昭和・平成を貫く官僚主導国家の罪
神奈川県藤沢市 清郷 伸人
1.
太平洋戦争から原爆へ
昭和6年関東軍が仕掛けた満州事変に始まった日中15年戦争は、太平洋戦争へと拡大し、昭和20年の米国による2発の原爆投下後、日本の敗戦により終結した。この間の日本人戦死者は300万人、巻き込まれたアジア人戦死者は1000万人ともいわれる。このような史上まれに見る膨大な犠牲者を出した戦争だが、民間の研究はあるものの日本国家による公的な総括はいまだ行われていない。それどころか隠蔽されていた重要な事実や資料が次々に出てくる始末である。もちろん国家が検証すべき戦争の原因や責任の追及など曖昧模糊としたままである。
最近、明らかになった資料に「海軍反省会記録」(NHKスペシャル取材班「日本海軍400時間の証言」新潮社)というものがある。生き残った海軍軍令部参謀たちが戦後集まり、戦争を顧みた記録とされる。私たちはそこで語られる戦争指導者たちの生々しい実像に驚愕する。海軍あって国家なしの官僚的セクショナリズム、精神論と人間関係で決まったミッドウェイ作戦、二二六事件から引きずる陸軍と右翼への恐怖、皇室を利用して予算を獲得した軍令部、官僚的狡知には長けているが、本質的思考なく空気に支配される雷同性、戦況を希望的観測で判断する甘えの構造―─それらはもちろん陸軍の病巣でもあったが、何より驚くのはかれらの話し方である。国家を誤り、国民を屍とし、アジアを蹂躙した痛哭はない。あたかも会社の経営に失敗したかのような話しぶりである。そこに見えるのは、典型的な官僚の姿である。
太平洋戦争へと誘導した陸軍の東条首相も実に優秀な官僚だった。統帥権という憲法にない権力を駆使して、政治家とマスコミを黙らせ、戦費を調達した。軍部官僚たちは徹頭徹尾、金の亡者だった。莫大な予算を獲得し、使途も自由にした。机上で企図されたかれらの計画はこうして官僚的に貫徹され、国力に不釣り合いな重装備となった。せっかくの重装備は使われなければならぬ─グランドデザインもなく、精神論と感情論で起こされた戦争は戦線だけが拡散していった。
官僚化した軍人たちは、経済力は戦力であり、米国の経済力に太刀打ちなどできぬという米国駐在武官の言葉を笑ったが、補給もない前線で連鎖する全滅戦という冷徹な現実に甘い想定が覆されると、かれらは事実の隠蔽に全力を注いだ。
「1944年6月、日本は前線司令部を構えていたサイパンで米軍と激突し、7月にはほぼ全滅状態でサイパンが陥落します。この時点で日本が戦争に負けるであろうことは、天皇も近衛文麿首相も大本営も国家の中枢にいた人たちはみんなわかっていた。けれども、事実をひた隠しに隠し、まさに大本営発表を繰り返しました。なぜかといえば、国民の前に真実を伝えた時の国民の反応が恐い。そのような経験がないからです。敗北という事態を想定しないわけですので、合理的な敗け方がわからないのです。政府も国民も。」
(加藤陽子原発もあの戦争も「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?
