放射線の風評被害を払拭せよ!
東京都文京区 松井 孝司
福島第一原発は事故後3年が経過しても事故終息への見通しが立っていない。原発事故の終息を難しくしているのは日本国内にまん延する放射線恐怖症である。メディアが煽る放射線への恐怖が拡大させた風評被害は東京オリンピックが開催される2020年までに根絶しなければならないが、放射線の正しい知識を国民に周知徹底できれば風評被害を解消することは可能だ。
20世紀の初頭に遺伝学者ハーマン・J・マラーはショウジョウバエの精子細胞の実験から放射線による遺伝子損傷は修復されないことを発見してノーベル医学生理学賞を受賞したが、放射線は少量でも生物にとって危険とするLNT(直線しきい値無し)仮説の論拠には訂正が必要となる論文が続出している。Radiology,25,13-22(2009)参照
最近、ショウジョウバエの個体レベルでの実験で低線量の放射線が自然免疫を誘導することが報告された。J.Radiat.Res.,53,242-249(2012)参照
宇宙から降り注ぐ放射線に抵抗力を持たない生物は地球上で絶滅した筈なのに何故ショウジョウバエが今日まで生き延びることができたのか疑問であったが、その疑問が解消したのだ。
精子と個体レベルでは放射線の影響に相違があることは合理的である。精子(=細胞レベル)で異常があればその細胞を死滅させ除去することが重要であるが、個体レベルでは免疫を誘導し異常細胞だけを除去すれば個体の生存が可能になる。
自然免疫を誘導する分子メカニズムも明らかにされた。0.2グレイ(Gy)のガンマー放射線をショウジョウバエ成虫に照射すると抗菌作用をもつ蛋白分子Dorosomycinの発現誘導とp38MAPキナーゼなどのリン酸化酵素が活性化され細菌感染に抵抗力を増すという。
自然免疫を誘導する細胞レベルのメカニズムも解明され、抗原提示機能をもつ樹状細胞の免疫能を低線量放射線が増強することも明らかにされている。樹状細胞を0.05Gyの放射線を放出するセシウム137と共存させるとT細胞を増殖させヘルパーT細胞をTh1優位にシフトさせることが報告された。J.Radiat.Res.,48,51-55(2007)参照
これらの報告は低線量の放射線照射が生物個体の細菌に対する感染防御力を増強することを明らかにするもので、ホルミシス(Hormesis)と呼ばれる有益な効果を分子、細胞、個体レベルで論証するものである。疾患の治療に試みられる微小電流刺激も癌抑制遺伝子p53、p38キナーゼなどの蛋白分子を活性化し、低線量放射線と同様の効果を示すことが注目される。J.Biol.Chem.,288,16117-16126(2013)参照
高線量では有害な放射線照射が低線量ではp53を活性化して癌を抑制し、グルタチオンやスパーオキサイド消去酵素SODを増加させて老化を促進する活性酸素を消去するなど生物の適応応答能力を論証する研究報告は膨大な数に上る。論文は多くても人体に対するデータが少ないためにエビデンス(証拠)不十分とされ放射線汚染地域での風評被害を解消できないことが問題だ。
既存の論文から類推すれば放射線量には安全な閾値が存在し、年間100ミリシーベルト(mSv)程度の低線量なら放射線を恐れる必要はなく、むしろ放射線汚染地での居住が健康増進に役立つことも予測される。今求められるのは動物で得られた研究成果を実証する人に対する臨床データであり、放射線汚染地における疫学データである。その目的を達成するためにも放射線量の規制基準1〜20mSvは見直し、過剰な放射線は浴びないよう条件をつけ希望する人には放射線汚染地域での居住を許可すべきだろう。
福島第一原発周辺の放射線汚染地から長期にわたり強制的に避難させられた多くの住民は必要がない避難生活を強いられたのではないか?風評被害は放射線に無知な政治家が日本にもたらした災難でもある。
東京電力は除去が困難なトリチウムを含む汚染水を海に放出することができず巨大な1000基ものタンクに貯めつづけている。このタンクを際限なく増やすことはできない。最終的にはトリチウム汚染水は希釈して海に流すことになるだろう。そのためにも正しい知識で放射線の風評被害を払拭しなければならない。
我が国の放射線医学の先覚者近藤宗平阪大名誉教授はマウスに1日0.2mGyのトリチウム入り飲料水を一生涯飲ませ健康に影響が無いことを実証されている。人体に当てはめれば毎時8〜10μSvのベータ放射線を浴びても健康に悪影響がないことが予測される。
臨床データで低線量放射線の安全性を証明しなければ、いつまでたっても原発事故を終息させることはできない。トリチウムが放出するベータ放射線の安全な閾値の存在を証明できれば原発廃炉作業の作業効率向上と安全管理にも大きく貢献するだろう。
放射線は空間を飛ぶエネルギーでありアインシュタインの相対性理論にもとづけば物質でもある。物質を構成する原子が壊れるとき重量が減少する分がエネルギーとなって放出される。放出されるエネルギーには赤外線(熱)、アルファー粒子線(陽子)、ベータ粒子線(電子)、ガンマー放射線(電磁波)があり、最新の理論にもとづけば粒子からヒッグス粒子を失ったエネルギーが電磁波である。励起状態にある原子が安定状態に戻る時のエネルギー差が波長の異なる電磁波となって飛び出す。
波長が長い程エネルギー量は少なく、波長が長い赤外線は人体を構成する分子に吸収され健康維持に役立っているが多量の赤外線を浴びれば即死する。波長が短いX線やガンマー線はエネルギーが大きいため透過力が強く大部分が人体を通過するがDNA遺伝子に衝突するとDNAを損傷し発癌の危険性が出てくる。生物の進化の歴史は宇宙から届く放射線と地球内部の原子核分裂で生成する放射線に適応するための過程でもあったのだ。
放射線エネルギーの本質を正しく理解できる人はいまだ少ないが、いつの日か人類が放射線の遮蔽、制御技術を確立し、放射性廃棄物を含め処理に困る放射性物質を多様な用途をもつ有益な資源として活用できる日が来ることを期待したい。