歴史に学ぶ戦後70年−価値観の激変とイノベーション−
東京都文京区 松井 孝司
民主主義国家の命運を決めるのは国民の知力であり、国民の知力は学校に代わり全国民の教育機関となったメデイアの知的レベルで決まる。日本のメデイアは戦後70年の首相談話にあれこれ注文を付けているが戦時中、権力に迎合して事実を曲げて報道し国民を煽動しておきながら戦後豹変して国民に迎合する無責任なメデイアこそ「反省とお詫び」の談話を公表すべきではないか。言論出版の自由は尊重しなければならないが偏向報道で社会に損害をもたらすことは犯罪行為である。
江藤淳氏は著書「閉ざされた言語空間−占領軍の検閲と戦後日本」の中でGHQ(連合国軍総司令部)が昭和20~23年の間に日本人に対して行った洗脳教育計画WGIP(戦争犯罪情報プログラム)について「その効果は、占領が終了して一世代以上を経過した近年になってから、次第に顕著なものになりつつある」と述べている。自虐的な戦争史観が世代を超えて定着したのは日本のメデイアが担当した巧妙な洗脳教育の成果であり、GHQが認めた「言論の自由」はメデイアが政府から処罰されない保障であり、日本に不名誉、不利益をもたらす報道の自由を許すことになった。
歴史を振り返れば戦後70年の前半は戦争で焼け野原となった焦土の中で日本経済は奇跡的な再生を果たし、高度成長を実現した激変の時代であった。日本は米国から与えられた憲法の重要項目、Local Autonomy(地方自治)の「原理」を「本旨」と訳すなど憲法草案を換骨奪胎して受け入れ、敗戦を「終戦」、占領軍を「進駐軍」と呼び変えて誤魔化し、中央官僚が国家を支配する戦前の仕組みは温存し戦争をしない効率の良い社会を実現した。しかし、1990年以降高度成長で実現した世界第2位の経済大国は土地本位制を支えた土地「神話」が崩壊し地価と株価の低迷に連動して長期間デフレ経済がつづき日本経済は補助金漬けとなって効率が著しく悪くなり、政府は返済不能の巨額の公的債務を抱え財政破綻の危機を迎えている。
歴史を遡ると明治維新後の70年も前半の上昇期と後半の下降期を有し、成功と失敗の歴史を繰り返したことがわかる。幕末から明治維新に至る時期の日本は戦後の高度成長期に勝るとも劣らない激変の時代であった。
日本が19世紀末にアジア諸国の中で唯一国家の近代化に成功し世界の列強国の一員になれたのは旧い幕藩体制を解体して「殖産興業」「富国強兵」への道を歩むことができたからである。学ぶべきは新貨条例、廃藩置県、学制改革、徴兵制、地租改正などの重要改革が明治4〜6年に集中していることである。特に廃藩置県、徴兵制の実施は武士(=江戸時代の公務員)の既得権を解体する大改革であった。西郷隆盛が木戸孝允、大久保利通、伊藤博文等の政府要人が不在の間に江藤新平、大隈重信、山県有朋等に改革の具体化を任せ無益な議論をせず短期間に破壊的イノベーションを断行したことが明治維新を成功させたのだ。短期間に果断な実行をせず関係者を集めて議論を重ねていたら意見の対立で財政基盤を欠く明治政府は早々に崩壊していただろう。
明治4年11月から2年間不在であった岩倉欧米使節団一行が視察旅行から帰ったとき政府の余りの激変ぶりに愕然としたに違いない。西郷等が改革を断行して下野した明治6年の政変は板垣退助監修の「自由党史」が指摘するように自由民権運動と日本の命運を決める分水嶺になった。以後日本は政党が存在しても有名無実となり、言論出版統制が強化されメデイアに国家権力に対抗できる知力が無かったため官僚が国家を支配する中央集権体制が長期間つづくことになってしまった。
