外交音痴の日本政府
東京都文京区 松井 孝司
政権交代で霞ヶ関が大きく変貌することを期待したが、変わったのは霞ヶ関ではなく永田町であった。脱官僚依存といっていた民主党は自民党に似た官僚依存の政党に変わり、自民党は既得権を失い正真正銘の野党になった。
日本政府は何も変わらず、既得権益の受け皿は自民党から民主党に入れ替わった。
民主党のマニフェストを常時携行し、国民に約束したことを本気になって実現しようと苦闘していた長妻厚生労働大臣は梯子を外されてしまった。
梯子を外したのは長妻氏を天敵とみなす公務員の代表、仙谷官房長官との専らの噂である。民主党による公務員改革が後回し、骨抜きになるのも当然だろう。
仙谷長官の尖閣問題での対応は日本政府の伝統ともいうべき外交音痴を彷彿とさせた。
「日本の法律にのっとり、粛々と対応する」ような戦略では外交問題の解決にはならない。1994年に発効した「国連海洋法条約」に準拠して国際司法裁判所に裁定、仲裁、調停を依頼したら日本の法律は通用しないからである。
(生活者通信第131号4ページ参照:http://www.seikatsusha.org/se-tusin/se-2006/2006-07/p-04.html)
日本人は長い間、海に囲まれた島国に育ったためか自己中心的な閉鎖系生存戦略しか立てることが出来ないようだ。
一方中国人は外敵に囲まれた大陸に育ったので開放系生存戦略に巧みで、したたかな外交を展開してきた。第2次世界大戦で中国は戦力では日本に負けていたのに外交力で勝り戦勝国になった。
明治政府によって琉球王国は日本に併合されたことになっているが、中国(清国)はそれを認めなかった。清国は世界旅行途上の米国大統領経験者グラントに沖縄諸島の領有問題の調停を依頼し、グラントは伊藤博文らと会談を重ね日清の交渉が始まった。日本政府は1880年3月公式に「1)沖縄諸島以北を日本領土とする。2)宮古・八重山諸島を中国領土とする」提案をしている。
1880年10月交渉は妥結し、1881年(明治14年)2月石垣島で調印し土地と人民を清国に引き渡すことになったが、琉球から清国への亡命者による「日本への帰属反対」の請願が再三にわたって清国政府に届けられたため、清国は調印をためらってしまった。
清国が調印をためらっている間に日清戦争(1894~1895年)が勃発し、日本は戦勝国となったため台湾を含め日本の領土としたのである。
中国で頻発する反日デモでは、「収回琉球」の文字が見える。奄美諸島以北を日本領土と主張していた中国は台湾と沖縄全体を自国領土と考えているのではないか?日本に併合された沖縄県民は日本政府の外交音痴のお陰で戦争に巻き込まれ、筆舌に尽し難い苦難の道を歩むことになった。尖閣諸島近辺で紛争が勃発したら、真っ先に被害を蒙るのは沖縄県民である。
尖閣諸島の領有以上に経済的波及効果が大きい外交問題は円高である。戦争が無い平時の外交で最も重要なのが通貨管理に係わる外交なのだ。
1985年のプラザ合意後、日本の製造業は円高に苦しみ、企業の海外への移転を促進して国内の雇用を減らし、一人当たり国民所得も減少させてきた。過去20年間世界の先進国の中で日本だけがGDP(国内総生産)を増やすことができずデフレ不況に苦しみ、海外に移転できない地域産業は疲弊し、税収減で政府の債務を激増させたのは円高を阻止できなかった通貨外交の失敗に起因するものである。
日本銀行の金融緩和恐怖症がデフレ不況と円高をもたらしたと指摘する意見もあるが、日本銀行だけが円高を許したのではない。米国の巨額軍事予算と過剰消費、ドル紙幣の増刷がもたらすドル安に対して為替介入しか能がなかった日本政府の無策も日本の円高デフレ不況の原因である。
GDPで日本を凌駕する勢いの中国経済は賢明な中国指導者の外交政策に依存している。中国は通貨をドルとペッグさせ実質的に固定レートに据え置き、海外への元の持ちだしを一人2万元以内に制限し海外からの投機家の介入を拒否してきた。中国「元」の円換算価値は150円/元であったものを15円/元に下落させた。元に対して円が10倍にも高騰しては日本の製造業がコスト競争に勝てる筈がない。日本の製造業が中国へ殺到し、産業が空洞化して不況を促進するのも当然だ。日本は日米だけではなく、日中の通貨戦争にも負けたのである。
中国の人民銀行は貨幣を大増刷して米国のドル債券を買い取って資産を増やしており、国民の資産を吸い上げて資金を調達してはいない。人民銀行のバランスシートは資産がGDPの70%にも達しているという。中国は「社会主義市場経済」の理念のもとで、土地と通貨を個人資産とは考えていないのだろう。
非凡の外交力を必要とするが、円高対策には中国の金融政策を学ぶべきだ。
円高の時はインフレの心配が少ないので通貨の量を増やし円安に誘導しながら経済規模を拡大する絶好のチャンスである。
政府が増税や国債発行で民間の資金を吸い上げてしまったらデフレ不況を解消することはできない。
ゼロ金利の国債発行のような胡散臭い手法ではなく、日本銀行が日本銀行券の増発を拒否する場合は、日本銀行券が無かった明治初期の不換紙幣発行の事例に学び2〜3%のインフレ目標により貨幣発行の上限を設け、政府貨幣の増刷により貨幣発行益(Seigniorage)を生み出すのも賢明な策の一つと思われる。
デフレ不況を克服しピンチをチャンスに変えるには、投機を規制しながら資金循環を増やすことが重要で「官=Tax Eater」ではなく「民=Tax Payer」への資金供給を増やし、科学技術の振興と新しい成長産業への積極的な投資によって付加価値を創造することができれば、日本経済は再び成長軌道に乗ってGDPと税収を増やし、政府の財政破綻を回避することもできるだろう。日本経済の高度成長期は円安と緩やかなインフレが続いていた歴史的事実に学ぶ必要がある。