歴史からの教訓−賢者と愚者−

東京都文京区 松井 孝司

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という。歴史から学ぶことができるのは因果律である。歴史を学び因果律を体得する賢者は先見力を発揮すると解釈できる。

アップル社の創業者故スティーブ・ジョブス氏は、大学の講演で聴衆に「愚か者であれ!」と言ったが、ご本人は仏教から因果律を学び優れた先見力を発揮した賢者であった。

因果律は科学の基礎となる普遍的原理でもある。

近代に入ると記録された文書だけではなく、「科学の目」を持てば地球上のさまざまの事象や痕跡から生物や地球の歴史も学ぶことができるようになった。

地球の歴史に秘められた普遍的原理を体得できれば、歴史を学ぶ科学者の視野は空間軸に時間軸も加わり大きく広がる。

科学者こそ未来を予見する賢者としての資格を持つことになるが、普遍的原理を体得することは誰にでもできることではない。

20世紀初頭に相対性理論や量子論が誕生し、自然を支配している原理は通常の言葉では表現が難しく、マクロの世界だけではなくミクロ世界でも時間と空間を超えて適用できる普遍的原理は、科学の記号を借りなければ表現できないことが判った。

意外なことに光や放射線の本体は空間を飛ぶエネルギーであり、波動であると同時に粒子としても振舞うことが明かにされた。目に見えない宇宙の真理は感性で理解すると間違うことが多いのである。

宇宙空間は放射線に満ち溢れており、生物は放射線で損傷するDNAを修復しながら突然変異によって自らを変身させ環境の変化に適応してきた。新しい生命の誕生と消滅を繰り返す歴史は因果律で把握することが難しく確率過程であることも明らかにされた。

皮肉なことに科学の進歩で歴史から因果律を読み取ることは難しいことが判ったのだ。

しかし、因果律が無くなったのではない。因果律は誰も否定できない普遍的原理であり、短期間では因果律を把握できない現象でも長期的視野に立てば因果律は100パーセント的中する。

2011年の東日本大震災も地球の過去の歴史に学んでおれば地震による津波の被害を大きく軽減することができただろう。

経験に学ぶことになった福島第一原発の爆発事故の代償はあまりにも大きかったが、爆発事故の因果関係を究明して、事故の原因を無くせば事故の再発は防止できる。

首都圏への一極集中は歴史上経験したことがない。これを容認していては歴史上類例のない巨大都市災害を経験することになるのではないか?

21世紀の人類にとって最大の難題は地球規模で発生している異常気象、巨大な気候変動への対処である。

地球温暖化の原因は太陽から放射される赤外線エネルギーにあり、化石燃料の大量消費で大気中に赤外線を吸収しやすいCO2を増やすことが気温を上昇させるのである。

反原発を標榜していた環境保護論者も、地球温暖化を防止するためCO2を出さない原発を消極的に容認する方向に変わりつつあったが、日本に於ける原発の大事故で反原発論者を増やすことになってしまった。

地球上の日射量は周期的に大きく変動しており太陽からの放射エネルギーが減少する地球の寒冷化も無視できない。多くの生物が地球の寒冷期に絶滅しているからである。

地球に寒冷期が訪れたら農耕地が不足し、化石燃料の価格は暴騰して食料とエネルギー資源の奪い合いが激化するだろう。

人類が直面する危機に対して先見力を発揮できる賢者の数は少なく、間違った知識を持つ愚者が多数派となって危機を回避できなくなることが危惧される。

現在の日本にとって最大の難題は予期される国家の財政破綻への対処である。

日本は高率の消費税を導入しても財政が悪化したギリシアを他山の石とすべきだ。

パーキンソンの法則を持ち出すまでもなく、歴史に学べば政府の肥大化は古今東西に例外はないことを教えてくれる。

巨額の債務を残す日本も「小さな政府」しか選択肢は残されていないのに政府に寄生する既得権益の解体は難しく改革は遅々として進まない。付加価値を生まない政府事業の増大が資金循環の効率を低下させ、税収は増えず国家の財政を悪化させるのだ。

日本の歴史を振り返れば財政難による武士や民衆の窮乏は近代以前にすでに経験済みである。その解決策の一例に、租税の免除、借金を帳消しにする「徳政令」がある。

東日本大震災は1000年に一度の大災害であり、被害者を救済するため特例として平成版の「徳政令」を出しても許されるのではないか?

具体的には、国民の負担になる増税や国債の発行はせず、政府貨幣を発行して資金を調達し、用途を災害からの復旧、復興や二重ローンの解消に限定して政府予算として使用することを許すのだ。

当然のことながら、貨幣の増刷は貨幣の価値を減少させるのでインフレを促進する要因になるが、昨今のデフレ経済にとってはデフレ脱却の効果が期待できるし、日本の産業空洞化を促進してきた円高を阻止する効果も期待できる。

貨幣価値の下落は、お金を持っていても使用しない人に対する課税と同義であり、一種のインフレ税とみなすこともできる。インフレこそ現代版徳政令なのだ。

貨幣の発行権は政府にあり、日本銀行が通貨として流通させることになっており、政府貨幣の発行には貨幣の種類(額面)を除いて法的な制約はない。但し、通貨価値の急激な変動は国内経済だけではなく外国との交易にも多大の影響を及ぼすので、通貨管理には過度のインフレや対外摩擦を発生させないよう臨機応変に対処する知恵が求められる。

経済活動の低迷や財政破綻は歴史を遡れば多くの実例があり、歴史に学ぶ賢者が社会の多数を占めるようになれば難題の解決や危機の回避は不可能ではない。

残念ながら、歴史に学ぶ賢者は少なく、経験に学ぶ愚者が多い。

経験に学ぶ愚者が多い社会が衆愚政治に陥りやすいのも必然というべきか?