臨床研究における混合診療の問題
混合診療裁判原告がん患者 清郷 伸人
1.
朝日新聞の東大医科研附属病院臨床研究報道事件
10月15日、朝日新聞は1面で東大医科研附属病院でのがんペプチドワクチンに関する臨床研究を告発する内容の記事を掲載した。その記事が歪んでおり悪質であることは直ちに出た東大医科研の反論や多くの医師、法律家、患者たちの批判で明らかにされているが、私はがん患者として、10月16日のMRICに載った卵巣がん体験者の会代表片木美穂氏の論考に注目した(http://medg.jp/mt/2010/10/vol-325.html#more)。そこにはこの報道事件に対する患者の真実な意見が網羅されているからである。何も付け加えるものはないが、私はその中で触れられた朝日新聞記事の混合診療批判に対するコメントを契機に私の考えを述べてみたい。
片木氏の論考から引用する。「10月16日の朝日新聞の記事では旗色を悪く感じたのか今度は無署名の記事で「混合診療」批判が始まりました。医科研は患者に対してワクチンに関連する請求はおこなっていません。ワクチンに関連するお金は研究費(中略)です。15日に医科研が行った記者会見でこれを混合診療だという追及もあったようですが、これを混合診療としてしまうと日本の臨床試験は止まってしまいます。婦人科がんで現在行われている臨床試験でも、適応外の医薬品を用いることがあり、それに関しては研究費で賄ったり、製薬企業の協力のもと薬剤提供をいただき行っています。患者さんは保険診療分のみの負担です。これをいわゆる一般的に言われる混合診療とごっちゃにされたらたまったものではありません。臨床試験は治験につなげるための有用性を図るものもあります。もちろん臨床試験と治験の2重試験を行わずにすむならばそれがよいのかもしれませんが、混合診療とこれがされるならば承認を得てからしか臨床試験は行えなくなりドラッグ・ラグは今まで以上に悪化するでしょう」。
日本の臨床現場では、臨床試験のみならず保険治療が尽きて苦しむ患者への保険外治療も私自身がそうであったように多くは病院の持ち出しで行われている。しかし厚労省の解釈ではそれらはすべて混合診療なのである。治験以外の臨床試験や医療機関の研究費での保険外治療は、保険外併用療養費の規定にはなく保険診療と併用できないからである。だからこそ片木氏がいうように、混合診療禁止をあらゆる医療行為に厳密に適用していけば、臨床試験もがん治療も止まってしまう現実がある。法制度が実態から遊離している故のダブルスタンダードである。このような不安定な基盤に立つ臨床試験では創薬などのインセンティブも萎縮し、ドラッグ・ラグ、デバイス・ラグは深刻化する一方である。保険治療での改善が難しく、先端治療に期待しようにも法制度が壁になってラグに苦しめられる患者や医師は数限りない。
2. 混合診療をめぐるメディアの姿勢
混合診療を禁止していると主張する厚労省が規制の実体として執っているダブルスタンダードは根の深い問題である。医療現場では臨床試験でもがん治療や他の難治性疾患でも混合診療を行わざるを得ない実態がある。それほどにドラッグ・ラグ、デバイス・ラグは日常的で、旧態依然の規制と先端医療は大きく乖離しているからである。しかし厚労省はすべての混合診療を本気で取り締まりはしない。そんなことをすれば医療が成り立たなくなることは知っている。しかし官僚の恣意的裁量でいつでも伝家の宝刀は抜けるのである。このような規制が真の意味で医療のため国民のためになるか、きわめて疑問である。
一方、メディアも官僚の尻馬に乗って、このダブルスタンダードを使っている。朝日新聞の東大医科研報道後の記者会見で、メディアから臨床試験は混合診療ではないかと問われ、医科研はそう思うと苦しい答えをしている。臨床試験が混合診療であることなど常識である。しかも医科研報道の本質は混合診療などではなかったはずである。何のためにわざわざ本質でないことを指摘する必要があるか。日本のメディアの一端が見える。
私の混合診療裁判をめぐるメディアの報道を見ていて感じたのは、日本では検察のようなメディアばかりで、自分の見解や見識を持つものは少ないということである。権威や権力から流される情報を無批判に報道するだけのように感ずる。混合診療は国によって禁じられているとか法律がどうだとか解禁になったらこんなリスクがあるとか官僚の代弁者かと思うばかりで、混合診療を禁ずる現制度がどんな功罪をもたらしているか、深く掘り下げた記事はほとんどない(全国紙で例外は日本経済新聞だけ)。国民の生命と生活に直結している医療に対して、事件における検察のような役割を演じて裁断するだけのメディアなど有害なだけである。そういう役割が必要な場合もあるが、医療とか教育とか善悪の価値判断が単純でないケースでは、裁断の刃を慎重に扱わないと多くの冤罪を生むことになる。
