混合診療の本質は患者の治療選択権
混合診療裁判原告がん患者 清郷 伸人
1. 混合診療問題の浮上
混合診療という言葉を最近よく聞くようになった。2011年10月25日に最高裁で保険診療と自由診療の併用(いわゆる混合診療)における健康保険受給権を求めた筆者の訴訟が敗訴と報道されてからは、この問題が決着したかのように鳴りを静めていたメディアも、政府のTPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉参加の是非にからんで、TPPが日本の国民皆保険制度を壊す、混合診療の解禁や医療への株式会社参入が実現するという危惧をめぐって議論が巻き起こっている。
政府はTPPが保険制度に影響を及ぼさないようにすると火消しに躍起だが、農協(JA)とともに与党自民党の大票田である医師会は、考えられるあらゆる被害を想定して国民にTPPの脅威を煽っている。混合診療が解禁されて受ける医療に格差ができ不平等が生じたり安全性や有効性の疑わしい治療が蔓延する、日本政府が薬価基準の変更を余儀なくされて薬価が高騰する、株式会社が参入してきて医療の営利化が進み経営悪化による撤退や医療過疎も起こる、米国の保険会社が進出してきて公的保険を脅かす高額な保険市場が拡がる等々。
それらは今回のTPP騒ぎで初めて出てきた議論ではなく、医療制度を改革しようとするたびに繰り返される定説である。筆者の訴訟においても厚労省は医師会の主張と同じことを述べて、混合診療禁止政策の合理性を訴えていた。そしてメディアをはじめ医療界や患者団体もその定説を何の疑問もなく信じ、混合診療など解禁すべきでないと思い込んでいたのである。
2. 反対論への疑問
ところが最近メディアで散見する論説や意見に筆者は変化を感じている。医師会の定説に疑問を呈する識者や反論する論者のみならずその説に違和感を表明する患者さえ現れてきたのである。そのがん患者は医師から治療困難といわれたため自ら治療を調べ、違う病院での高額な放射線治療にたどり着いたが、1日で終わる診療が2日にわたるため何度も病院に通わなければならずつらい思いをしたと述べていた。この患者の場合、病院は放射線治療が自由診療であるため保険診療を別の日に行って混合診療を避けたと思われるが、厚労省の見解ではカルテをどのように工夫しても同じ疾病の治療として保険診療と自由診療を組み合わせれば混合診療に該当する。またそれぞれを違う病院で行っても同じ疾病の治療であると判明したら混合診療とされるのである。したがってこの規制に従うなら保険医療機関は先進国で普通に使われているエビデンスの認められた医薬品も医療機器も日本で認められていないものは使えず、患者の希望する治療は行えない。このような規制が難病や重病に苦しむ患者や家族から非難や怨嗟の的となるのは当然である。
それらのメディアでは混合診療規制は主に費用の問題として取り上げられる。一つでも自由診療が入れば保険診療も含めて医療費が全額自己負担になることが繰り返し説明される。そしてTPP参加によって混合診療規制が影響を受ける可能性に関して、この規制の必要性を訴える識者と不合理性を説く識者が登場する。このようにメディアでは費用のみに焦点が絞られているが、これまで混合診療問題が一般テーマとして俎上に上らなかったことや規制を批判する側の論者や患者も表に出ることがなかったことを考えると世間の変化が感じられるのである。
3. 混合診療の本質的意義
しかし難病や重病の患者にとって最大の苦悩は、わずかでも希望の持てる治療を国の規制というだけで拒絶されることである。混合診療を受けたとき規制によって科されるペナルティである医療費の健康保険分の全額返還も非道の極みだが、患者にとってはそれ以前に日本では希望する治療を受けられないことが耐え難い。混合診療を解放することの本質的な意味は、保険治療から見捨てられた患者が医師からの説明に十分納得して希望する治療を自己責任で無条件に受けられる医療選択権、自己決定権である。
さきほどのメディアでの説明によれば、医療費の全額自己負担を覚悟すれば希望する先進治療を受けられるが、それは一般国民にとって論外の話である。よほどの大金持ちにだけ可能なことである。また保険医療機関にとってもそのような稀な患者のみ受けられる自由診療の壁は高いであろう。普通の国民は難治性の病気になれば医療費がかさむので当然健康保険を使いたい。しかし先進医療に積極的な医師や病院にとって、混合診療規制の縛りが健保法86条の反対解釈、療担規則18条・19条を根拠法として患者に必要なまた患者が希望する先進医療の提供に大きな障害となっているのは紛れもない事実である。
混合診療規制はこのように患者の憲法で保障された生存権を奪っているともいえるが、それに値する合理性はあるのだろうか。日本では認められていなくても安全性や有効性が海外で証明され承認された先進医療は数多くある。国民皆保険制度を壊すというが、お題目のように唱えるだけでどの部分がどのように壊れるのか説明はされない。皆保険で誰もが平等に安い医療を受けられるというが、日本では先進医療を含む自由診療も高い医療費を払えば誰でも受けられる。財力による命の格差はすでに現実である。現実にあるその格差は容認されている。すなわち現在も格差を生じる自由診療は野放しになっているが国民皆保険制度は壊れていないのである。それがなぜ自由診療と保険診療の併用である混合診療を受けたときだけ皆保険を壊すからということで保険診療までも全額自己負担になるのか。保険治療の尽きた患者にとって先進治療は命綱である。そういう治療を普通の患者が受けられない混合診療規制こそ医療の平等性を壊している。
4. 無法地帯の自由診療
このように不合理で理不尽な混合診療規制だが、規制当局は保険診療に対しては過度なまでに神経質に統制しようとする一方で、自由診療には患者にとって必要最小限の法規制も無いに等しい。今年1月31日の毎日新聞に、
しかし日本では自由診療には法律も規制もまったく無いためその実態もわからず事実確認もできない。事故が起こってから警察が動くだけである。自由診療が野放しなのは規制当局が、医療機関は悪いことをしないという性善説にあるからだそうである。これに対して保険診療には性悪説に基づき混合診療規制などの縛りが必要なのだという。この二重基準は本末転倒である。保険医療機関は基本的な法規制が整備されており、あとは性善説に基づいて医師の自律性と患者の意思に任せるべきである。一方、市場性の高い自由診療には必要最小限の法規制をかけ、患者を守るべきである。難治性疾患の患者にとっては保険診療も自由診療も同じものである。どちらも必要であり、同時に受けなければならないときもある。だからこそ混合診療が可能となって患者に治療選択権が与えられなければならない。そのときこそ日本の医療制度が患者本位のものになったといえるのである。
最後に、混合診療規制が撤廃されると現在の保険診療が保険外になったり、先進医療の保険適用が遅れるなどともいわれるが、それこそ国民皆保険を根幹とする保険行政を与る厚生労働省の仕事である。民間が勝手に行えるわけではない。保険範囲の決定はそもそも混合診療規制の撤廃とは別次元の問題であり、国民の医療と財政のバランスを考えて国が決めることである。留意すべきは少子高齢化が進む日本の保険財政にとって保険範囲の見直しは不可避の問題ということである。ところが政府は他の先進国とは異なり、国民や医療者に遠慮し、厳しい現実から眼を背け、抜本的な改革を先送りし続けてきたのである。
(蕗書房『ライフライン21 がんの先進医療4月号』より転載)