国民皆保険は誰のためか―医業という仕組み

                         混合診療裁判原告がん患者 清郷 伸人

 

1.      はじめに

筆者は、2011318日に「国民皆保険は誰のためか―平等という幻想」という小論を書いた。それは、筆者が提訴して求めた混合診療に対して国民皆保険を崩壊させるという反対論の合唱の中で、北原茂美医療法人KNI理事長のインタビュー記事に触発されて国民皆保険の現実と問題点を探ったものだった。北原氏は記事の中で、国民皆保険は全員が貧しい発展途上国型のシステムで、所得格差に加えて少子高齢化による世代格差が進む日本ではかえって害をなすシステムであること、平等の相互扶助を本旨とする保険にもセーフティーネットにもなっていない国民皆保険はやめて、医療はすべて税金で保障すべきであることなどを指摘している。

 

 そして筆者は再び国民皆保険の問題に突き当たることになる。内閣が決定した患者申出療養という混合診療に対して、やはり医師会や患者会などから国民皆保険を崩壊させるという反対論が唱えられる中で、20135月に公刊された田島知郎東海大学名誉教授の『患者の「危機管理」23のノウハウ』では、国民皆保険が医師=経営者という日本の医業の仕組みと表裏一体をなして国民を侵食する様相を描き出している。タイトルは軽いが、日本の医療制度の根源的宿弊を明らかにしている。本稿は、田島氏の著書を契機として聖域視されている国民皆保険について再び考えたものである。本稿は、第1編「医業という仕組み」、第2編「医療の質の問題」、第3編「時代の曲り角」から成っている。

 

2.      日本の医療体制の特異性

日本の医療体制の特異性について田島氏は著書で「医師が勤務医と開業医に区分されること」と「開業医が大病院の診療に加わらないこと」の二つの特徴があるとしている。(134頁)そして二つの特徴は密接に結びついて日本の医療体制の特異性を形成している。

田島氏はさらにこのシステムがもたらすものとして開業医がローリスク・ハイリターンであり、勤務医はハイリスク・ローリターンであると指摘している。(120頁)筆者のような一市民でも、勤務医は過酷な勤務時間を強いられ、救急医療や手術等重症難治患者の医療を任され、医療事故は許されず訴訟リスクにも直面しているが、報酬は開業医よりはるかに低い一方、開業医は昼の決まった時間に割と軽症の患者に保険診療という定められた標準治療を行うだけで勤務医の倍近い報酬を得ていると感じている。

日本の医療政策は、そういう開業医の利益団体である日本医師会(以下、日医)が強い圧力、影響力をふるって決められてきた。日医は勤務医の深刻な問題には向き合わず、もっぱら国民皆保険という錦の御旗のもとで診療報酬の引き上げや競争を招く医師増の反対等専ら自らの利益のために活動してきた。こういう日医と厚労省が癒着して医療政策を作ってきたのだから、医療が危機に陥り、崩壊していくのは当然である。医療崩壊はかれらが招いたものである。田島氏は医師が悪いのではなく、システム・制度の欠陥というが、がん患者である筆者には医療システムの改革に反対し、勤務医や難治患者の困難な状況を是正する動きを潰そうとするこれらの勢力が、国民のための医療に向き合っているとは思えない。

 

 田島氏は特異性について次のようにも指摘している。「わが国に私的中小病医院が乱立していることの元を辿れば、この国の医療に『医師=経営者』の構図があることで、そこが過剰診療の温床になり、医師がドクターズフィーだけでなく、ホスピタルフィーも合わせて管理してきた結果として、国民皆保険制度の出来高払い制の追い風を受けて次第に発展してきたことによる」(141頁)、「わが国では、病院がオープンシステムで運営されていないために、医療の標準化が遅れ、病院内で医師が切磋琢磨する機会を奪われ、互いに監視し合うことが少ない。このためレベル格差が大きく、低レベル医療が紛れ込みやすい環境にあり、また病院内の情報は外に漏れにくい。こうした環境では医療事故が起こりやすいだけでなく、医療事故が起こった際には隠蔽姿勢にも陥りやすい」(181182頁)

 日本の医療体制が病院の診療に開業医が日常的に加わるオープンシステムでないことにより病院も医院も孤島となり、それぞれが経営に腐心するとともに相互の交流による医療技術の向上も図れなくなっている。またそれぞれが高価な医療機器をそろえるので日本は世界一の保有台数を誇るが、そのため過剰な検査や診療が日常化する。しかもその費用は国民皆保険で保証されている。さらに孤島の中の密室では医療事故も隠蔽されやすい。

根源的な問題は、日本にあまねく浸透した医師=経営者という特異な医業の構図によって医療機関は患者の利益でなく自分の利益を優先せざるを得ない医療体制となっていることである。医療は社会保障であり、公共福祉がその本質というのは日本では真実ではなく、実態は偽善的なものである。国民皆保険制度は、医業の利益を担保するために壮大な無駄を永続的に量産する仕組みとなっている。

これには歴史がある。国民に医療を普及させるための相互扶助制度として国民皆保険はスタートしたが、国は医療機関を基本的には持たず、民間に医療を任せた。そして医療の提供者である民間の医療者の生活を保障するために診療報酬というカルテルまがいの公的価格制度を導入した。そのかわり保険診療の支払条件に関しては健康保険法、療担規則、数限りない通達によって箸の上げ下ろしまで官僚が管理することになった。すなわち経営は民間に任せカルテルによってその利益は保障するが、官僚統制によって医師の自律性も経営の自由度もまったくない医療体制である。こうして民有国営の医療という日本の特異で奇怪な医療形態は完成した。良心的な医師にとっては心が引き裂かれるような矛盾、相反に悩まされるこの医療体制も、医師が患者の利益を最優先せず、財政や社会保険という公益を無視すれば自分の利益を生み出し続ける打出の小槌になる。

