1ミリシーベルトの呪縛を乗り越えて

(福島復興の最大の妨げ)

千葉県柏市 峯木 貴

 

1)1mSv(シーベルト)の呪縛

東日本大震災により引き起こされた福島の原発事故は、自然災害よりむしろ人災により被害が甚大になってしまったことが最大の特徴です。

 

人災というのは、言うまでもなく事故当時の「政治」の責任です。

 

今となっては、残念な対策がたくさんあり、それが被害の拡大を助長してしまったようです。

 

もしも、このような事故対策を原子力の専門家とともに的確に行っていれば、これほどの被害はなかったような気がしますし、速やかに収束したでしょう。

 

ところで、未だに福島県民を苦しめている元凶は、「放射性物質」のそのものではなく、「1mSv/年という基準値」だと思います。(この1mSvはレントゲン(0.6mSv)を2回受けるとオーバーしてしまう値)

 

この基準は事故後の混乱のさなか、民主党政権がやみくもに設定してしまったものです。というより当初20mSvという暫定値を設けたのですが、一部の反対意見に押されて1mSvにしてしまったのかもしれません。

 

仮にIAEAが示すような暫定値20mSv/年を基準値としてずっと維持していれば、福島県民のほとんどは避難をする必要がなく、避難所で無駄な死をとげる人はいなかったはずです。

 

いきなり厳しい基準を設けるのではなく、暫定基準をさだめ、その後、復興の状況を見ながら徐々に厳しくしていけばよかったのです。

 

 

2)基準値1mSvのパラドクス

一般的に「環境基準値」というものは、国民の健康を守るために定められるものです。しかし、避難所で不慮の死を遂げてしまった人のことを考えると、この1mSvという基準値は、逆に国民の健康をむしばむ結果となってしまったようです。

 

ヨーロッパの事例らしいのですが、1015mSv/年でも全く健康上問題はないらしく、チェルノブイリのあるウクライナのスラブチッチ市でもこれに近い基準で復興を遂げています。また、200mSv以下の低線量の被ばくでは放射線障害の臨床的知見はないとのことです。

 

日本では、1.6mSvまで除染したのに福島に戻るのはいやだ、0mSvでなければだめだ、という人もいるぐらい極端に走ってしまっています。

 

 

3)すべては教育の問題

以上のことは、少しでも放射線のことを学べば、おかしな話だということに気づくと思います。

 

地球上の生命は放射線とともに進化してきました。

 

太古の地球では放射線は非常に強いものでしたが、最近になって生物が陸上で棲める状況となりました。それまでの長い期間で生命は、遺伝的に放射線を防御する機能を獲得しています。

 

そう考えると、逆に、放射線0mSvでは生命体は生きていくことができないかもしれません。

(ただし、現在脱原発派の考えているLNT理論では放射線は0mSvが望ましい状況と考えられている。これはショウジョウバエを使った古い実験で、特定の条件のみで成立するものを拡大解釈しているので、いずれ早い時期にそれに代わるものが出てくると思われる。)

 

このような基本的な教育も、原子力の安全神話とともにないがしろにされてきました。

 

 

4)私も脱原発・自然エネルギー派

一度崩れた安全神話はもとに戻すことは困難です。

 

一部の再稼働は可能でしょうが、これから新たな原発を作ることは不可能でしょう。

 

しかし、エネルギーの需要は待ったなしのものです。

 

となると、日本は次世代の核エネルギーの利用(核融合)に進まざるを得ないと考えられます。

 

現在の原発は、放射性廃棄物の発生、メルトダウン…というような危険性があります。核融合はそれらを克服した夢のエネルギーといわれています。しかし、開発までまだまだ時間がかかりそうで、その間のつなぎとして、今の原子力、火力などは必要だと思います。

 

現在の自然エネルギーを否定するわけではありません。田舎で自給自足をしたい、という国民もいるわけですから、風力、バイオマス、太陽光などのいわゆる自然エネルギーの選択肢も残しておくべきでしょう。

 

私は田舎で、不安定な自然エネルギーで細々と暮らすのが夢で、核融合で煌々と照らされた大都会に生涯住むのはちょっと勘弁してもらいたいと思っています。