保険外併用療養費制度では解決しない

混合診療裁判原告がん患者 清郷 伸人

 

1.    現行制度は機能不全の認識

 政府の規制改革会議は20131220日、保険診療と保険外診療の併用を認める「混合診療」を拡充し、患者が納得して治療を受けられるようにすべきだとする改革案をまとめた。(1224日m3ニュース)これは1128日に開催した厚労省との公開討論会を受けたもので、規制改革の最重要課題として取り組み、20146月までに具体策をまとめることになる。岡議長は「保険が利かない治療を同時に受けると、保険が利くところも含めて自己負担になるのは納得が得られていない」と述べ、混合診療が認められないと医師が最適な治療を選択するのが難しくなるとも指摘、さらに患者が治療に関して自ら判断するために十分な情報を入手する仕組みや医師のモラル低下を防ぐために治療内容を客観的にチェックする仕組みを導入することも打ち出した。

公開討論会では、保険外併用療養費制度では対応できない「悪性骨軟部腫瘍に対するカフェイン併用化学療法」が金沢大学の土屋氏から例示され、委員からは混合診療になると保険診療も含めて全額自己負担というペナルティを科す理由が理解できないとする指摘や逆に危険な自由診療が野放しの現状への疑問など現行制度の根本的な見直しを求める声が挙がった。

保険外併用療養費制度の運用による改定では用をなさず、制度自体の見直しすなわち混合診療解禁も視野に入れた法制度の改定の必要性を指摘するこれら委員の疑問や意見は、良識ある普通の市民の感覚であり、いわば社会規範に近いともいえる。そして、それこそ筆者が裁判で問うたものである。

 血液・腫瘍内科の小林一彦医師は、医療ガバナンス学会のメールマガジン「MRIC」で次のように述べている。「進行期がん治療の現場では、臨床試験が単に薬事承認を目指すためのものではなく、患者にとって日々生きてゆくために不可欠な希望として捉えられている。(中略)未承認薬を使用すべく先進医療制度を利用しようとしても、規制当局の審査は薬事の観点から行われるため、現場のニーズと全く乖離しており使いものにならない。商業最優先としか思えない免疫療法クリニックの横行と、活用できないよう設計された先進医療制度とは同じ問題の裏表であり、 (中略)新規医療技術のエビデンスを確立することと、死に直面したがん患者のニーズを満たすこと、背反する二者の止揚こそが必要であり、これを実現し得るのは臨床現場にいる患者と医療者のみである。現場に則した制度設計が求められる」(MRIC Vol.232DERMA試験の失敗で知るがん治療ワクチン療法夜明け前」2013929日)

現行の保険外併用療養費制度や先進医療制度が機能不全であるという認識は、以前から主に臨床現場から示されていたが、小林医師の指摘するように先進医療制度でさえ使い物にならないなら、それよりハードルの高い保険外併用療養費制度はなおさらというべきであろう。保険外併用療養費制度や先進医療制度は、厚労省により保険診療では治らない難病患者を救う切り札として喧伝され、医師会も識者も最高裁も「現行制度を充実させれば難治患者に先進医療を届けられる」といっているが、これらの制度は少数の専門家や官僚による事前・個別の審査という狭い門をくぐらねばならず、小林医師のような現場の医師や患者の求める先進医療、高度医療のボリュームとスピードには全く応えられていない。現行制度は限定的にしか恩恵を受けられない、いわば特区のようなもので、多種多様な難治の患者にとっては何の助けにもなっていない。

 

2.    患者から見た混合診療の必要合理性

 政府の規制改革会議や産業競争力会議が混合診療の大幅拡充を図るのは、もちろん難病患者救済のためだが、国益を考慮したうえでもある。日本の医療の質は高いが、過度な規制により国際競争力は乏しい。また膨張する医療費に関しては、巨額の政府債務と少子高齢化の加速により財政基盤もきわめて脆弱であり、税金や保険料に頼るには限界がある。しかし、本稿ではそれについては論ぜず、患者である筆者から見た混合診療について述べる。