 

3.    国民皆保険は医師のためか

国民皆保険制度が、いつでもどこでも誰でも安く医療を受けられることによって国民の健康や生命を守ることに大きく貢献してきたことは事実である。そして医師会や厚労省等この制度で利益を得ている既得権益集団が「良いことづくめの世界に冠たる国民皆保険」と喧伝するのは当然だが、そのために現在および今後の日本に深刻な負の遺産を遺したことも見逃してはならない事実である。それは国民皆保険制度を乱用する医療機関と無自覚な国民によるある意味やりたい放題の医療資源の浪費であり、そのため生ずる巨額の医療費は税金、保険料という公金を財源とするため国家財政の危機を招いていること、そして医療者、国民が図らずも陥っているモラルの崩壊である。その負のスパイラルはやがて医療という重要な公共財の崩壊につながっていく。それを避けるために変革は待ったなしである。

患者側のモラルの崩壊については次のような指摘がある。「患者側にとってはサービス競争中の病院が点在しているわけで、何の事情も知らされない住民は、サービスが気に入らなかったら無謀な注文やクレームを残し、他の病院へすぐに移ったり、夜間休日に不要不急の軽症にもかかわらず救急外来を利用するいわゆる「コンビニ受診」が増加した。いつの間にか全国に「湯水のごとく医療をむさぼる(医療に対して高すぎる期待と理不尽な要求をする)文化」が育っていった」(和久祥三・兵庫県立柏原病院医師MRIC Vol.161 コンフリクト転換を重視した地域医療再生の実践2014722日)柏原病院小児科患者の母親たちは医師不在という事態に直面して初めて患者としてのモラルと自制を自らに課し、かろうじて危機を回避できたわけだが、「世界に冠たる国民皆保険」という既得権益集団の喧伝にあおられて「湯水のごとく医療をむさぼる」全国の患者が危機に気付いたときはもう手遅れかもしれない。

 

田島氏の鋭い指摘は続く。「医療では患者の利益と医師自身の利益を天秤に掛ける利益相反状態が避けられないが、医師の仕事は患者権利を遵守する医療の実践を自分の利益に優先させるから聖職と見なされるのだ。米国では開業医が病院診療の主役であるが、病院に雇用されてはいないので病院の収支には無関係で、『医師=経営者』の構図がない。開業医も医院を経営しているが、病院がオープンシステムであるため高額医療機器は病院のものを使えるので、設備は極端な例では机ひとつで済む。『医師=経営者』の構図がある日本では、医療者も含め国民は途方もない損をさせられているのである」(158160頁)

病院がオープンシステムの米国では、医師は技術料(ドクターズフィー)だけを受け取るので患者第一の医療に専念できる。日本は医師の技術料だけでなく医療機関に入る料金であるホスピタルフィーで医師の収入を賄う。その医療機関は小さなところでも高価な医療機器をそろえ、患者を待っている。日本では何代も前からの開業医だけでなくかなりの勤務医が開業医に転身する。そのうえ診療科目の標榜も自由だし、開業場所も制限がないから資金回収と利益を求めて患者の奪い合いが生じる。ところが保険診療は出来高払いだから検査や治療や投薬が患者の必要を超えて過剰になっても実質的に歯止めがない。国民皆保険制度は護送船団よろしく中小医療機関を守って走り続けるのである。

「過剰診療のデータでは、欧米諸国の2〜4倍の年間受診回数と病床数、圧倒的に長い入院期間、全世界の4分の1OECD平均の4倍以上と世界一のCTMRIの保有台数、世界平均の4倍近い国民の医療被曝量、米国の6倍以上の抗不安剤消費量」(171頁)、「この国の過剰診療の常態化によって国民が途方もない被害を受けているという認識が大切で、CTの無用な検査は2千万回以上(実施回数は4千万回―筆者)とされ、抗不安薬の処方は米国の6倍以上とされている。検査にしろ医薬品にしろ個々の点数が診療報酬で決められており、しかも皆保険制度で支払いは保証されていることから、官民共謀による価格カルテルが実践され、医療産業全体が巧みに拡大している」(199頁)

開業医から中小私的病院を経て大規模病院まで日本の保険医療機関が行う過剰診療は、国民皆保険が保証する値引きのない公定価格で歯止めのない出来高払いという保険診療で認められたものである。日本中の医者がやれば医療財政がパンクするから日医も厚労省も医者は増やしたくないのが本音である。一方、患者にとっては過剰検査、過剰診療、過剰投薬による健康、生命の危険にさらされることになる。

こうして国民皆保険を浪費して積み上がった医療費39兆円(平成25年度)は、規模だけで見ると国債費を除く国家予算の半分を超え、税収の8割に迫る。超高齢化社会を迎え、このままでは国は潰れ、現役世代は崩壊するだろう。これが世界に冠たる国民皆保険の実態である。限られた国民皆保険で膨れ上がる医療需要と医師の高収入を賄うことは不可能に近づいている。厚労省官僚、医者、医薬品や医療機器業界の鉄のトライアングルが描き出す「愚者たちの楽園」が国民と国家を侵食している。医療だけが39兆円という巨額の国民資産を食って栄え、1000兆円を超える借金漬けで病んだ本体の国が亡ぶという愚かな悲劇が迫っている。