19世紀末から20世紀前半は戦争の世紀であり、日本が「富国強兵」を国家の目標としたことは止むを得ない選択であったと思う。日本は「富国」より「強兵」を優先させ明治30年(1897年)度の国家予算は軍事費が55.1%を占めたという。戦争が日本の最大の官製事業となり誰も止められなかった。日本のメデイアは大本営発表を鵜呑みにして国民を煽り、政治家と官僚も根拠のない神の国日本という「神話」に期待し集団幻想に陥っていた。日本にはヒトラーのような独裁者はいなかったのに神格化した天皇を頂点とする無責任な国家システムに社会の木鐸となるべきメデイアが迎合し国を滅ぼしたのだ。日本は敗戦によって焦土となりハイパーインフレの洗礼を受け国民は集団幻想から目覚めて価値観を激変させた。
歴史は「人間の価値観は時代の変化とともに激変する」ことを教えている。激変する価値観に普遍性はなく価値観にもとづく歴史認識にも普遍性はないが、日本は敗戦によりポッダム宣言と米国流の価値観を疑うことなく受け入れ、GHQによる明治維新後二度目の破壊的イノベーションにより不戦国家日本と日本経済の高度成長により一億総中流の社会を実現した。一時期社会党が政権を担うこともあったが、日本の社会主義勢力が衰退の一途をたどったのは競争原理にもとづく市場経済で高度成長を実現し、国民所得の倍増に成功したからである。しかし、社会にイノベーションが無くなれば経済の高度成長は終わる。経済の低成長を補うため戦争に代わる官製事業の拡大で日本政府はGDP(国内総生産)の200%以上の公的債務を抱えてしまった。
政府の財政破綻回避のために日銀が試みる異次元の金融緩和は名目GDPを倍増させハイパーインフレを阻止することができれば先例の無いイノベーションの一つになるだろう。しかし、イノベーションが不十分で名目GDPの倍増に失敗し、日本政府の財政破綻が現実になれば日本国民の価値観は再度激変し、中央集権制と土地私有制度から派生している巨大な既得権を解体する明治維新後三度目の破壊的イノベーションの契機をもたらしてくれる可能性もある。
21世紀の初頭は中国の台頭と米国経済の相対的地位低下に加え、価値観の多様化と世界経済のグローバル化により世界は多極化し、民主主義国家も選挙が形骸化し議会が機能せず混迷を深めている。有史以来人類社会が紛争を繰り返すのは富の争奪と土地所有をめぐる境界争いに起因することが多く動物の世界でも縄張り争いがみられるように生物の生存本能にもとづく争いは絶えることがない。
ピーター・F・ドラッカーは「グローバル経済の成立は、政府ではなく民間による偉大な成果である。第二次大戦後の唯一の前向きな成果である」と述べ、グローバル企業は紛争に満ち分裂した世界に統一の核をもたらすものと期待していた。軍隊をもつ独裁「国家」を淘汰することは難しいが、「民間」であれば悪質な企業はルールを設けて罰することができるし、放置しておいても生存競争に負け自然淘汰される。
2015年達成を目指す国連ミレニアム開発目標の経過報告によれば1990年以降世界は混迷を深めながらも1日1.25ドル未満で生活する10億人の貧困層が極貧から脱却したという。人類に「英知」があればヒト、モノ、カネの自由な交流と流通を許容する普遍的なルールを確立して世界経済の持続的成長を実現し、いつの日か新興国、開発途上国の貧困を克服するだろう。
第二次世界大戦終了後アジア・アフリカで誕生した100を超える新独立国の貧困層の存在が世界経済成長の原動力になり、世界的規模の破壊的イノベーションにより全世界の貧困層が解消に向かえば21世紀末には国境の存在が無意味になって紛争は激減し、新しい価値観にもとづき世界が相互補完関係で結ばれ共存共栄できる世界連邦が誕生し、日本が戦前スローガンに用いた日本書記の「八紘一宇」の世界が実現しているかも知れない。