医療保険行政における違法性と違憲性
混合診療裁判原告がん患者 清郷 伸人
1.
溝部訴訟原告勝訴の歴史的重要性
東京高裁は5月31日、みぞべこどもクリニック(山梨県甲府市)院長の溝部達子氏が社会保険事務局により保険医療機関の指定と保険医登録の取り消し処分をされたことに対し、その処分の取り消しを求めた裁判で、国の控訴を棄却し、2010年3月の甲府地裁の一審判決と同じく、取り消し処分は違法との判決を示した。(2011年6月1日m3.医療維新)
溝部氏の代理人である石川弁護士によると、高裁レベルで「取り消し処分が行政の裁量権の逸脱に当たり、違法」と判断されたのは初めてということで、この判決は全国の医療機関、保険医にとって歴史的な重要性を持つものとなった。保険医療機関の指定や保険医登録の取り消しといった死活を伴う処分で、行政が裁量権限を一手に握り、司法も手を出せない状態が永く続いていたが、ほぼ無限のその裁量権に初めて医療権や人権の優位という制限が加えられたのである。溝部氏も判決後の記者会見で「保険行政の長い暗黒の時代に、夜明けの光が差してきたといえる。全国の保険医は保険指定がいつ取り消されるかが分からない恐怖の状態に置かれている。この負の遺産は決して若い医師に引き継いではいけないと考えている」と述べている。
溝部氏は、インフルエンザに伴う無診察投薬などで指導・監査を受け、約42万円の不正請求があるとされ、保険取り消し処分を受けたため直ちに提訴し、2010年3月に「社会通念上、著しく妥当性を欠くことが明らかであり、裁量権の範囲を逸脱したものとして違法」という甲府地裁の一審判決を勝ち取った。
国はこの判決を不服として控訴した。控訴理由は「厚生労働大臣またはその委任を受けた地方社会保険事務局長の医療保険制度に関する専門的・技術的知見に基づく、広範な裁量に委ねる立法政策による」というもので、国(厚生労働省)は、この文句を金科玉条として自らの一方的裁量権による独裁的行政行為の正当性をいかなる場合も一貫して主張してきた。そして立法解釈も含むこの行政権限を司法も立ち入らせない聖域とすることに成功してきたのである。わが国のほとんどの法律が議員でなく官僚による行政立法であることがその背景にある。現在最高裁で審理中の私の健康保険受給権確認裁判(いわゆる混合診療裁判http://kongoshinryo.net)においても、国の主張はまったく同じである。
高裁判決は控訴理由にうかがえる国の立法解釈を伴う独占的裁量権に一定の制限を加え、聖域の一部に風穴を開けたものといえるが、石川弁護士は問題はまだ残っていると次のように語っている。「憲法の理念を踏まえれば、行政庁には絶大な権限があるため、それを縛るのが法律。しかし健康保険法ではそれが実現されておらず、療養担当規則に違反すると判断され、処分されれば直ちに効力が生じる。医師にとっての死刑判決≠即、執行できる。判決では立法論まで言及することは期待できないとは考えていた。この点は今後の問題」、「東京高裁判決では、一般的に当然ながら、『不正』、『不当』医療行為の証明責任が国にあることを示しているものと言える。例えば、保険医が行った検査について、「診療上、必要がない」ことを国が医学的に証明しない限り、不当検査とは言えないという解釈だ」、「たとえば道路交通法では、どんな場合が違反に相当し、いかなる処分を受けるかが明確になっている。しかし、今の指導・監査の基準は明確ではなく、行政の一存で決めることができる。指導・監査をめぐる贈収賄事件の根底にはこうした問題がある」
この保険取り消し処分に基準がないことは、むしろ厚労省の「政策」だといえる。混合診療も取り消し処分の十分な理由たりうるが、何が混合診療で、何が違反かの定義や基準は一切公には示されない。行政行為に定義や基準がないこと、すなわち明文規定がなくブラックボックスであることが絶大な権力の源泉である。
事実、国は私の裁判における最高裁からのどのような場合が混合診療に当たるのかという質問に対し、ケースバイケースで判断すると答えている。2007年
2.健康保険受給権取り消しの違憲性
私の裁判では、国は患者が不当な医療費請求を受けないこと、有効性・安全性の保証されない特殊療法(国の用語)が行われないことが健康保険法の基本理念であり、混合診療を禁止するのが立法者意思であると主張してきた。そしてその意思を実現するために、混合診療禁止政策を医療機関の保険指定取り消しや患者の保険給付取り消しという行政処分を伴う自らの独占的裁量権で実施できると正当化してきた。
