民主国家の危機と知的退廃

東京都文京区 松井 孝司

国家に危機をもたらす宗教思想

民主化により社会の安定が期待された「アラブ」の春や、BRICSなどの新興国が経済発展を期待されながら混迷と停滞をつづけるのは何故だろうか? 危機がより深刻なイスラム諸国とカトリック諸国の宗教思想を検証すべきで一神教が教える人生観が聖戦の論理を生み価値観や倫理観が科学技術や勤労を重視しないことが問題である。

民主主義は古代ギリシアで誕生したとされるが文明先進国であった筈のギリシアが2000年以上も経過した後、民主国家のヨーロッパ連合に参加して経済危機に見舞われることは衆愚政治に陥りやすい民主国家の欠陥を良く現わしている。メディアが正しい知識を持たずに事実を曲げて報道し、政党は選挙を意識して権利だけを求める国民に迎合するようになると民主国家の危機は避けられないのだ。

中国のような報道の自由を許さない一党独裁の専制国家は権力者に先見力があり、問題の解決力があれば国家が崩壊することはない。共産党員の前衛思想は筋金入りと聞く。中華人民共和国が名実ともに民主主義となって無知な国民が増えると1930年代のドイツのように国家社会主義(ナチズム)に転じ暴走する可能性がある。恐れるべきは偏った知識で洗脳されやすい無知な国民であり警戒すべきは江沢民の反日教育で洗脳された中国国民の「反日」思想である。

日本は明治維新で政治権力を天皇に集中させることに成功し、一部に自由民権運動も許容して異論の存在を許しながら有司専制の国家を創り、世界でも稀に見る経済発展を成し遂げることができた。ケ小平、朱鎔基らが天安門事件で民衆を弾圧しながら実現した中国の急速な経済成長は日本が近代化に成功した明治初期の有司専制に学んでいる可能性が高く、中国の指導者が佐賀の乱、西南戦争を勃発させた明治6年の政変以降の日本の失敗の歴史にも学び一国二制度の連邦国家を容認して国内の紛争を回避し、殖産興業に成功すれば近い将来に中国は経済力で米国を凌駕するだろう。

副島隆彦氏らは近著「フリーメーソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」(成甲書房刊)の中で幕末・明治維新で活躍した福沢諭吉、板垣退助、山尾庸三、西周ら重要人物11名の思想的背景を解明している。秘密結社とされるフリーメーソン(自由な石工)は文字通り国境を越えて活躍する技術者集団であり、国家の自立と近代化には科学技術が不可欠であることを日本に教え、明治政府も高給を払ってお雇い外国人技師を採用し巨額の教育投資を行った。副島隆彦氏によればユニテリアンというプロテスタントの一派は今もヨーロッパとアメリカの理科系の物理学者や工学者たちの間で一番信じられている宗教思想であるという。

明治政府はユニテリアン教会を拒否しなかっただけではなく、明治元年の神仏分離令により神道の国教化を推進し廃仏稀釈を行って仏教宗派の既得権を解体している。品川御殿山のイギリス公使館を焼き討ちした後イギリスに密航した長州ファイブの伊藤博文や井上馨らの尊王攘夷論者が開国論者に豹変できたのは偏見を持たず環境の変化に柔軟に対応する知力を持っていたからである。日本の近代化は普遍性を持つフリーメーソン思想の具体化でもあった。明治維新を成し遂げた幕末の日本人が「自由」と「平等」の本質を正しく理解する知力を備えていたことを高く評価したい。

第二次世界大戦後、日本は天皇主権を改め日本に原爆を投下した米国を拒否しないどころか米国から与えられた民主主義にいち早く順応し、知的資源に目覚めて日本企業は米国の最先端の科学技術を競って導入した。戦後の日本国民が短期間に豹変したことは価値観の激変に対応できた明治の初期と酷似する。日本は世界でも類い稀な二度目の経済発展を成し遂げることができたが、1000兆円を超える返済不能の巨額の政府債務を抱え国家の財政破綻が危惧されるようになった。

民主主義国家には平等を重視する「社会主義」国家群と個人の自立を尊重する「自由主義」国家群がある。「平等」には大きな政府による規制が、個人の自立には個人の「自由」な活動を容認する小さな政府が求められる。旧ソ連邦の崩壊で米国を筆頭とする自由主義国家群の優位が検証されたが小さな政府の優位性はいまだ検証されていない。新自由主義を非難する人達は大きな政府を望む社会主義者であり、格差是正だけが正義と信ずる人達だろう。日本政府の巨額の累積債務は個人の自立を尊重せず大きな政府を容認してきた結果でもある。