日経ビジネスオンラインhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110802/221831/)
敗北を想定すること自体が利敵行為という思考停止の官僚体質は、原爆投下という極限状態でも変わることはなかった。日本陸軍は新型爆弾搭載機の飛来情報を掴んでいたという事実が明らかになった。(NHKスペシャル8月6日放送「原爆投下・いかされなかった極秘情報」)広島でも長崎でも現場は信号音をキャッチし急報したが、参謀本部はそれを握りつぶした。とくに長崎の時は広島を知っていたのであり、大村飛行場でいつでも出撃し、体当たりしてでも敵爆撃機を落とすと待機していた飛行兵は、今この事実を知り、「なぜ出撃命令を出さなかったのか、これが日本という国の姿なのか、今でも変わっていないのではないか」とつぶやいていた。せめて参謀本部がまともなら空襲警報を発令し、これほど膨大な犠牲者を出さなくてすんだのである。
2.高度経済成長から原発へ
前出の加藤東大教授は、戦後の日本は55年体制を安定的に維持すればよかった、安保条約第2条の経済協力条項と憲法第9条の相互作用によって、日本は東南アジア諸国を安心させつつ経済成長をひた走ることができたと述べている。しかしそのために、憲法9条の国内的な意味は何か、自衛隊とは何かを真剣に考えることはなかった、自衛隊は合憲か違憲かという神学論争になったが、原発も推進か反対かの神学論争になってしまったとメディアを含む日本人が思考停止に陥っていることを指摘し、それは「それでも日本人は戦争を選んだ」時と酷似していると述べている。まさに「太平洋戦争、原子力は政府もマスコミも国民も現実を見ないという点で、失敗の構造が同じだった」のである。
この「現実を見ない」という「失敗の構造」は、太平洋戦争においては「神風神話」となり、原発においては「安全神話」となって繰り返されている。希望的観測・フィクションに酩酊し、問題をリアリズムで考えない風土は変わっていない。貫かれているのは、日本が官僚主導国家だという本質である。
原爆と第五福竜丸事件で焼き付いた日本人の核アレルギーを中和するために、高度経済成長に必要と選択された原発は、安全神話というフィクションを始めからまとわされた。しかも事業者のみならず監督する官僚も学者もマスコミも神話をフィクションでなく、本物と信じたかのように、国民の反核感情との神学論争に明け暮れ、事故や問題は隠蔽され、原発の科学的リアリズムによる検証は置き去りにされた。かれらは原子力村というバリケードの中に閉じこもったのである。それは末期症状の日本軍が、大本営発表というバリケードに逃げ込んだのと同じである。
現在、原発事故を含む震災復興が論議されているが、ここでも官僚主導国家による「現実を見ない失敗の構造」は繰り返されているようである。経済評論家の津田栄氏は、政府が決めた復興の基本方針に対し、官僚が机上で作った文章、抽象的で各省庁の施策の寄せ集めに過ぎず、復興ビジョンの全体像も示されず、地域特有の視点もなく、全国共通の金太郎飴的な発想と切り捨てている。さらに根拠も示さずに13兆円という数字だけが踊り、その財源に焦点を当てて増税を声高に言い立てる、マスメディアも基本方針の検証すらせずまず増税ありきで、官僚に操られているかと疑いたくなると述べている。
(http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/economy/article683_8.html)
前に、通信現場が原爆機襲来を急報したが参謀本部は握りつぶしたと書いたが、突きつけられる事実を受け入れずに敗戦の決断を先延ばししてきた官僚軍人たちはそのとき何をしていたか。かれらは天皇の安泰のみを案じていたのである。そのためにヤルタで対日参戦を決めていた連合国側のソ連に停戦の仲介を依頼する始末だった。しかし、この笑えない喜劇を笑うことはわれわれにはできない。われわれにもそのDNAは受け継がれているからである。
福島原発事故の収束に挺身している作業員たちは危険な高放射線量を浴び続けている。将来、白血病などを発症する可能性がある。虎ノ門病院の谷口医師は治療のための移植に備えて、自分の骨髄液を保存する谷口プロジェクトを提案したが、行政も学者も反対し、政治は無視している。世界の標準ではないからだそうだが、今回の事故のような類例のない異常事態に世界標準などあるのだろうか。作業員の将来に想像力を働かせ、独自の判断で実施すべきではないか(ちなみに幼稚園や小学校の被ばく線量基準も世界標準ということで当初20ミリシーベルトとしていた)。――太平洋戦争では、兵士は人間ではなく道具だった。片道切符で特攻させられた。米軍では想像もできない作戦である。作業員たちは違うといえるだろうか。
官僚主導国家の罪という大上段の文章も終わるが、官僚主導が即、日本の不幸といっているわけではない。公的精神にあふれた有能な官僚の方が私欲にあふれた無能な政治家より有益であろう。しかし、理想に燃えた若い官僚も「保身」という官僚組織の基本原理に必ず染まっていく。保身で凝り固まった官僚に導かれる国は、不幸といわねばならない。
やはり民主主義社会では、国民から選ばれた任期のある政治家が国を導くべきである。その政治家に求められる資質とは次のようなものであろう。――ドイツ軍占領下の国で、ユダヤ人を亡命させる組織に身を投じていた22歳の青年の、捕らえられて処刑される前、母に宛てた手紙に書かれていた言葉「僕のことを心配しないで。この運命を受け入れる。僕個人のことなど問題ではない。大事なのはこの理想なのだ」。