歴史は繰り返す
東京都文京区 岡戸 知裕
国家戦略の大いなる誤り
戦前の例として日支事変が太平洋戦争への序曲であるならば三国軍事同盟は欧州大戦に組み込まれることを意味し南部仏印進駐による米国の対日石油禁輸はまさに滅亡への第一歩となった。
昭和天皇も語っておられたように世界は米英を中心に回っている中で、なぜドイツと軍事同盟を結んで敢えて米英と対立し欧州戦争に巻き込まれる愚を犯さなければならないのかという根本的な戦略の誤りが存在する。これは決して難しい議論でもなく庶民でも理解できる事だが陸軍大学卒の純粋培養された世間知らずの参謀本部の将官達には単に出世のチャンスとしか映らなかったようだ。その結果310万の死者という途方もない犠牲者を出しても辻正信のように、お構いなしの態度にはあきれるばかりだ。(お構いなしの態度は現代でもエイズ血液製剤事件などあらゆる場面に出現している)
ドイツの同盟に対する歴史的な考え方は、ビスマルクに由来する、つまりドイツが騎馬武者の武者であるべきで、同盟国は馬であらねばならず、あくまでも武者は馬を使いこなさなければならないというドイツの伝統的な信念に基づいている。
ヒトラードイツの戦略は、三国同盟により日本をして交戦中の英仏を牽制することにあり、米国に二正面作戦を強いることによって米国による欧州介入を牽制することにあった。
日支事変は中国に措ける英仏の利権の喪失を意味し、かつ蒋介石軍に対する軍需品の売却はドイツに膨大な外貨をもたらした。
一方スターリンの戦略は日本が中国に翻弄さることでソ連への軍事的圧力を減じることができ、盧溝橋事件はKGBの陰謀だったとしても何ら不思議ではない。
日支事変による戦死者11万は主にドイツが派遣したファルケンハウゼン軍事顧問団の“努力”の結果であり、ヒトラー演出のアジアにおけるプロシア型陸軍同士の軍事衝突ともいえる。そもそも黄禍論の発祥の地はドイツであり、ヒトラーにとり東洋人は果たして人間として映っていたのか、はなはだ疑問だ。
独ソ戦が始まるとソ連を挟撃すべくシベリアへの侵攻をヒトラーから要請され松岡外務大臣はソ連への侵攻を陸軍に強くせまっている。しかしながらノモンハン事件で痛撃をうけた日本は、ソ連侵攻を断念した。
ヒトラーの要請による仏印進駐(ベトナム)は、アメリカによる日本への石油禁輸に繋がったわけだが、狙いは英国のシンガポール要塞の牽制にあった。これにより英国は最新鋭戦艦プリンスオブウェールズを始めとする機動部隊をシンガポールに廻航せねばならなくなり、ロンメルとの北アフリカ砂漠での戦いに大きな障害となった。
但し牽制のつもりが米国による対日石油禁輸で真珠湾攻撃に至った事はヒトラーにとって大きな誤算であった。この時点で蒋介石は勝利を確信したと思う。蒋介石軍の存在は日本に二正面作戦を強要し太平洋での日本軍の軍事圧力を減じることを可能にした。
例えば昭和19年夏、天下分け目の戦いであったマリアナ沖海戦の最中、中国大陸で大陸打通作戦を強行した訳だが国力のない日本が二正面で戦える訳がない。要するにヒトラードイツに利用つくされた揚句、予期しなかった対米戦争にのめり込んでいったというのが実情だ。太平洋戦争は予期せずして日本が世界を相手として戦ってしまった戦争で、日露戦争のように日本とロシアの一国戦では全くない。日露戦争は日英同盟により事前にフランス、ドイツを英国に牽制させ、ロシアとの一国戦に集中できるように仕組んだ。
もし米国との一国戦であるならば、おそらく日露戦争のように辛勝ぐらいはできたはずだ。
なぜなら日本には世界最強といえる空母を中心とする連合艦隊があったからだ。
性能では当時世界最強のゼロ戦と錬度の高いパイロット、それに大和、武蔵という世界最大の戦艦で砲弾の到達距離が東京の中心部から八千代台当たりまであり戦艦群の大砲の命中率は米国の3倍はあっただろう。
酸素魚雷は無航跡魚雷と言われ航跡が見えない恐るべき兵器であった。
開戦劈頭米国はゼロ戦との空中戦を禁じたほどでゼロ戦1機に対しグラマン3機で戦うよう指令を出している。
310万人という膨大な死者を出した先の大戦は、要するにまともな国家戦略と戦術がなかったことに他ならない。愚かなる指導者の愚かなる決断である。
その愚かなる決断に対し、日本国民は310万人の死者という途方もない代償を支払った。
現代はどうか?
