨大な政府債務を抱える国民経済から、カンツラ氏のいう任意支払いの導入は不可避であり、何よりも保険外診療を理由に患者から公的保険、公的医療を奪うことは憲法に謳う基本的人権の侵害なのである。
(2010/6/17)