歴史は繰り返す

東京都文京区 岡戸 知裕

太平洋戦争の原因については歴史書をひもとく必要はないと思う。

その原因は現代に厳然と存在するからだが。

原因究明がなされないまま臭いものにフタをして戦争など無かったように振る舞ってきたツケが今回ってきている。

役所の都合

太平洋戦争の直接的な発端は満州事変からと言われているが、実態は大正軍縮に対する帝国陸軍の危機感から始まった。満州という地政学的な安全保障上の問題を人質として英米との対立を演出し陸軍の軍事予算の無秩序な拡大が始まった。拡大を暴力的に終結させたのは広島と長崎の2発の原爆であった。

現在の消費税増税論議もそれと似て、財務省は予算の無現の拡大を目論んでいるようだ。財政改革なしに消費税増税を続ければ20%でも追いつかない。戦前で言えば軍拡を止めることが日本を救うことに繋がったのだが。まず取り組むべきは財政改革であろう。

米国では軍人の10万人削減が行われようとしている。日本でも自衛隊を半減させるくらいのことを考えないととても90兆円の予算を半減させることはできない。

予算削減には聖域はない。

優先順位一番は大幅な予算削減だ。戦前は軍事予算の削減など口にできる状況ではなかった。なぜなら笹川良一による暗殺が待ち受けていたからだが。

現代では民主党政権による予算削減の努力も霞が関の反対でとん挫してしまい、今では財務省による傀儡政権が誕生している。戦前に例えれば陸軍の傀儡政権でしかない近衛内閣の誕生と同じだ。つまり滅亡に向けまっしぐらという状況だ。これでは暴力的な調整が待ちうけることになる、広島と長崎のように。

原爆も人災だ、無益な戦争を続けていたのは陸軍上層部による単なる無責任な問題先送りによる結果である。ソ連の参戦と2発の原爆で強制力が働いたというのが戦争の事実だ。

昭和19年7月のサイパン陥落から昭和20年8月15日までの終戦まで戦争犠牲者は200万人以上に及ぶ。戦争は昭和19年で終結させるべきだった。

福島も人災だ。東北電力の女川が無事で東電の福島が大惨事ということは要するに経営者の資質の問題であり、それを見逃してきた原子力委員会と原子力保安院の問題である。

二つの行政機構は早い話国民に寄生しているだけの存在でしかない。

1000兆円という太平洋戦争をもう1回できるぐらいの資金を、車の走らない道路や無駄な橋、空港、港湾の建設などに浪費し手段が目的化し止まることを知らない。

成長戦略なき戦争経済

戦争というのは弾丸の生産と消費でしかない、弾丸を発射させることによる経済波及効果はゼロに等しい。これが拡大再生産が効かない戦争経済である。

きつねとたぬきしか走らない道路の建設はまさに戦争経済そのものだ。よって1000兆円の金を今までドブに捨ててきたことになる。

それでいて景気が悪いだのデフレは日銀の政策の過ちなどといっているが、まさに論語読みの論語知らずとはこのことだろう。

新産業の創出が無い限りデフレからの脱却はできない。つまり新たな需要を作りださない限り新たな消費は生まれない。自動車産業であればハイブリッドやプラグインなどこれから世界を変えることができるような新たな事業には税制上の優遇措置を講じて当然だろう。

中央行政機構の腐敗

大蔵省の役人によるノーパンシャブシャブ事件が一つの象徴的な出来事だろう。

計算能力だけが突出した偏差値秀才といわれる人達にはモラルがないということに他ならない。

政府の役割は国民の財産と生命を守ることだが、戦前も今もその存在は逆に作用している。

帝国陸海軍は日本人の生命と財産を守るどころか、アジアで1500万人と言われる戦争犠牲者を出し、国内では330万という膨大な死者を出している。

現代にあっては、1000兆円という太平洋戦争がもう一度できるような膨大な借金を作ってしまった。さらに消費税増税で取り立てようというのだからこれは広島/長崎のような暴力的な結末が待ちうけることになるだろう。

戦前の帝国陸海軍のように現代の霞が関にはまともな人材はいないはずだ。つまり人材の枯渇だ。

国益よりも省益が優先される結果国民は塗炭の苦しみに陥る。戦前でいえば1億玉砕である。

野田政権の一体改革など消費増税法案が通ればあとは雲散霧消だろう、つまり増税しか残らないまやかしの改革だ。

政治の腐敗

吉田茂の時代までは清廉であったようだが、それ以降は戦前の腐敗政治に戻っており現在でも常態化してしまっている。小沢一郎の裁判が象徴的だ。

また亀井静香や鈴木宗男など利益誘導型政治の代表選手のような政治家の存在は日本を一層暗くしている。彼らの視界にあるのは自分の選挙区の土建業界だ。

アジテーターとしての日本のメディア

要するに新聞は発行部数を競うもので内容を競っているわけではない。

昔は帝国陸海軍の提灯記事を書いていたわけだが現代の日本経済新聞など財務省のお先棒を担いでまず消費税増税ありきの論調を展開している。一体改革と称しているがその一体とされる部分は増税のあと消滅してしまうだろう。今の最大の課題は予算の大幅な削減にある。