これに対して原告の私は、混合診療においても私の健康保険受給権はあるはずだと訴えた。そして東京高裁で敗れた私は、私の混合診療(保険外のLAK治療と保険内のインターフェロン治療の併用)禁止の違法性と健康保険受給権取り消しの違憲性を主張して最高裁に上告したのである。
現行の保険医療制度では、国の認めた保険外診療と保険診療を併用できる保険外併用療養費制度(旧法では特定療養費制度)がある。国はその反対解釈で、国の認めない保険外診療と保険診療との併用、すなわち混合診療は禁止されているとする。東京高裁は国のこの主張を認めたのであるが、その保険外併用療養費制度も臨床現場では、たとえば保険治療の尽きたがん患者が先進国でも認められている抗がん剤などの先進治療を受けられる可能性は非常に小さいのが実態である。
その理由の一部を国の会議に出席した東大教授の伊藤元重氏が次のように述べている。「ダビンチという手術用の機器がある(手術ロボットと呼ぶ人もいる)。ある病院がこの機器を導入しようとしたが、それが非常に困難なことに気づいたという。日本には混合診療を禁ずるルールがある。(中略)保険診療対象外であるこの機械を使った治療をすれば、本来であれば保険でカバーされるべき他の治療もすべて保険の対象外となってしまう。乱暴な比較かもしれないが、塾に行っている生徒には、学校の授業料を多く取るというようなものだ。ダビンチを使おうと思えば、本来であれば保険でカバーされるべき治療もすべて保険外になるので、それでも治療費を負担できるという金持ちしか治療を受けられないことになる。
これは理不尽だと誰もが思う。そこで、先進医療の場合にはその限りではないという保険外併用療養費の制度がある。この制度を使えば、ダビンチを使ってもそれ以外の治療の部分は保険でカバーされそうだ。しかし、制度を精査すると、そこには制限規定が設けられている。先進医療の適用を受けるためには、その医療機関が当該療養について2年以上の経験を有し、当該療養を主として実施する医師は5例以上の症例を実施していること、という条件が付いている。このため、現実的には新しい機器を入れるのは容易ではない。(中略)結果的に日本の病院へのダビンチの導入は非常に遅れているようだ。(中略)
ダビンチの導入を促進すべきかどうかは専門家の方々の判断に任せるしかない。しかし、積極的に導入したいと考えている医療機関があっても、制度がそれをじゃましているのだ。先進医療については保険外併用療養費を認めるような制度がありながら、現実的にはこの制度が使えないような縛りが制度の中に隠されているのだ。」(伊藤元重「日本の未来を考える」2011年6月4日、下線は原文のまま)
骨組みだけは立派だが、魂のない保険外併用療養費制度は、結果的にがん患者の治療や治癒に役立っていない。それはむしろ保険外診療を押さえ込む意図が優先されており、海外の進んだがん治療を受けられずに死亡するがん患者の増大を招いている。これは憲法で保障されたがん患者の生存権(25条)、幸福追求権(13条)を奪っているといえる。
さらにそれは混合診療禁止の唯一の法的根拠となることで、行政が患者の健康保険受給権を剥奪し、一切の保険治療を受ける道を閉ざすことにつながっている。これは憲法で保障された生存権、幸福追求権を奪うとともに保険料をキチンと支払った被保険者としての平等権(14条)、財産権(29条)をも侵しているといえる。
そもそも現行の保険外併用療養費制度で医療費が支給されたとしても、健康保険による療養費の現物給付と同額だから実害はないとはいえ、本来受給できるはずの保険給付(療養費の現物給付)を奪われている事実に変わりはない。それは混合診療における健康保険受給権剥奪と本質的には同じである。
仮に百歩譲って、国が保険医療行政の金科玉条とする、情報の非対称性によって生じる患者側の不当な医療費負担の防止、所得による医療アクセスの格差の防止、医療の有効性・安全性の確保だけであれば、行政としては保険医療機関における保険外診療を禁止すれば足りることであり、患者の保険診療相当部分についてまで保険給付の対象から除外する必要性、合理性はないのである。
(23・6・18記)