歴史は繰り返す

東京都文京区 岡戸 知裕

今回の原発事故は人災だと多くの人が理解していると思う。

ジャパン・タイムスに掲載されていた上智大学のゴレゴリー・クラーク教授の記事の中で、元東芝の技術者が、第一原発建設当時GEの技術者との会議の中で、地震の話は出たが津波の話は無かったという。

本来日本側が出すべき案件であったろうにと非常に不思議な気持ちになったとのことだ。

どうも日本人というのは空気に支配されやすい国民性があるようだ。つまり全体がそういう空気に支配されると間違っていても誰も反対意見を言うものがいないということだ。先の大戦も対米戦はもはや不可避という空気に支配され、最後には対米戦反対と海軍でさえ言えなくなった。

福島原発の非常用電源は結果としてグランド・レベルに建設されてしまい、今回のような大惨事を招いたが、建設当時からすでに長い年月が流れ途中危険性が指摘されながらも、放置されてきたということは、東電の責任もさることながら原子力保安院、原子力安全委員会の責任が追及されてしかるべきと思う。東電社長の清水氏も典型的な小役人タイプの人間で今回の事故は予測不可能な天災であり免責扱いが妥当との東電の見解を発表している。

テレビ報道で保安院の西山氏の会見をあっけにとられて見入っていたのは自分だけではないだろう。気持ちの悪い微笑みを浮かべながら情報がないので答えられないという当事者意識を微塵も感じさせない無責任極まりない態度だ。

第三者的な立場から微笑みを持って報告しているつもりだろうが、これが霞が関の実態なのだということが今回、国民に実況中継された。長妻氏が長らく厚生労働省でバトルを演じてきた訳が良くわかるわけだが、原子力安全委員会の斑目氏も同じような問題を抱えた人物であろう。つまり責任感なるものがないので当事者意識がない、つまり国民の血税で生活しているという自覚が全くない小役人だということだ。

責任回避、当事者意識不在という役人の病は、今に始まったことではない、太平洋戦争の仕掛け人である、陸軍参謀本部の服部卓四朗や辻正信は真にこういったタイプの人物で戦後米国のCIAから秘密資金を得ていたということが後日暴露されたのだが、こういった人物を指導者として仰ぎ見て南海の海に藻屑と消え、孤島で餓死した将兵のことを思うにつけ大きな憤りを覚えざるを得ない。

国鉄の清算から始まり、日本航空の倒産、そして東電とドラッカーが予言した通り、やはり役所仕事という統治方式はもう現代に通用しない。

日本政府も同じで今、断末魔の状態が出現しただけなのであり、原発事故が象徴的な事件であるということだ。

日本航空の倒産は20年以前から予見できたが、以来自分は一回も日航に搭乗したことがない。日航の機長は上空へ達すると自動操縦にして、機内アナウンスはフライトアテンダント任せにし、ご就寝になるというまことに恐ろしい状態が長らく続いているようだ。その結果他社と比較してエア・ポケットに落ちて乗客が怪我をするという事故がJALに非常に多くみられる。

国鉄民営化の際も翌月の給料が支払えないという報告が当時の中曽根首相に届き、そこから改革が始まっている。

日本政府の解体を始める時が真に来ていると思う。

今回の原発事故は終わりの始まりなのだ

日本が長らく成長という言葉から見放されて20年以上経ったが、そろそろ政治家、霞が関の役人も気づいて良いころかと思う。

今真に経済は恐慌寸前の状態に陥っているわけだが、本当の恐慌に陥ることも覚悟しなくてはならない。民主党はもう少しましなリーダーを出すべきだ、金まみれの政治家(小沢氏)や時代錯誤の社会主義者(菅直人氏)ではない若手に相応しい人がいるはずだ。

先の選挙で増税により福祉予算を増やせば景気が回復するという発言があったが、増税で景気が良くなるという発想自体が現実離れしている。

自民党も谷垣氏では菅氏よりさらに悪い選択肢となるだろう。つまりお先真っ暗という状況だ。

小泉氏は自民党をぶっ壊すという衝撃的なキャッチフレーズから始まりプライマリーバランスまであと4兆円まで迫った。要するに今も昔もリーダーの器量しだいというところか。