『官僚国家vsがん患者―患者本位の医療制度を求めて』の紹介

                            神奈川県藤沢市 清郷 伸人

 昨年10月最高裁での敗訴で終結した私の裁判では、生活者主権の会のご支援は希少であり大きな励みでありました。混合診療問題はTPPの議論に上るくらいで世間では消えたような印象ですが、医療の最前線である臨床現場では患者や医師にとっていまだに大きな桎梏となっております。

 このたび鎌倉の蕗書房より、生活者通信に投稿させていただいたものも含め、裁判中に書いたドキュメントや準備書面(裁判の公式主張文)、発表文などをまとめた本を発刊しましたので紹介させていただきます。

 

1.      本書の背景

 本書は、昨年10月混合診療による患者の保険受給権停止を違憲、違法と訴えた裁判(いわゆる混合診療解禁裁判)で、最高裁から訴えを退けられた私の裁判闘争の記録です。  

私は、2001年腎臓がんを発症し、左腎臓摘出手術半年後に頭部と頚部の骨に腎臓がんが転移しました。当時、腎臓がんに効く抗がん剤はなく、転移部の手術は脳の変形や神経、血管の損傷といった危険があるため不可でした。このため私は主治医と話し合い、放射線治療後、インターフェロン療法と保険外のLAK(活性化自己リンパ球移入)療法の併用治療を選択しました。約4年間、この併用治療(いわゆる混合診療)は功を奏し、私は月2回のLAK通院治療と自宅でのインターフェロン自己注射のみでまったく普通の日常生活を送ることができました。ところが200510月、週刊誌が私の通っている病院におけるこの混合診療を暴露する記事を掲載したことから、私の命を保っているLAK療法は中止に追い込まれました。現行の医療制度では、保険治療と保険外治療を併用する混合診療を行うと病院は保険指定停止処分を受け、患者は保険治療を含むすべての医療費が全額自己負担になってしまうのです。混合診療が医療制度により禁止されていることなど知らなかった私は、この理不尽な事態に対して徹底的な調査と追求を行い、患者を生命の危機と経済的な困窮に追い込むこの医療制度は基本的人権の尊重をうたった憲法に違反しているという確信に至ったのです。 

ここから私は病を抱えながら、医療専門の弁護士からも受任を拒否された訴訟を一人で続けることになりました。そして東京高裁の控訴審と最高裁の上告審では敗れることになりますが、東京地裁の第一審では勝訴となりました。

私は、東京地裁に訴状を提出した2006年に『混合診療を解禁せよ―違憲の医療制度』を公刊しています。それは、混合診療禁止やそれを破ることで受ける医療機関の保険指定停止や患者の健康保険給付停止といった深刻なペナルティを含む医療制度があまり知られていないことからこの問題を広く周知すべく、通勤電車の週刊誌中吊り広告で自分の病院の混合診療暴露記事を知った衝撃に始まって、調査と追求の末に訴状の提出にいたるまでを急遽書き綴ったものです。本書は、その後始まった裁判闘争の当事者からのリポートであり、訴えの本質である医療制度と人間の権利というテーマと暗中模索しながら格闘した記録という意味で、それに続く1冊です。

 

. 本書の意図

本書は、裁判の開始を経て最高裁の判決にいたるまでの6年にわたって綴った裁判のドキュメントや公式文書(準備書面や主な陳述書)、講演や団体機関誌や医療サイトを通じて発表した裁判や医療制度に関する文章、随想などを収めたものです。これらを本にまとめることなど私の念頭にはありませんでした。ただ大切な裁判の記録、また自ら考えた事の記録として書き残しておこうとしたものです。

私は裁判で、がんなどの難病患者が一つでも保険外の治療を受けたらその患者の健康保険給付を一切停止する医療制度は、日本国憲法で保障された基本的人権の国家による侵害行為であることを訴えました。一個人による医療行政の根幹をなす制度へのこのような告発はかつてなく、しかも司法判断が一審と控訴審、上告審で真っ二つに分かれるほど難しい、微妙な問題でありました。

本書でも触れられていますが、いわゆる混合診療は厚労省はもちろん医師や患者でも反対の多い問題であります。それは患者の治療選択肢が広がる、医療の進歩に寄与するといったプラス面と医療格差が広がる、患者負担が増す、医療の安全性が危うくなるといったマイナス面が考えられるからですが、私は訴訟のポイントは混合診療の是非ではなく、混合診療を受けたときの健康保険給付停止のペナルティが違法、違憲なのだと主張しました。違法というのは、混合診療禁止およびペナルティについての法律上の明文規定がどこにもないからであり、違憲というのは、ペナルティが生存権や幸福追求権、平等権、財産権等の基本的人権を侵害しているからです。

一方で、判決について本書では一審が司法として法律を精査した法的判断であり、上級審は行政効果に配慮した政治的判断と指摘しましたが、本書の意図するところは、法的判断はもちろん政治的判断においても混合診療の問題は、保険診療という標準治療のなくなった難病患者の視点に立って、反対論の根拠についても厳密に検討し、患者本位の医療制度を国家として構築すべきということにあります。

 

3.     本書の特徴

本書は、唯一の治療を奪われるという理不尽な医療制度に遭遇したがん患者という市民と官僚国家の闘いの記録ですが、医療の素人である私は必然的にあるべき医療制度とは何かという問題にも直面することになりました。

私はまえがきでこう述べました。「時あたかも民主党政権によって税と社会保障の一体改革が進められようとしている。混合診療問題の本質である健康保険制度も当然その俎上にある。重要なことは、健康保険が医療という聖域にあるのではなく、国家財政における負担と受益という公共益の領域に直結する問題だということである。あらゆる必要な医療をすべて健康保険で賄えるのがベストであることはいうまでもない。だがそれには莫大な財源が要る。先進国最悪の財政危機にある今の日本の限られた財源の中で、より多くの患者に必要な先進医療を届ける道を模索しなければならないのである。」

私は自分が恩恵を蒙った医療について、患者としてのみならず納税者としても考えなければなりませんでした。医療という公共財は膨大な医療費を抱え込んでいるゆえに私物化、利権化されやすい「聖域」です。財政が危機に瀕する状況で、国民の生命と健康に最大限に寄与する医療制度とは何か、にまで踏み込んだところに本書の特徴はあります。