集団的自衛権について

東京都文京区 岡戸 知裕

 

今日本で議論されている、集団的自衛権に関する議論であるが、安倍内閣の支持率が大きく下がる程、反対意見が多いという現象につき大変不思議な思いがする。

元々自分は、政治の腐敗という観点から大の自民党嫌いだが、安全保障という国家の存立に関わることについては政党の好き嫌いは言っていられないと思う。

反対意見が多くなっている原因として以下の点があるようだ。

1.米国の戦争に巻き込まれる恐れがある。

2.集団的自衛権は憲法解釈上違憲である。  

3.国際感覚の欠如 “井の中の蛙、大海を知らず”

4.現実主義ではなく単純な一国平和主義 

 

1.米国の戦争に巻きこまれる恐れがある

そもそも日本の安全保障を米国に頼っている以上、日米対等となった昨今日本での駐留経費を日本が支払っているとは言え、助け合うという精神がないと米国世論を味方につけることはできない。なぜなら米国世論は深く時の政権に大きな影響を及ぼすからだ。

米国の世論操作という点で蒋介石の婦人宋美齢の米国に於ける反日キャンペーンが米国で大変な成功を収めたことは有名な話である。

中國と北朝鮮さらに言えばロシアとの領土返還交渉の中で米国との軍事的な連携は無言の圧力を相手に与えることができる。つまり戦わずして勝つということに繋がる。

そもそもブッシュ政権の時に北朝鮮から拉致被害者が帰れたのは、ブッシュの“次はお前の番だ”というある意味恫喝があったればこそ帰国できたのではないか。

交渉というのはこちらに強制力のあるカードがない限り成功しない。現状日本政府はそういったカードを北朝鮮に対し全くと言って持っていない。軍事的な圧力というものは、そういったならず者国家に対して悲しいかな有効である。対話と圧力ではなく、圧力が主たる交渉カードだということが現実なのだ。安倍首相はそのところが読めていない。基本的に外交も近所付き合いも同じで、自分の周りは絶えず強盗、殺人、詐欺事件で一杯であり世界もまた同じなのだ。その為に国内においては警察の存在があるわけだが。

東アジアの安定は日本と米国の緊密な軍事的協力関係があってこそ達成されるのだ。

またそれが日本と米国の国防費の効率的な運用という意味で両者に大きなメリットがあることはいうまでもない。

米国側が日本に期待する条約の実質的な中身が変化してきていることをこちらが読むことが重要だ。

つまり集団的自衛権の問題は日本側よりも米国側から要望が出たのではないか?

過去の実例として小泉政権がブッシュのイラク戦争に日本が自衛隊を非戦闘地域の学校道路橋梁などのインフラ建設や掃海作業などに従事させた。

当時日本もテロの標的になるのでやめるべきとの議論もあったが、何事もなく、無事終了しブッシュのイラク戦争に少しながらも加担した訳だが、大量破壊兵器の存在よりも、同盟国米国との関係をまず考えるのが国際常識だと思う。但し日本の安全保障を日本独自で行うのであれば話は別だが。(日英同盟廃棄後、日本の軍事費は飛躍的に伸びたという事実も忘れてはならない)共に戦うという姿勢が相手国の世論形成という点で重要だ。

日本が米国と協調して国際社会の中で正義を貫くというもう一段上の役割を演じる時が来ていると思う。つまり民主主義、人道、正義という国際社会の理念を判断材料とするべきだ。

(但し当然国益との関係も考慮に入れるべきだが)

明治の成功は日英同盟によるところが非常に大きい、戦後については日米安全保障条約が日本に平和と経済的な繁栄をもたらしたことは明らかだ。

第一次大戦では日英同盟により日本海軍が地中海の英国輸送船護衛に活躍し、英国で大きな評価を得た。

やはり共に戦うということが、相手国の世論を有利に形成する上で重要であり、自分が困った時だけ助けてくれでは国際社会でも通らないというのが常識だろう。

 

2.憲法解釈上違憲

確かに文面上から言えば、自衛隊の存在自身が憲法違反であるのは間違いない事実と思う。

憲法九条二項の解釈からすれば、武器は持てないことになっており、昭和30年代の国会の答弁では、自衛隊には特車はあるが戦車はないという、まさに詭弁を弄しての国会答弁がなされていたことは記憶に新しい。

終戦から70年経過した現在、憲法を現代に合わせるべく修正すべきと思う。

ドイツは戦後40回以上改正してきている。

但しここにもマッカーサーの呪縛があり、国会の23の議決を必要とする点で、憲法九条が改正されないようにという彼の意図が現在でも覗える。

 

