未来志向のエネルギー戦略を!

東京都文京区 松井 孝司

福島第一原発の爆発事故は、原発に対する国民の意識を大きく変えてしまった。

日本だけではなく日本から遠く離れたドイツやスイスの国民の意識まで変えドイツとスイスは国策として「脱原発」を決めた。影響はイタリアにも及び国民投票で原発を拒否したが原発で発電した電力をフランスから購入することを容認していては自己矛盾だ。

日本でも日本製原発システムの安全性を信じて海外への輸出を推進しようとしていた人達まで「脱原発」を口にするようになった。「脱原発」は次期総選挙の争点になりそうだが「羹に懲りて鱠を吹く」のは無知な人間のすることである。

爆発の原因を徹底的に究明し、今後の事故に備えた対策を講ずることこそ賢明な人間がとるべき道だろう。核エネルギーの本質を正しく理解せず一時的な恐怖心に駈られて対処すると日本経済の未来に取り返すことができない損害をもたらすことになる。

「失敗は成功のもと」であり、失敗を授業料と考えて無駄にせず生かす智恵があれば「災いを転じて福とする」ことができるのだ。

地震と津波の被害を受けながら福島第二原発が大事故とならなかった事実は重要である。

大事故にならなかったのは震災直後に炉心冷却用の電源を確保し315日には冷温停止を実現できたからである。早急に日本国内のすべての原発について大地震、大津波が襲来しても電源が遮断されないよう対策を講ずる必要がある。

爆発の原因は原子炉で高温となったジルコニウムと水が反応して発生した水素によることが明かにされている。水素が発生し爆発の危険があるシステムの安全性の保証は難しい。爆発で大気中に放射性物質が飛散したら遮蔽は難しく、放射性物質が遠くまで飛ぶので被害が拡大しやすいことも容易に想定できたが、これが現実となってしまった。

核燃料のメルトダウンより放射性物質の拡散が被害を拡大した事実を重視すべきだ。

排気筒(ベント管)を持つ原発は何を意味するのか?

今から振りかえれば沸騰水型軽水炉原発システムの設計思想に問題があった。

原発の多くが電力の消費地から遠く離れた場所に設置されているため送電ロスも無視できない。一か所に巨大な原発システムを集積させ地元自治体に交付金などの支出を強いられる上に自治体の承認がないと稼働できずコスト高となることも問題だ。

原発のもう一つの問題点は使用済み核燃料の廃棄処理を難しくしていることである。

テロ集団の武器となる核燃料の拡散防止も重要課題であり、ウランを核燃料にする現行の原発システムには問題が多すぎる。

現行の巨大な軽水炉原発は事故を起こしたら採算がとれない欠陥システムであり、地震大国の日本での増設は取りやめた方が賢明だろう。

しかし「脱原発」の声に応えて、すべての原発システムの研究開発と新設まで中止するのは早計である。

新興国の経済成長に伴うエネルギー需要の増大で化石燃料の価格高騰が危惧されるし、ほぼ無尽蔵の核エネルギーが人類の未来を託すエネルギー源であることに変わりはないからだ。

検討に値すると思われる原発の一例は古川和男氏が提唱するトリウム溶融塩炉原発である。トリウム溶融塩炉は「腐食に問題あり」として不当に弾劾排除されてきたそうであるが、核兵器の原料となるプルトニウムの生産を優先するためではなかったのか?

核兵器の開発を諦めたドイツ、イタリア、スイスの「脱原発」と核兵器を保有する米国、イギリス、フランス政府の「原発推進」が対峙していることが象徴的だ。

古川氏が指摘される通り原子炉は「化学プラント」であり、炉心は制御が容易な液体核燃料の使用を前提に設計すべきであった。

チェルノブイリ原発の事例のように爆発破損した原子炉を石棺にして放射性物質を閉じ込めるなどという処理方法は国土の一部を永久に廃墟とすることを意味する。国土再生には六ヶ所村の再処理工場で実施されているようにメルトダウンした核燃料を化学的に処理する以外に方法は無いだろう。

古川氏によれば「トリウム溶融塩核エネルギー協働システム」を採用すればプルトニウムを含む放射性廃棄物もエネルギー源として燃焼消滅させることができるという。放射能汚染で立ち入り禁止となり廃墟となる可能性が高い福島第一原発でトリウム溶融塩協働システムの安全性を試してみてはどうだろう。