今回の報道記事を書いた朝日新聞記者は、私の一審判決後、何度も取材に訪れた。彼は混合診療裁判の問題よりも私の受けたLAK治療を行った病院を問題視していた。データも取らない保険外治療を行った病院と医師の欠陥を探ることが目的のようだった。紹介を頼まれて断ったが、私は強い違和感を持った。この記者は患者のこと、医療の最前線のことを何も分かっていない。彼は厳密な基準とプロセスに基づく治験のような保険外治療を想定し、それ以外は邪道だといっていた。確かにそれは望ましいが、国によって禁じられている保険外治療が公的な基準やプロセスを持つことなど不可能である。それでは医師の目の前で保険治療が尽きて苦しむ患者に何もできない。そのような患者は少しでも有効の可能性があれば安全性は二の次である。治験が始まるかもわからず、始まっても終わるまで待ってはいられない。保険外治療といってもがんセンターがでたらめな非科学的治療を行ったわけではない。私のLAK治療はそれ以前には高度先進医療として国も認めていたものである。また主治医は私のデータを取り、学会に発表もしているのである。メディアは医療の最前線におけるこのジレンマと矛盾に苦しむ医師と患者を法律や規律だけで単純に裁断できるかを考えてみるがいい。できるとすれば法律の方が間違っているのである。
3. 臨床研究では混合診療は不可欠
上昌広東大医科研客員教授は、日本のドラッグ・ラグについて、その本当の理由は日本の薬価の仕組みと市場の特殊性にあると指摘している。http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report22_1722.html
新薬は薬価改定ごとに必ず下がるが、後発薬の普及しない特殊市場であるため特許が切れても欧米のように売上が激減しない。このぬるま湯体質のため新薬開発のインセンティブは働かず、欧米や他のアジア諸国での開発を優先することになるというわけである。
また井上清成弁護士は、MRIC364「無過失補償制度でデバイス・ラグの解消を」(http://medg.jp/mt/2010/11/vol-364.html#more)の中で、無過失補償・免責制度のないことがデバイス・ラグなどの発生要因だという村重直子医師の指摘を極めて正当な認識とした上で、重篤な副作用や有害事象などの医療事故と制度がない故に起こされる訴訟を遮断しなければ、患者が不幸であるばかりか医療機器メーカーにとって、敗訴以上に風評被害、報道被害のリスクが高すぎて開発とか承認申請に踏み切れないと述べている。
このように医療現場が求める新薬や医療機器の開発が進まない状況にもかかわらず、苦しむ患者を救うべく東大医科研などで臨床研究は続けられているのである。臨床研究は医師の志だけではできない。巨額の資金が要るわけで製薬企業の協力が不可欠である。この上に臨床研究での混合診療が問題とされるならば、「混合診療とこれがされるならば承認を得てからしか臨床試験は行えなくなりドラッグ・ラグは今まで以上に悪化する」と片木氏が指摘するとおり研究はストップしてしまうだろう。すなわち「治療に苦慮する患者さんが藁にもすがる思いで、自費診療の名のもとに承認されていない治療を高額で患者におこなっているイチャモン免疫療法に飛びついている事情を考えると、多くの大学病院などが倫理審査委員会を通し、きちんとしたプロトコールのもと、患者の同意もしっかりとったうえで行われる」臨床試験は、混合診療を行えるようにすべきである。
11月26日の中医協では、未承認薬・適応外薬検討会議の議論について、厚労省から、結局は治験を行う製薬企業の有無がカギとなるが、企業が見つからない場合は、まず先進医療を実施し、そのデータを利用して治験につなげるとの説明があった。しかし治験から承認までの長さ、治験着手の遅れ、さらに企業が治験に着手しないことが挙げられる中で、そのスキームがどの程度治験着手のハードルを下げることになるのかという意見も出たようである。(エムスリー記事参照)その意見の背景にあるのは、これまで述べてきたドラッグ・ラグを招いている薬価設定、無過失補償の問題、治験前の臨床試験での混合診療の問題であり、それらは厚労省の作文を絵に描いた餅にしてしまうかもしれない。
今年日本医療政策機構、駐日の英国大使館、韓国大使館、米国大使館共催で行われた国際シンポジウム「国際化社会における臨床試験・治験―効果的ながん臨床試験・治験制度の構築に向けて」では、各国の医師主導試験の確立と国際連携が話し合われた。世界はもうそのレベルまで行っているのである。