民主主義国家の健全な発展には「自由」と「平等」を同時に実現する必要があり、宗教思想で異なる人間社会の「正義」について、その内容の再検証が求められる。

私は大学生時代、仏教の「中道主義」を掲げる草創期の公明党に大きな期待を抱き、仏教が教える中道思想に多大の関心をもって仏教の経典、特に般若心経と法華経、並びに日蓮の遺文集などを約2年かけて読んだ。余談になるが私が日蓮の教義にも関心をもった理由は大学で進学を予定していた生薬学教室の初代教授下山順一郎氏が日蓮の教えを伝える富士大石寺の熱心な信徒であったことを図書室で偶然知り、不思議な因縁を感じたからである。

仏教の特徴は経典を読んでも真の意味を把握することが難しいことだ。その内容は論理的に二律背反する矛盾を抱え、文字による表現は非科学的でまったく評価できなかった。

私の仏教に対する評価を変えたのは日蓮が残した「当体義抄」や「御義口伝」などを収集した遺文集である。ここで詳細を述べることは省略するが、日蓮の遺書を通じて仏教を科学的観点から考察することが可能になったように思う。「色即是空」「色心不二」「因果俱時」などの文字表現を「相補性原理(=一方を否定すれば他方も成立しない相互依存の関係性)」と捉えれば、仏教思想は新しい世紀の普遍原理になる。(註参照)

素粒子論、量子論における不確定性原理や波動と粒子の関係性、確率でしか示すことができない原因と結果の関係性、相対性理論における時間と空間の不可分の関係性を仏教では「妙法」「不二の法」と表現し「真理」は文字では表現できないと考えているようだ。その内容は一神教のキリスト教やイスラム教の教えとは異なり、善悪二元論に陥りやすい「反」ではなく「不」の表現で事物を融合する弁証法的思考である。仏教は対立する概念を「不」と否定しながら、すべての事物の一体不可分の関係性を直観しており、多様化する21世紀の社会に適応できる新しい理念を含んでいるように思う。

 

公明党は立党の原点に戻れ!

公明党の立党の目的は仏教思想を具体化する「王仏冥合」の実現であり、「国家に危機をもたらす誤った思想を戒める」ことにあった。「王仏冥合」は政治権力を奪うことではなく仏教思想と王法(権力)の一体不可分の関係を意味している。「冥合」が意味する不可分の関係は「一致」ではないが、言葉では説明が難しい矛盾を含む概念であり、宗教法人創価学会と公明党の関係を「政教一致」と批判され、公明党の支持率が低迷するのも当然だ。

創価学会は私益法人である宗教法人格を返上し、文字通り「価値を創造する学会」となり公益を目的とする非営利法人に変身できれば「政教一致」の批判は解消できる。

個人が自立するための教育と新しい付加価値の創造のみが日本を財政破綻から救済できることを論証することによって大多数の国民の賛同を得て支持者を国民の1/3以上に拡大し、先見力と問題解決力をもつ人材を参議院に限定して選出することができれば選挙に依存しない賢者の集団が国会に誕生し、創価学会は初代会長牧口常三郎氏の「公益」を「善」とする「創価教育学」の理念を実現することになる。

国の唯一の立法機関である国会の参議院が賢者の集団となり「賢王」に相応しい存在になれば、日本の国会は民主国家を衆愚政治から守る砦になる。野党の一部には参議院を廃止して一院制にしようとする動きがあるが、これは一時的な偏見と対立により紛争と破壊を繰り返してきた人間集団の歴史を知らない人達のすることである。

日蓮は「未萌を知る人、将来を予見できる人」を聖人と呼んでいる。今日の混迷を深める社会に求められる人材は正しい知識で先見力を発揮し、国家の危機をいち早く予見して臨機応変の知力で問題を解決する賢者である。日蓮は「善悪不二」の原理にもとづき「大悪起これば大善きたる」と予見しているが、「大悪」を「大善」に変えるには「悪」をもたらす偏見を論破し破折しなければならない。

自国内の紛争や他国からの侵略の危機と権力者の知的退廃の関係を日本で最初に力説したのは日蓮である。日蓮は「立正安国論」を著し「念仏無限(地獄)、禅天魔、真言亡国、律国賊」と叫び真実の追求を忘れ権力に迎合する仏教各派を論破しようとしたが、「かかる日蓮を用いぬるとも悪しく敬えば国滅ぶ」とも述べている。日蓮が今日に生きておれば日蓮宗各派と公明党も批判の対象に加えるだろう。日蓮が権力者の住む鎌倉の路上で辻説法をしたように日蓮の意思を継ぐ賢者が偏見や既得権益の虜になっている政党、党派、マスメディアを論破し、正しい知識を国内に周知徹底できれば日本の運命は変わる。21世紀は超高齢化に対応する経済政策やライフスタイルと化石燃料依存がもたらす気候変動、食料、エネルギー危機に備えた産業政策が重要になる。

創価学会も「創価教育学会」創設の原点に戻り、「生死不二」「善悪不二」の人間の本質を現代の言葉で語り、無知な国民の盲目を開くことができれば、日本の民主政治は激変し国家の危機も回避できるだろう。

 

註)宗教と正義:http://www2u.biglobe.ne.jp/~shimin/tmatsui/mokuji.html参照