戦前と何ら変わっていない。愚かなる指導者と愚かなる政策のお陰で900兆円を超える借金に埋もれてしまった。政策の失敗を血で贖うことはないが、毎年3万人を超える自殺者と極端に低い出生率により又も自滅への道に回帰してしまっている。
利益誘導型政治の愚かなる指導者達(例えば鈴木宗男)、日和見主義的なメディアの存在、省益あって国益なしと言われる自己中心的な官僚群、そこから生じた場当たり的で愚かなる政策が衰退の原因だ。
まともな官僚はすでに天下りか退官させられており、おそらく霞が関にはまともな役人はいないはずだ。これは帝国陸海軍によく見られた光景で、悪貨が良貨を駆逐した後は破滅の道を驀進する愚かな指導者しか残らなかった。
昭和天皇のご心痛はいかばかりであったろうか。
公共工事をやめること、そして役人は半分で
戦前は国際紛争の解決の手段は軍事力であった。なんでも軍事力に訴えて解決しようとしたことが自滅に繋がった。現代では不況の克服は公共工事という実な馬鹿げた政策を連綿と遂行してきたわけだが、これには野村証券のリチャード・クー氏や日本経済研究センターの香西氏、米国ではクルーグマン教授など無責任な経済学者の論説がその時代の空気を醸成してきた。
自民党代議士の後援会長は殆ど建設業者である。
小沢氏を含めて自民党の殆どすべては土建まみれになっている、公共工事があれば自動的にコミッションが代議士に落ちる構造こそが問題の核心だ。消費税増税はその構造をただ温存させる手段にしかならないだろう。
日本の国富があまりに公共工事と役人の人件費に注ぎ込まれている。これが衰退の原因である。
需要のないところに建設する道路は戦争経済と似て拡大再生産が不可能であり、経済効果を全く期待できない。
ダム工事だけでも建設中と計画中が140ケ所もあり、さらに道路建設、橋梁など国費が止めどなく注ぎ込まれている。
戦前の負の連鎖がようやく止まったのは2発の原爆とソ連の参戦である。これを近衛文麿は天祐ともいった。これほど方向転換は難しいのだ。
戦前は中国からの撤退が破滅を回避する道であったが、現代では役人の削減を含む財政支出の大幅な削減以外にない。要するに金がなければ使わなければ良いだけの話なのだ。
国家戦略というのは、難しい議論から生まれるのではなく、庶民でも分かるようなことを着実に実行することだ。
1月26日の日経朝刊の社説に、消費税増税が国家破綻を回避する道とあったが実におかしな話だ、まずは公共工事を中止し役人を半減させることが先決だろう。つまり出血を止めることが先決だ。戦前でいえば昭和15年に中国大陸からの撤兵を陸軍自身が決めたのであるから米国に言われるまでもなく独自に撤退すれば310万の人命が救われた訳だ。
まずは戦闘(工事)を中止すべきだ。
会社の経営と同じで誰でもわかることを地道に進めてゆくこと以外にないのだ。
(膨大な数の役人と高額な給与は税金を支払う側を疲弊させてしまう)
先日の名古屋のダブル選挙での河村陣営の勝利で日経による消費税増税の大合唱が一挙に雲散霧消してしまった。苦笑以外の何ものでもない。要するに日経は単に広告主の集合体である経団連の提灯記事(法人税減税と消費税増税)を書いてきただけのことなのだ。
(ちなみに輸出企業には消費税が免除されている)