靖国神社と日本の戦争

東京都文京区 岡戸 知裕

 

首相/閣僚を始めとする国会議員の靖国神社参拝への韓国/中国からの反発が、新聞紙上によく取り上げられているが、日本に対する彼らが持つダブルスタンダードをこちら側も理解しておく必要があると思う。

日本に対するダブルスタンダードは何かと言えば、日本の技術や貿易に大きく依存し、有色人種の中で唯一白人先進国の片隅に仲間入りを果すことができた日本に対する羨望と、その裏返しの嫉妬心と劣等感、結果として日本に対する攻撃的な態度が上げられる。

靖国はまさに彼らにとり格好の攻撃材料を提供している。

靖国の歴史観は何かといえば、先の大戦は米国に仕掛けられた戦争で国土防衛(朝鮮満州を含む)の為の戦争であったという視点である。よって帝国主義であったことの反省など微塵もあるわけもない。(帝国主義のご本家の英国でも反省などないのだが)

ある意味韓国/中国は日本の帝国主義の犠牲者なのだが現代の常識から150年前を語ろうとすると大きな過ちを犯すことになる。日本が欧米列強の植民地にされるかも知れないという恐怖感は現代の日本人には全く理解不能だ。

韓国は植民地にしたのは日本のエゴだと言いたい訳だが、そこにすっぽり抜けている視点はロシアの存在だ。当時の状況から判断して日本かロシアの植民地となるしか無かったと言える。

米国のルーズベルト大統領も同じ視点を持っており日本と米国は桂/タフト条約により、米国は朝鮮半島の日本による植民地化を認める代わりに米国によるフィリピンの領有を認めることを取り決めた。これが当時の国際常識なのだ。

幕末のころ一時対馬はロシアに占領されていたし、中国は中国名でいう琉球(沖縄)は中国に帰属すると主張していた、関税自主権がないという植民地並みの扱いを欧米列強から受けている中で、“富国強兵”こそが唯一欧米列強から日本を守りつつ不平等条約改正に結びつける国策であった。またロシアの南下政策の歯止めとしての朝鮮半島の地政学的な位置付けを理解することが必要だ。なぜロシアが朝鮮半島を欲したかというと当時の戦艦は蒸気船であり、石炭と水の頻繁な補給が欠かせない、日清戦争後の日本という東洋における仮想敵国に対してその補給基地としての朝鮮半島の軍事的役割は非常に大きかった。

歴史にはifがつきものだが、もし日露戦争で日本が負けていたら、無論朝鮮半島はロシアの植民地になっていたろうし、ソ連の崩壊まで朝鮮半島が民主化されることはなかった訳だ。またスターリンによる粛清もあっただろう。

靖国の視点である、太平洋戦争はアメリカから仕掛けられた戦争で、日本が防衛の為に立ち上がったという視点は帝国陸軍の亡霊が喜ぶような視点であるが戦争が不可避であるという認識を最初に持ったのは米国側であるが、実際に仕掛けたのは日本側であって売られた喧嘩という視点は誤りだ。

 

戦争の原因は単純なものではないし、一方的に相手が悪いということはあり得ない。

真実は何かと言えば、1)米国に対する認識不足から米国に対して勝てるかも知れないという甘い見通しが陸軍にあったこと、2)石油を止められたからという都合の良い理由は実に無責任といえる。つまり石油が止まるかも知れないという状況は昭和天皇もご承知で、北部仏印進駐(ベトナム)の際に日米通商条約が破棄されていることから、南部仏印進駐が石油の禁輸に繋がることは充分に予測された。3)ハルノートは中国からの撤退を要求しているが、中国という意味が満州まで含まれるかについては未確認である。またハルノートにはtentativeと書かれており試案という意味だが、これをもって最後通告とは考えられない。

このtentativeという部分を伝えなかったのが東條と東郷外相であったと言われている。

蛇足だが開戦後も稚拙な作戦指導が続きミッドウェイ、ガダルカナル、レイテ、インパールと稚拙な作戦指導が敗戦に繋がった。太平洋戦争は決してベタ負けになる戦争ではなかったと言いたい。開戦当初の連合艦隊は世界最強の艦隊でミッドウェイで負けるということはあり得ないことだ。原因は硬直的な陸軍参謀本部作戦課と海軍軍令部の作戦指導にあった。

自分の失敗をすべて米国の責任に転嫁しようという都合のよい論理は靖国でしか通用しない。靖国は神社であって博物館ではないので正確な歴史認識を必要としないが、そこに総理大臣始め日本の指導者が参拝となると問題がある。

昭和天皇は東條などの戦犯が合祀される以前は参拝されていたが、合祀後止められている。

つまり多くの日本人を死地に追いやった日本の指導者が果たして戦争の犠牲者かということだ。よって靖国の例大祭には天皇は勅使を派遣するのみに止まっている。