戦前のメディアは国粋主義を鼓舞し英米との緊張感をあおることで究極の目的である発行部数の増大に結びつけた。要するにジャーナリズムではなくアジテーションの世界でしかない。敗戦という地獄に導いたのは実は日本のメディアでもあったわけだ。

今の日本経済新聞による消費税増税肯定論は終わりのない財政拡大政策の支援であり今の放漫財政を放置している限り消費税10%で済む訳がないのは誰の目にも明らかだ。

偏差値主義の誤り

先の大戦で実質的に日本を奈落の底に突き落としたのは帝国陸軍参謀本部で特に参謀本部作戦課はエリート中のエリートであり、ここは陸大首席卒業者しか入れない神秘的な部署でもあった。今でいえは財務省主計課に当たり、すべての官庁をコントロールする。偏差値による選抜という一見平等にみえる方法だがこれが最も危険な方法だということは歴史が証明している。

昭和15年に辻政信と服部卓四朗という陸軍大学主席卒業組みが台湾での研究の末対米戦争に勝利するという、時の陸軍上層部に耳障りの良い研究結果を発表している。

後に辻政信などはアジアの占領地での数々の虐殺指令を一人で乱発した結果、戦後の日本人のアジアにおける評判を著しく悪くした張本人である。辻政信が絡んだ戦闘、例えばノモンハンやガダルカナルなどすべて負けている。

話が少し飛ぶが、ガダルカナルの戦闘など実は日本が勝利できた戦闘であったことが戦後米国側から明らかになっている。つまり第2回目の川口支隊4千名の投入ではなく第3回目の第2師団2万名を第2回に投入していれば米国側は守り切れなかったと海軍大将ニミッツは戦後語っている。つまり小出しの戦闘を繰り返しただけであった。

偏差値秀才はモラルがないということを歴史が証明している。戦後辻政信はアメリカのCIAから秘密資金を受けていたことが米国の公文書館の資料で明らかにされている。

要するに昨日の敵は今日の友ということだが、これでは神風特別攻撃隊で戦死した学生や赤紙で招集された大工さん、魚屋さん、八百屋さん、農業従事者は犬死だったということになる。

野田政権は恥も外聞もなく単なる民主党政権の延命を図っており、歴史が証明する通りそのつけは国民が払うことになるのだ。

減税か増税か

かつて橋本政権の時に消費税3%が5%になったがこの時一時的に税収が落ち込み且つ景気後退に見舞われ、慌てて公共事業という景気対策を打たなければならなくなったことは記憶に新しい。

酒税は酒類の消費を抑制する税金であり、タバコ税はタバコの消費を抑制する税金である。

よって消費税とは消費を抑制する税金となり個人消費に大きな影響が及ぶ、つまり景気が一段と悪くなるということだ。

今東日本大震災により生産と消費に甚大な影響が及んでいるときに消費増税を打ち出すという感覚が全く分からない。財務省を始めとする霞が関のただ偏差値が良かった人達の悲劇の結論でしかない。

今まさに消費税という打ち出の小槌を手にした財務省であるが国内需要を結果的に破壊することになるだろう。

例えば高速道路であるが世界一高い走行料金を課しておりとくに休日のリクリエーションを偉く阻害している。これでは個人消費が伸びるはずがない。今後の需要の創出は観光である。

自動車ユーザーが支払っている税金は年間10兆円でさらに2兆円の走行料金を支払っている。この2兆円を10兆円の中から捻出することは可能なはずだ。

これからの個人消費は物の消費でなく事の消費である。つまり観光がキーワードだ。

ある意味車は現金を運ぶ運搬車である、高速道路無料化で東北の被災地も潤うこと間違いなしだ。

結論

官僚機構は簡単にいって国民に寄生しているだけの存在だ。

メディアはそれを助長しているに過ぎない。

私はあまりの馬鹿々しさに日本経済新聞の購読をやめようかと思っている。

これは太平洋戦争をみても同じ構図だ。日本経済新聞など消費税増税に向けあからさまな援護射撃をしている。

これでは放漫財政を無限に続けることになり、暴力的な調整が待ちうけることになるのだが、私は其れ以外に暴走を止めることはできないと思う。

ソ連の参戦と2発の原爆のように。