 筆者は、腎臓がんが頭部蝶形骨とC7頸骨に転移したが、保険診療のインターフェロンと自由診療のLAK療法を併用して軽快と存命が得られた経験から、その併用を禁ずる混合診療規制は患者の生存権を冒していると国を訴えた。さらに規制違反に対し、健康保険の受給権をはく奪することは、被保険者の平等権や財産権を冒していると主張した。いずれも憲法で保障された基本的人権である。

 医療現場ではもう治療はないからと突き放されるがん患者は後を絶たないが、それは日本で認められた保険診療は尽きたということで、先進国で標準治療となっている医療技術や医薬品はまだ他にある。厚労省や医師会は、それらを怪しげな新規医療といって危険視し、その併用を禁ずる混合診療規制は必要だと吹聴している。患者や国民もそれを受けて、保険診療は安全で自由診療は危ないと思い込んでいる。しかし医療の安全性(有効性も)は臨床試験のデータに基づいて人間が判定するものである。そこでは100%安全で有効なものも100%危険で無効なものもない。EBMのエビデンスとはその広いグレーゾーンをどちらに分類するかという世界である。だから医療には安全だが有効性が低いと判定された自由診療のLAK療法と有効だが致死性もある保険診療の抗がん剤が混在しうるのである。さらにそれらの有効性も一律でなく患者によって違う可能性がある。ゲノム研究で明らかなように人はすべて異なる個体である。最適な治療を決める難しさはそこにあり、患者の治療選択肢を一律に国家で縛ることは不合理である。治療でどこまでリスクを取るかは一人ひとりの難治患者によって異なるし、治療は時間との闘いでもある。そのような治療は、混合診療を可能にして医師の自律的な裁量と患者の自発的な選択に任せるべきである。そして命の瀬戸際にある患者が医師の十分な説明に納得した上で自ら治療を選択できるように制度設計すべきであろう。

 保険診療信仰の日本では、難治・重病の患者が治療の可能性を求めて参加する治験や臨床試験は低調だが、欧米では多くの患者が自ら進んで新規医療を受けるという。保障された安全性よりも一縷の有効性に賭けるほかないからである。こうして新規医療は迅速にエビデンスを確立し、先進医療として臨床現場に普及することで、多くの患者が受けられる標準治療や保険診療へとつながっていく。このプロセスに日本の混合診療規制(保険外併用療養費制度)のような縛りはない。

 混合診療の解禁には医療の統制権力を固持したい厚労省やそれが患者減少につながる医師会は頑なに抵抗している(勤務医は改革したいが開業医が阻止している)。根拠は、所得による医療格差、医療の安全性・有効性の低下、保険財政の悪化など国民皆保険制度の崩壊に対する懸念である。しかし、それらは仮説や憶測に過ぎない。規制改革会議はその根拠が証明されたものでないとして説得力を認めなかった。事実、先進国では混合診療が普通であり、日本でも歯科や産科、精神科では常態化しているが、どこにも保険制度崩壊など起きていない。患者は保険診療を投げ捨てて自由診療に殺到するほど愚かではないし、保険医もそれほど悪質であるはずがない。

 ただ社会保障制度というものは性善説に基づくと悪用される可能性があるから、法制化を含めた制度設計で防備すべきである。たとえば混合診療を実施する医療機関を限定し、患者に対する十分な説明と本人同意の記録を義務付け、これに違反した場合の厳罰を設けるなどの規制があれば、混合診療を解禁しても良質な医療は担保できる。さらに現状では自由診療はまったくチェックできないが、混合診療となった自由診療についてはチェックできる仕組みを作ることも必要である。

難治の患者にとって現在の日本は、一縷の望みを託す新薬や先進治療へのアクセスが閉ざされた絶望的な国である。医師や患者は、過酷な罰則や負担を覚悟しなければ、それを試すこともできない。先進医療を研究費として処理したり、未承認薬を個人輸入するという抜け道もあるが、医療機関は過剰支出に陥るし、患者は情報過疎での使用というリスクを冒さねばならない。本質的に特区である保険外併用療養費制度ではなく、医療機関を限定した包括的な混合診療が切望される。

                      (医療ガバナンス学会MRIC 2014124日より転載)