都市近郊での分散発電の試行を兼ね溶融塩原子炉は地下深くに設置して発生する熱も利用するコージェネ・システムとし、効率より安全性を優先させて事故が発生しても対処しやすい小型の発電システムとすることが望ましいと思う。

福島第一原発の跡地を六ヶ所村に次ぐ核廃棄物の貯蔵所とすると同時に、化学処理で放射性核廃棄物を再利用することができれば、核廃棄物を蓄える原発跡地が高付加価値のエネルギー貯蔵庫となって蘇るかもしれない。日本の軽水炉で排出される使用済燃料からプルトニウムを分離すれば核燃料は100年分が備蓄されていることになる。

放射線の本体はエネルギーであり、太陽光も放射線である。風力などの自然エネルギーも、元を糾せば太陽から出る核エネルギーが変換されたものである。自然界は放射線に充ち溢れており、言葉を変えれば自然界は核エネルギーの宝庫なのだ。

原子炉から出る放射線が有害なのはエネルギーが強過ぎるからであり、太陽光の危険性が少ないのは放射エネルギーが弱いからである。

太陽光発電が代替エネルギーとして注目されているが、太陽の放射線の多くはオゾン層などで遮蔽されるため地上に到達する単位面積当たりのエネルギー量が少なく発電効率は悪い。補助金を付けたり発生する僅かな電気を高額で買い取らなければ発電パネルが普及しないようではパネル製造の付加価値も少なく、メガソーラーと称して大規模発電用パネルで休耕地を覆うのも貴重な土地の付加価値を高めることにはならないのである。

降雨の少ない砂漠のような不毛の土地、または大気圏外での太陽光発電なら採算が合うだろうが、日本のように太陽と水に恵まれる国土では太陽光発電より、同じ土地で有用な植物を育てた方がはるかに付加価値は大きい。

太陽光発電はエネルギーの一部を電気に変えるだけだが、植物は光合成で太陽光エネルギーを無駄なく取り込み、衣食住の素材となるだけでなく、炭酸ガスを吸収して酸素を供給しバイオマスとして熱源、発電用の再生可能のエネルギー源にもなるからだ。石油が枯渇したとき代替となるのは植物である。

農林業を自然エネルギー利用の未来志向の戦略産業に位置付け育成強化すべきだが、農林業の付加価値を帳消しにし、農林業を衰退させているのは円高である。杉の古木が伐採されず花粉を飛ばしつづけ花粉症患者を増やしているのは、林業が円高のため購入価格が安くなった輸入材に対抗できなくなったからだ。

円安誘導は農林業だけではなく日本経済の再生にとって不可欠の重要戦略であり、円高を許容し農産物や化石燃料が安く輸入できると喜ぶのは近視眼的で戦略不在と言わざるを得ない。

円高は米ドルの価値が目減りした結果であり1985年のプラザ合意後、日本は円高による産業の空洞化を招いて経済を低迷させただけではなく、ドルベースで海外に貸し付けた円と購入した米国債の価値を大きく減らし巨額の損失を被っている。

一方世界最大の米国債保有国となった中国は日本の失敗の歴史に学んだ国家戦略により極めて小幅な元高調整を世界に容認させている。

失敗を繰り返さないためには失敗の歴史に学び未来の戦略を立てなければならない。

有史以来、人類は放射線によるDNA損傷を修復しながら進化し、突然変異で多様化された生物群と共存してきた歴史的事実と生物の自然への適応現象にも学ぶ必要がある。

日本国内の多くの医学、薬学系大学で行われた動物実験では、低線量の放射線照射は骨密度の減少を抑制し、癌抑制遺伝子p53を活性化して癌の転移を抑制し、ラジカル消去酵素SODを増やして過酸化脂質を減らし老化を抑制するなどホルミシスと呼ばれる効果が確認されている。

ホルミシス効果を頑強に否定する人も存在するが偏見を持つことなく放射線の核種と線量を変え詳細に検証する必要があるのではないか?

ホルミシス様効果はワクチンなどの弱毒にも見られる普遍的現象であり医薬品の多くが少量の「毒」を使い方によって「薬」に変えているといっても過言ではない。使い方を間違えると「薬」も「毒」になる。

仏教で説く「変毒為薬(毒を変じて薬となす)」の箴言は「毒」の本質を知り尽くした知力が可能にするのであって、欠かすことができないのは「毒」に対する正しい知識である。

有害な放射線の遮蔽、制御技術を確立し、徒に放射線を恐れることなく核エネルギーの本質を正しく理解して有効利用を推進し、低炭素産業革命を実現することこそ未来志向のエネルギー戦略だ。