3.国際感覚の欠如

簡単に言えば、他人の家の火事は見て見ぬふりだが、自分の家の火事は助けて欲しいというのは国際的に通用しない。近所付き合いと外交は同じと考えたほうが宜しい。

尖閣列島を占拠されたら助けて欲しい、北朝鮮に拉致された日本人を返えさせることにつき、米国の協力が必要だ、有事における韓国からの邦人帰還につき米軍による輸送を期待したいなど、困った時の米軍頼りであるが、米国の中東での戦争には関わりたくないでは、日米が対等となった今通用しない議論だ。米国の国民世論が黙ってはいないだろう。

安全保障タダ乗りは国際的に通用しない。

 

4.一国平和主義

誰しも戦争は欲しない、しかしながら絶えず国際紛争が絶えないというのが現実である。

つまりこれは自分の身の周りをみてもそうだが、殺人、強盗、窃盗、詐欺は日常茶飯事であり国際社会も同じである。なぜ拉致被害者が北朝鮮から帰れないのか?

これは国内で言えば警察が出てゆく事件であるが、国際社会にあっては軍隊の仕事になる。

なぜ米国人の拉致被害者はいないのかという疑問にも行き着く。米国人を拉致したら間違いなく軍隊が飛んでくることは北朝鮮も良く知っているし、その結果として北朝鮮という国家の存在もなくなることも理解している。そんな危険なことを北朝鮮がするだろうか。

一国平和主義は暴力的な組織を勢いづかせ、拡大させ、ついには一国平和主義を放棄せざるを得なくなる危険性をはらんでいる。第二次世界大戦の原因は欧州に於ける平和主義がヒトラーの増長を許し飽くなき領土拡大要求となり再び世界大戦へと繋がったという悲しい歴史的事実がある。

また米国の例として、戦前、米国は長い間孤立主義にあった。

第一次大戦で米国が欧州へ参戦した結果米国の若者11万人が戦死した。(第二次大戦では30万人、内太平洋で7万人)その結果欧州の戦争に米国が再び巻き込まれたくないという強い国民的コンセンサスがあった。これは今の日本と同じ状況だ。その結果米国で過去に例がない、ルーズベルトの1940年11月の3選の選挙公約として“米国は再び欧州の戦争に米国の若者を送らない”と表明せざるを得なかったのである。これは婦人参政権のあった米国では当然のことではないか。

第二次大戦は1939年にすでに始まっており、米国の世論として巻き込まれたくないという強い国民世論があり、その中心人物はリンドバークであった。しかしながらルーズベルトとチャーチルの私信の交流は大戦中1000通に及び英国がBattle of Britainで大変な危機に直面していることも理解していた。米国とすればなぜインドなどの植民地を多く所有する帝国主義の英国をわざわざ米国が助ける必要があるのかということが参戦に反対する大きな理由でもあった。英国への武器貸与法案なども上下両院の多くの反対意見を押し切ってようやく成立させたが、ルーズベルト個人はヒトラーを毛嫌いし、止めどない日本の暴力的なアジアへの進出も英国を弱体化させる大きな要因として捉えていたので、日本の南部仏印進駐のときに、米国の石油企業の反対を押し切って石油の禁輸を打ち出した。その結果ルーズベルトが意図した真珠湾攻撃に繋がった。

ルーズベルト個人の考えとして米国の参戦なくして欧州とアジアに於ける戦火の収束はありえないし、民主主義と全体主義の戦いという観点からも米国の参戦は待ったなしであるという結論に達していた。

よって断固として無条件降伏しかないという厳しい条件を日本とドイツに押し付けた。

こうして米国は孤立主義から脱却した。

 

最後に

長妻氏の応援する会通信にて彼の考えというよりは、民主党の考えであると思うが、地球の裏側まで武力行使を可能にすることが、果たして世界平和に資することになるのかという視点と国連の集団安全保障へという2点であるが、かなり倒錯していると思う。

地球の裏側というのも大げさな表現で、これは日本の国益が及ぶ範囲という表現が適切だろうし、現実的だ。例えば中米ニカラグアのゲリラ対策で自衛隊が出動というのもあり得ない話である。日本の国益を考えれば地球の裏側までという妄想はあり得ない。

また国連の集団安全保障というのも理想論でいつそうなるのか見当もつかない、そもそも国連という組織を正確に理解していないし、そういった空理空論は昔の社会党と同じだ。

サンフランシスコ平和条約で日本は独立を果たした訳だが、これはソ連などの共産主義国ぬきでの条約である。国連参加国全体でということになれば昭和25年の独立などあり得ない話である。現実感がないというのが昔の社会党と帝国陸軍参謀本部である。そして現在の民主党か?そんな政党に日本を託せるのか?

要するに日本が米国に日本の防衛を依存している限りにおいて、日本も応分の協力をする必要があるのは、日英同盟をみても明らかである。

賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ。